竹内友治郎 竹内友治郎の概要

竹内友治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/15 14:30 UTC 版)

竹内友治郎

生涯

山梨県巨摩郡百田村(現在の南アルプス市)出身。東京法学院(現在の中央大学)卒業[3]。逓信省に入省後、高等文官試験に合格。日露戦争時に金沢郵便局長を務めていたが、当時逓信次官であった田健治郎男爵に見出され、独立第13師団樺太出征軍)郵便部長に抜擢された[4]。その後、樺太庁第二部長、東京逓信局長、朝鮮総督府逓信局長を歴任した。

田健治郎が第8代台湾総督に在任中、1922年(大正11年)秋に台湾行啓が内定すると、警備に万全を期すためとして、田は斎藤実朝鮮総督と交渉の上、竹内を台湾総督府警務局長に転任させた[5]1923年(大正12年)に田が第2次山本内閣の農商務大臣に就任すると、その下で次官となったが、田が3か月半余りで辞任すると竹内もそれに「殉死」して辞任した[6]。こうした田との繋がりについて「田男爵の腰巾着たることは有名」と評された[6]

2度の落選を経て、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選[4]。以後、4回当選を重ねた[2]田中義一内閣では陸軍政務次官を務めた[2]

1936年昭和11年)11月10日、逝去[2]

栄典

著書

下記の他、著書に『議会制新論』『東眼西視録』がある[2]とされる[注釈 1]

脚注

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注釈

  1. ^ 国会図書館に収蔵が確認できない。

出典

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、17頁。
  2. ^ a b c d e 衆議院・参議院 1962, p. 299(NDLJP:3000139/177
  3. ^ a b c 大石末吉 1928, p. 233(NDLJP:1269137/150
  4. ^ a b 加藤紫泉 1924, p. 96(NDLJP:972140/60
  5. ^ 田健治郎伝記編纂会 1932, p. 496(NDLJP:1880388/298
  6. ^ a b 大石末吉 1928, pp. 220–221(NDLJP:920835/118


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