秋葉権現 秋葉講

秋葉権現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 01:43 UTC 版)

秋葉講

江戸時代の庶民にとって遠州秋葉参りの旅費は経済的負担が大きかったので、秋葉講という宗教的な互助組織()を結成して講金を積み立て、交代で選出された代参者が代表として遠州秋葉山に参詣し、火防せ・安全を祈願して帰郷した。また、遠州秋葉参りできない人々を考慮して、地元に秋葉権現を勧請した。秋葉講の講社の数は、盛時には全国で3万余を数えるほどあった[10]

神仏分離・廃仏毀釈

慶応4年(1868年)の神仏分離廃仏毀釈は各地の秋葉権現も対象となった。遠州秋葉山では秋葉権現が神仏いずれかで議論が長引いたが、明治5年、社寺行政を主管する教部省は

「秋葉事記ニ聖観音〔行基作〕秋葉山権現〔当山鎮守〕祭神大己貴命〔或曰式内小國神社〕三尺坊〔秋葉同社ニ祭ル当山ノ護神ナリ〕トアレバ当山ノ鎮守ノ神ト三尺坊ノ霊トハ固ヨリ各別ナルコト明ケシ但シ式内小國神社ハ同郡ニハ有レトモ今宮代村ニアリテ秋葉ノ地トハ自ラ別ナレハ祭神ノ説ハ非ナカラ固ヨリ秋葉ノ主神ハ仏ニ非ル故ニ斯ル説モ起リシナルベシ」

と秋葉権現は三尺坊とは異なる神祇であると判断し、「秋葉大権現之儀慶応三年十二月廿七日神階正一位ヲ被授候事故向後秋葉神社ト称シ可申事」と秋葉神社への改称が妥当とした[11]

祭神名について教部省は「秋葉事記」の大己貴命説は採用せず、修験の家伝を元に火之迦具土大神と称することが妥当と判断した。全国の秋葉権現を祀る祠堂もこれに準じて神仏判然がなされ、多くが神道秋葉神社となったと推測されるが、「社寺取調類纂」には明治3年に迦具土神を祭神とする秋葉神社となっている事例も掲載されている。秋葉神社と秋葉寺に分離後の明治6年(1873年)大登山秋葉寺は無住無檀により廃寺となった為、浜松県の指導により三尺坊は可睡斎へ遷座した。

秋葉三尺坊大権現を祀る寺院

現在でも秋葉三尺坊大権現として祀る寺院は存在する。


  1. ^ 田村貞雄監修、中野東禅, 吉田俊英 編『秋葉信仰』民衆宗教史叢書第31巻、雄山閣、1998年
  2. ^ http://tochiokankou.jp/rekishi/akiba.html ◆秋葉神社と秋葉三尺坊
  3. ^ 秋葉総本殿可睡齋 - 秘法七十五膳御供式
  4. ^ 秋葉総本殿可睡斎御縁起
  5. ^ 田村貞雄『秋葉信仰の新研究』岩田書院、2014年
  6. ^ 『妖怪の本』学研、1999年、70頁。
  7. ^ 坂内龍雄『真言陀羅尼』p.233-235
  8. ^ 秋葉山本坊・峰本院ホームページ「み教え・ご利益」http://www.akihasan.or.jp/category01/index04.html
  9. ^ a b c 日本の神仏の辞典, 2001年6月, ISBN 978-4469012682
  10. ^ 静岡県森町|観光と文化 > 図説森町史 > 26. 秋葉信仰と森町
  11. ^ 辻善之助・村上専精・鷲尾順敬編『新編 明治維新神仏分離史料』第六巻東海編、名著出版、1983年、228‐230頁


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