童夢 (自動車会社) 沿革

童夢 (自動車会社)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 05:10 UTC 版)

沿革

童夢のルーツは、1965年に林みのるが設計・製造し、浮谷東次郎の運転でレースに出場したホンダ・S600改造車(通称カラス)に始まる[3]。1967年には「マクランサ」を設立し、兄の林みのるがレーシングカーの製作、弟の林正史がコンサートの音響システムの開発やレンタルを行ったが、財政難のためにレース部門は撤退した。

林みのるは工業デザインを経て車造りに復帰するが、マクランサ時代の反省から、ビジネスとして成り立つスポーツカー製造を目指し、1975年に童夢プロジェクトをスタートさせた[3]。当時は林兄弟の従兄である林将一が営むホイールメーカー、ハヤシレーシング(大阪府)内に間借りするような形で計画が進められた。

童夢-P2

1978年には正式に会社登録し、京都府京都市左京区宝ヶ池に本社を建設[3]。同年のジュネーブショーで「童夢-零」という試作車(スーパーカー)を発表し、斬新なデザインで一躍脚光を浴びた。童夢-零の量産化を目指したが、当時の運輸省の不認可により計画は難航。アメリカ法人「DOME USA」を設立し、生産試作車「童夢・P2」の認可取得を目指したが、これも実現せずに終わった。

しかし、マーケティング分野のノウハウを持っていた林正史が数多くの玩具メーカーと契約し、童夢-零のキャラクター使用権料を稼いだことで、会社の経営基盤が安定した。おもちゃ業界では商品の回転が速いことから、おもちゃのベースになるニューモデルの製作を依頼され、童夢-零RLを製作して1979年ル・マン24時間レースに参加。これをきっかけに、レーシングカーのコンストラクターとしての道を再び歩き始め、今日に至っている。

1981年にはメンバーだった三村建治小野昌朗、入交昭廣(入交昭一郎の兄弟)らが独立して東京R&Dを設立した。

ジオット・キャスピタ

1980年代末のバブル景気時には服飾メーカーワコールの出資企業「ジオット」が企画した国産スーパーカージオット・キャスピタ」を設計・製造したが、この車も市販計画が頓挫した。

2000年には米原工業団地の中にレーシングカー開発用の50%スケール風洞風流舎」を建設。ムービングベルト式風洞を設ける等、風洞施設としては国内のみならず世界的に見ても類の無い充実した施設を誇っている。また同年、ロンドンに販売子会社としてDome Cars Limitedを設立した。2001年には元ムーンクラフトの小野直衛が設立した「有限会社ウィスカー」を買収する形で、製造部門を担当する子会社「株式会社童夢カーボンマジック」を設立。2006年に本社及び童夢カーボンマジックを風流舎の隣接地に移転し、日本国内におけるオフィス機能を米原工業団地に「童夢レーシングビレッジ」として集約する一方で、タイに製造子会社「童夢コンポジット・タイランド」を設立した。

この頃航空機の世界で炭素繊維を含む複合材料が多用されるようになってきたことなどから、レーシングカーのカーボンモノコック等の製造で培ったノウハウを武器に、航空機部品の製造等の分野にも進出した(実際の製造業務は童夢カーボンマジック、童夢コンポジット・タイランドが担当)。

またJR総研が所有する米原駅の傍らにある風洞施設は童夢が設計、製作に関与している。林みのるとJR総研の関係者が個人的に付き合いが深い事から、建設に関して協力したということである。このJR総研の風洞には童夢製のムービングベルトが納入されている。風洞の風洞全体の計画、低騒音化は三菱重工業により実現されている。低騒音化に関するノズルの表面処理技術には国内に無い技術が適用されている。

2012年8月末をもって創業者の林みのるが社長を退任。後任には林の学生時代からの友人である鮒子田寛が就任した。この段階では、今後林は「デザイン管理のみを担当する」としていた[4]

2013年3月には製造子会社である童夢カーボンマジック、童夢コンポジット・タイランドの両社を東レに売却し[5]、新たに東レ・カーボンマジックとなった。林はこの売却について「売却益を独自のロードゴーイングカー開発の資金に充てる」とした。このロードゴーイングカーは2015年ごろの完成を目指すほか、完成車としての開発だけでなくSUPER GT・GT300クラス向けのマザーシャシーとしての流用も視野に入れていたが[6]、林個人の離婚問題などの影響を受け、2014年8月にロードゴーイングカーの開発断念を公表した[7][8]。ただマザーシャシーとしてのモノコックは完成に至っており、同月にトヨタ・86のボディを架装した「M101-86」を公表した[9]

また同月には風洞「風流舎」をトヨタ自動車に売却する方針も公表[10]。前述の製造子会社の売却に続く売却により、大幅に業容を縮小することになった。なおこれらの売却に伴い、近日中に本社を移転する方針も明らかにされている[8]。同年10月には、2015年7月をもって林が同社株式を手放して相談役に退き、大王製紙の創業家一族で元同社取締役の井川高博が後任のオーナーに就任する方針が発表された[11]

2015年7月15日付で新体制へ移行[12]。鮒子田寛が社長を退任して副社長へと退き、3代目社長として元ジャニーズ事務所取締役の髙橋拓也が就任した。林みのるは予定通り相談役となっている。

2016年5月、米原駅近くに新築した新社屋に移転。また同時にカーボンコンポジット分野においてKCMGとの提携を発表した[13]

なお林みのるは、2016年に自身の資産管理会社として「株式会社童夢ホールディングス」を立ち上げているが、名前こそ類似しているものの童夢とは一切関係のない別会社である。

2018年6月から2019年1月にかけて本社社屋の拡張工事が行われ、大型オートクレーブやNC加工機などの設備が導入され、同年2月より本格稼働している。また同時にKCMGとの提携を解消した[14]

2019年3月に童夢の公式HPで、同年4月1日より風流舎を同社の元で管理運用していく事を発表している。[15]

2020年7月、高橋拓也が社長を退き、後任に元オートバックスセブン取締役の松村晃行が就任した[16]

2021年1月、Bcomp社の天然繊維をプリプレグ化し販売を開始した[17]

2023年10月、松村が社長を退任。後任には元レースクイーンで、2014年より取締役を務めていた臼井里会が就任した[1]


  1. ^ a b 代表取締役交代のお知らせ - 童夢・2023年10月1日
  2. ^ 拝啓、「AUTO SPORT」様 総集編 - 童夢・2009年12月9日
  3. ^ a b c "WHAT'S DOME". 童夢
  4. ^ 社長交代のお知らせ - 童夢・2012年8月31日
  5. ^ 株式会社 童夢カーボン・マジックの売却について - 童夢・2013年3月18日
  6. ^ ロードゴーイングスポーツカーの開発について - 童夢・2013年3月18日
  7. ^ 不測の事態により、告知していましたスポーツカーの開発が実施できなくなりましたので、お知らせすると共に、ご期待を頂いた皆様には深くお詫びを申し上げます。 - 童夢・2014年8月28日
  8. ^ a b 信じる者は掬われる - 林みのるの穿った見方・2014年8月28日
  9. ^ かねてより開発を続けてきましたマザー・シャーシですが、このたび、その第一号車として86ボディを架装した「M101-86(童夢社内コードナンバー)」が完成しましたので、お知らせします。 - 童夢・2014年8月29日
  10. ^ 株式会社童夢は、所有する50%ムービングベルト風洞「風流舎」のトヨタ自動車(株)への売却に関して、今後、交渉を開始することになりましたので、お知らせします。 - 童夢・2014年8月8日
  11. ^ 株式会社 童夢では、創業者の林みのるの引退に伴う、その後の形を模索していましたが、この度、その概要が決定しましたので、お知らせします。 - 童夢・2014年10月9日
  12. ^ 7月15日付 新体制のお知らせ - 童夢・2015年6月30日
  13. ^ 童夢、KCMGコンポジットインターナショナルと業務提携 - MOTOR CARS・2016年5月26日
  14. ^ 童夢 新CFRP開発・生産拠点 『童夢Advanced Carbon Laboratory』を稼働。最新、高品質のCFRP製品を速やかに提供できる環境が完成 - 童夢・2019年3月14日
  15. ^ 童夢の50%スケール・ムービングベルト風洞施設『風流舎』を4月1日より運用 - 童夢HPニュース・2019年3月29日
  16. ^ 童夢の代表取締役交代。松村晃行氏が新たに就任 - motorsport.com 2020年7月22日
  17. ^ Bcompプリプレグ販売開始のご案内”. 童夢. 2021年1月18日閲覧。
  18. ^ Feb.27.2009 さっそくの派遣切り - DOME NEWS
  19. ^ DOMECOLUMN「Graduation from Le Mans」
  20. ^ "ストラッカと童夢がタッグ! WECのLMP2参戦へ". オートスポーツweb.(2012年11月26日)2014年1月7日閲覧。
  21. ^ ストラッカ、童夢S103からスイッチ。LMP1に活用 - オートスポーツ・2015年7月10日
  22. ^ 童夢がLMP3クラスの5つ目のコンストラクターに”. オートスポーツweb. 2015年10月6日閲覧。
  23. ^ 林みのる "Formula Nipponの過去、現在、未来". (PDF) 童夢.(2011年9月13日)2013年11月13日閲覧。
  24. ^ 「SFシャシーに関して、孫悟空たちに一言」”. 2015年4月13日閲覧。
  25. ^ 日本自動車レース工業会は、来期よりのF4への参入を推進します - JMIA・News・2009年9月28日
  26. ^ GTA、FIA-F4の概要発表。童夢F110シャシー公開 - オートスポーツ・2014年8月29日
  27. ^ 新型 F3『 DOME F111/3 』の開発着手のお知らせ - 童夢HP・2019年3月19日
  28. ^ 2020年からスタートするスーパーフォーミュラ・ライツ選手権は6大会16戦を予定。コスト削減も推進”. Auto Sport. 2019年9月28日閲覧。
  29. ^ フォーミュラ・リージョナル日本選手権(仮称)開催に向け、各団体が会見”. Motorsport.com. 2019年9月27日閲覧。
  30. ^ Dec.10 2019 「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」”. 2019年12月10日閲覧。
  31. ^ 2019年JAF国内競技車両規則第1編レース車両規定
  32. ^ スーパー耐久シリーズ 2017「CIVIC TCR Racing Project」のドライバーラインアップが決定! - 童夢・2017年3月24日
  33. ^ 株式会社童夢は日本国内におけるCIVIC TCRの正規販売代理店です。”. 2020年1月17日閲覧。
  34. ^ "大串 信さんの記事(Racing On)を読みながら、ふとつぶやいたこと。". 童夢.(2006年5月8日)2013年11月13日閲覧。
  35. ^ Tokai Challenger紹介
  36. ^ ボブスレー (1994) - 童夢・とっておき!お蔵入り企画集
  37. ^ JIMTOF2012「下町ボブスレー」試作機を初公開…冬季五輪を目指し町工場が開発 - Response・2012年10月31日





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