知恵の館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 06:30 UTC 版)
影響
翻訳のおかげで、イスラム世界のさまざまな人々が、アラビア語で学問を論じ始め、アラビア語は知的言語・共通言語としての力を高めることともなった。
古代ギリシアからヘレニズムの科学や哲学などの伝統が、イスラム世界に本格的に移植・紹介され、独自の発展をたどることとなる。
ユダヤ教徒も、サアディア・ベン・ヨセフやマイモニデスは言うまでもなく、哲学関係の書をアラビア語で読み書きするようになった。それまでユダヤ教徒の間ではアラム語やギリシア語が共通語・日常語であったが、アラビア語に取って代わられるようになった(ユダヤ教やシナゴーグ、聖書解釈・詩作といったものなどに関する場面以外は、アラビア語で話し、書くようになっていった)。
その後
その後、12世紀を最後に、イスラム世界におけるギリシア哲学研究は停滞し始め、ユダヤ教徒も次第に哲学に関してヘブライ語で書くようになり(書き言葉としてのヘブライ語の復興)、ラテン語を学ぶユダヤ教徒も出てくる。
脚注
関連項目
- ^ アル・ハリーリー 『マカーマート 中世アラブの語り物(1)』 堀内勝訳、平凡社〈東洋文庫 780〉、2008年、99-125頁
- ^ a b 金子 光茂 (2000), “西欧文明の基礎を築いたイスラーム”, 大分大学教育福祉科学部研究紀要 22 (1): 123 2009年10月27日閲覧。
- ^ 谷崎 秋彦 (2006), “翻訳の運命と目的地 ベンヤミンの翻訳論”, 東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編 29 (2): 16, ISSN 03876055 2009年10月27日閲覧。
- ^ 井筒俊彦「ムアタズィラ派の合理主義」『イスラーム思想史』中公文庫、初版1991年、54-65頁
- ^ 竹下政孝「論理学は普遍的か --アッバース朝期における論理学者と文法学者の論争--」『イスラーム哲学とキリスト教中世 2 実践哲学』(竹下政孝、山内志朗編)岩波書店、2012年
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