紙屋城 紙屋城の概要

紙屋城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 04:53 UTC 版)

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紙屋城
宮崎県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城年 不明
主な城主 米良主税助
廃城年 元和元年(1615年
遺構 曲輪空堀土塁
指定文化財 空堀の一部が小林市指定史跡[1]
位置 北緯31度57分06.5秒 東経131度11分26.9秒 / 北緯31.951806度 東経131.190806度 / 31.951806; 131.190806
地図
紙屋城
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概要

秋社川に面した台地末端に築かれた山城で、城跡は南北に長く、南北約1400メートル×東西約600メートルにおよぶ[3]。北側以外が険峻なに挟まれた要害の地に建てられ、S字型の連郭式山城で5つの曲輪と10にも及ぶがあった。

北側から1-3段目の堀は東西のを結び人工的に作られたものであるが、それ以外は天然の地形を利して最小限の普請で作られている。北側から5段目と6段目の堀の間に鐘撞堂が存在し、6段目と7段目の堀の間にあった4番目の曲輪が本丸に該当した。

歴史

築城年代は不明、築城者は紙屋氏であるという。

天正5年(1577年)12月7日、伊東氏家臣で野尻城の城主・福永祐友島津氏に寝返ると、紙屋城主で祐友の縁戚であった米良主税助もこれに呼応したため、その翌日に紙屋城も島津氏の城に帰した。

元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。


  1. ^ a b c 「紙屋城第二の空堀跡」小林市公式HP
  2. ^ 宮崎県教育庁文化課 1998 p.22
  3. ^ 宮崎県教育庁文化課 1999 p.149
  4. ^ 「紙屋城攻めおどり」小林市公式HP


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