藤井システム 概要

藤井システム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 18:15 UTC 版)

概要

藤井猛が考案した四間飛車の戦法である。特に居飛車穴熊対策としての藤井システムは非常に注目され、藤井自身も第一人者として活躍した。

『将棋世界』2007年9月号の企画「現役棋士が選ぶ衝撃の新手新戦法ベスト10!」で第1位となる。獲得票数が他を圧倒しており、投票総数の45%がこの戦法に投票している[注 2][2]

後述のように左美濃対策の藤井システムと穴熊対策の藤井システムとがある。後者の特徴は、相手が穴熊を目指せばその前に戦いを仕掛け、穴熊を放棄して急戦となったときは囲いの堅さで優位に立てることである。特定の駒の動きというよりは自陣全体の攻守の駒組みに特徴があり(「戦法」ではなく)「システム」と呼ばれる由縁でもある。

従来は居飛車側が作戦として持久戦を選択する際、5筋位取り玉頭位取りまたは船囲いから矢倉囲いなどへの発展系の囲いを選択することになり、特に横からの寄せ合いには脆さがあった。しかし左美濃・居飛車穴熊の発達により、居飛車が振り飛車と同等かそれ以上の玉の堅さを手に入れたため、振り飛車の勝率が極端に下がった。トップ棋士になるとこの傾向が顕著で、羽生善治森内俊之佐藤康光渡辺明が居飛車穴熊を指したときの勝率(先後別)は、佐藤の後手番での0.588を除いて7割以上の高勝率であり、羽生は先後合計での勝率が9割を超えていた[3](通常、先手番の勝率は5割を少し超す程度といわれている)。

そのため、左美濃・居飛車穴熊に対しての対策を持ちつつ、居飛車の従来からある右銀急戦などにも備えた包括的な指し方が必要となった。藤井システムにおいては、

  • 左美濃に対しては、理想形を許さず、玉頭戦に持ち込むのを狙う。
  • 居飛車穴熊に対しては、そもそも穴熊に組ませない、あるいは組ませる前に戦いを起こすのを狙う。穴熊に組もうとする相手に居玉のまま攻撃をしかけたり、振り飛車から居飛車に戻したり、あるいは雀刺しのように端に勢力を集中させるといった戦い方も含む。

小林健二のスーパー四間飛車や杉本昌隆の研究なども下敷きとなっている。たとえば、『将棋世界』2014年11月号、「『ぼくはこうして強くなった』第2回、藤井猛九段の巻」75~76ページで藤井はこう語っている。「第3図。自分が三段時代に杉本さんの将棋を見て、思い描いた局面。ここで▲2五桂と跳んだらどうなるのか。平成4年9月、それを銀河戦で神崎健二五段を相手に試した。(中略)流れるような手順で進んだ第4図は先手優勢。▲2五桂を見て、解説者の中村修九段が『ひぇーっ』と叫んだくらい。当時としては斬新な仕掛けだった。指してみると実際には難しいということもわかり、その後指すことはなかったが、藤井システムの原形として思い入れのある一局になった。」。

△神崎 持ち駒 なし
987654321 
    
      
  
     
     
       
  
      
    
△近藤 持ち駒 なし
987654321 
   
     
  
      
         
     
   
      
  

注釈

  1. ^ 藤井は1998年度のNHK将棋講座で本戦法の解説を行い、その直後に谷川浩司から竜王位を無敗で奪取。
  2. ^ 「画期的。この戦法がすごいのは、藤井さんがひとりでシステムを構築したこと」(佐藤康光)「右の銀桂香を攻めに使うという画期的な構想。将棋界の流れを大きく変えた戦法」(谷川浩司)「凄い発想。創世期には藤井さんとよく当たり、負かされました(笑)。優秀さを身をもって体感」(深浦康市)「振り飛車側が居玉で戦うという発想は思いつかなかった居飛車側の急戦策や、その他の持久戦に対応するアイデアをひとりで作り上げたのは驚異的だ」(室岡克彦)「連常の新戦法は誰かのアイデアに対し、追走者が現れることで構築されていきます。藤井システムの特異な点は、第1期竜王戦に見られるように、すでに完成されたひとつの分野として提示されたことです。藤井さん独自の研究量·新手の多さでも際立っており、今後このような新研究は現れないのではないでしょうか」(飯塚祐紀)などで、若手棋士に振り飛車党が多いのは、間違いなくこの戦法の影響である、という指摘も数多く寄せられた。「奨励会有段者時代に大流行していた戦法。おかげさまで卒業することができました」(島本亮)「振り飛車の大革命。この戦法のおかげでプロになった棋士も多いはずです」 (長岡裕也) 「世代が大きな影響を受けた戦法。みんな、狂いそうなほど研究しました。将棋の才能という面では、藤井九段が現役で一番ではないかと思います」(大平武洋)
  3. ^ 井上は「おかげで第一号局の犠牲者と、この将棋が有名になった」といっていたが、この年度の順位戦の敗戦はこの局のみで、他は全勝して昇級する一方、藤井は後手番でのシステムで苦戦し、昇級までにあと五期を要している。
  4. ^ 田中寅彦(居飛車穴熊を得意としていた)は、「何か変だな」と何度もうなった。羽生の△3二玉を見て、司会・聞き手の藤森奈津子は思わず「あ!戻った!」と声を上げた。
  5. ^ 藤井猛『最強藤井システム』(1999年)によれば、▲1五歩と端に2手かける手は急戦相手だと緩手になると考えられがちであるが、終盤で自玉が広い(端に逃げ道が広く空いている)ため、十分戦えるとされている。
  6. ^ 決勝トーナメントでは先手番、後手番共にすべて藤井システムを用いた。
  7. ^ 後手番の羽生善治王座が挑戦者の糸谷哲郎八段に対し採用。糸谷が巧みに対応し一時は優位に立ったが、終盤で羽生が逆転勝ちをおさめた。
  8. ^ 初号局における佐藤天彦の対策でもある。その後佐藤康光が2016年度NHK杯戦決勝において類似形を佐藤和俊に対して採用した際、佐藤和俊は△2二飛と受けずに戦い不利となったが、後に▲2四歩の仕掛けを失念していたと語った。

出典

  1. ^ 将棋大賞受賞者一覧|棋士データベース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2018年9月16日閲覧。
  2. ^ 『将棋年鑑2018 棋士名鑑アンケート』の「登場したときに最もびっくりした戦法はなんですか?」でも多数の棋士が「藤井システム」を挙げている。棋士をも驚愕させた新戦法とは!?”. マイナビ将棋情報局. 2023年2月4日閲覧。
  3. ^ 勝又清和『最新戦法の話』(浅川書房、2007年、ISBN 978-4-86137-016-8)、108ページ。2006年春までのデータである。
  4. ^ 将棋世界』2007年9月号、「新手魂」23ページ。青野照市勝又清和上野裕和による対談より。
  5. ^ 河口俊彦『新対局日誌 第八集 七冠狂騒曲(下)』(河出書房、2002年、ISBN 4-309-61438-8)、12 - 15ページ。
  6. ^ 1998年度竜王戦第2局の谷川など。
  7. ^ 対談:瀬川晶司六段×今泉健司四段「B級戦法は こんなに楽し」(『将棋世界Special 将棋戦法事典100+』(将棋世界編集部編、マイナビ出版)所収)
  8. ^ 後手番については勝又『最新戦法の話』90 - 94ページ、先手番については同書118ページ。
  9. ^ 週刊将棋』2008年8月6日、7ページ。
  10. ^ 勝又『最新戦法の話』116ページ。
  11. ^ a b 元竜王・藤井猛九段、藤井聡太新竜王を語る「藤井さんに新戦法は要らない」”. スポーツ報知 (2021年11月14日). 2023年10月29日閲覧。





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