田園調布 開発の理念

田園調布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 14:01 UTC 版)

開発の理念

大正時代に、渋沢栄一が中心となって、イギリスで提唱された田園都市構想をモデルとした[30]。その理念は、都市の外側を田園や緑地帯で囲み、企業も誘致し、交通渋滞や公害のない、住宅環境に優れた都市を建設するというものである[30]。田園調布の駅前広場を中心に放射状に延びる街路は、当時のヨーロッパの都市に見られた特徴をそのまま取り入れた名残である[30]

日本の田園都市建設の参考とするため、渋沢秀雄が田園都市視察のため1919年(大正8年)8月から欧米11カ国を訪問した。その時の回想記によると エベネザー・ハワードロンドン郊外に創設した田園都市レッチワースよりも、サンフランシスコ郊外の高級住宅地セントフランシス・ウッドの街並を田園都市建設の参考にしているようである[31]

また、分譲当時の「田園都市案内パンフレット」の中の理想的住宅地[32]によると、日本の田園都市を建設するにあたり、次のように述べている。

  • 「田園都市という言葉はその起源から考えてみますと、今日わが国で用いられている意味とは少しその趣を異にしているように思われます。本社の如きも田園都市株式会社という商号を用いていて居りますものの、英国では田園都市と銘打って始めた事業の内容に比べますとだいぶ相違した点もありますから、ここに簡略ながら田園都市ということについて一言申し述べようと存じます」
  • 「イギリスの田園都市では工業地域の工場通勤する勤労者の住宅地を主眼にするのに反して、わが田園都市に於いては東京市という大工場へ通勤される知識階級[注釈 6]の住宅地を眼目といたします結果、いきおい生活程度の高い瀟洒な郊外新住宅地の建設を目指しております」
  • 「イギリスの田園都市は工業地域、農業地域も一体に作りますが、日本の田園都市は住宅のみの建設に限定し、田園を冠する限り、その住宅の建設される地域はつぎの要件を満たすことが必要であります」
 理念
  1. 土地高燥にして大気清純なること。
  2. 地質良好にして樹木多きこと。
  3. 面積少なくとも十万坪(約33万平米)を有すること。
  4. 一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること。
  5. 電信、電話、電灯、ガス、水道などの完整させること。
  6. 病院、学校、倶楽部等の設備あること。
  7. 消費組合の如き社会的施設も有すること。
  • 「上記の如き住宅地を単に郊外市と呼び捨てるのはあまりにも物足りなく思います。天然と文明、田園と都市の長所を結合せる意味に於いて同じく田園都市と呼ぶのもあながち不当ではあるまいと思います。そしてわが社の田園都市はすなわちこの種類のものなのであります」

つまり、ロンドンのレッチワースは住宅街に隣接して工業地域を作り、住宅街の周囲を農業地域が取り囲み緑地帯にしたのに対し、日本の田園都市ではそれらを造らず、「街全体を庭園都市(ガーデンシティー)とすることを建設の目的とした」のである。実際に田園調布の西側に半円のエトワール型の道路を取り入れ、採算を度外視し[33]、道路面積だけでも街全体の18パーセントに達しており[34][注釈 7]、また広場と公園を整備し、良好な住環境を提供している。

また「田園都市案内パンフレット」には、理想的な住宅地である田園都市において住宅建設をする上で守るべき条件として以下の基準を挙げている。

 建築の基準
  1. 他の迷惑となる如き建物を建造せざること。
  2. 障壁はこれを設くる場合にも瀟洒典雅のものたらしむること。
  3. 建物は三階建て以下とすること。
  4. 建物敷地は宅地の五割以下とすること。
  5. 建築線と道路との間隔は道路幅員の二分の一以上とすること。
  6. 住宅の工費は坪当たり百二、三十円以上にすること[注釈 8]

これらの「理念」及び「建築の基準」は、現在の田園調布においても「一般社団法人田園調布会」及び大田区都市計画[35]による「田園調布憲章」「環境保全についての申し合わせ」及び「大田区田園調布地区地区計画」などにより受け継がれている。


注釈

  1. ^ 荏原台古墳群は田園調布古墳群と野毛古墳群とからなる。
  2. ^ 洗足地区は田園都市株式会社が開発した45万坪のうち8分の1にあたる約5.5万坪であったが、完成前から分譲地の購入希望者が多数押し寄せた。「洗足のサイトプランが出来上がると、図面を印刷し、目蒲線開通前に売り出した。畑の土を掘って計画通りの道筋だけをつけた。だから道筋以外には青麦がはえ、馬鈴薯の花が咲いていた。そこをお客さんたちは図面を手にして、気に入った場所を物色して歩いた」[16]
  3. ^ 洗足田園都市、桜新町地区、あるいは箕面有馬電気軌道沿線など、田園調布より早く分譲されたところもあるが、これらの地区は田園都市の定義を満たしておらず、庭園都市(ガーデンシティー)として開発されたわけではなかった。[要出典]
  4. ^ 富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手により、国有林の払い下げを受け、当初は数万坪・197区画にのぼる宅地開発を行った。
  5. ^ 実際は「弁がたつ、腕がたつ、田園調布に家が建つ」と韻を踏む。
  6. ^ 当初は、当時の旧制大学や旧制高校出身の管理職である中堅層を対象にしたが、実際は関東大震災後に都心から焼けだされた富裕層が多く移住した。
  7. ^ 当時の東京は、住宅地における道路の面積は総面積の5パーセント程度であった。
  8. ^ 大正初期、石川啄木朝日新聞での月給が17円であった。

出典

  1. ^ a b c d 住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別)  令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年12月16日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 田園調布の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  4. ^ a b 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b 田園調布本町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  6. ^ 『渋沢栄一伝記資料』第53巻 目次詳細 第13節 土木・築港・土地会社 第3款 田園都市株式会社
  7. ^ 第二種風致地区 大田区
  8. ^ 『新・土地のグランプリ 日本で唯一の土地格付け 2009-2010年版』講談社、2009年3月25日
  9. ^ 『東京土地のグランプリ 2012-2013 最新版』講談社 2012年3月15日
  10. ^ 大田区、町名別の面積、世帯、人口
  11. ^ 「田園都市株式会社 業務報告書」第六回、1921年(大正10年)6月-11月
  12. ^ 「高級住宅街の代名詞となった田園調布、田園調布と言うブランド」『高級住宅街の真実 セオリー2008年 Vol.2』pp.16-21、講談社、2008年3月25日。
  13. ^ 『土地のグランプリ マンション立地編』講談社、2010年1月25日。
  14. ^ 『田園調布の古墳』大田区教育委員会、1990年7月。
  15. ^ 大田区・古墳ガイドブック、大田区立郷土博物館、2008年10月。
  16. ^ a b 渋沢秀雄『随筆 街づくり わが町』沿線新聞社、1971年(昭和46年)。
  17. ^ a b 東京市新區町名地番表 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  18. ^ 1971年(昭和46年)1月25日自治省告示第13号「住居表示が実施された件」
  19. ^ 田園調布の地盤の良さは首都圏トップクラス - 地盤の強さをネット上で見て、調べる All About
  20. ^ 東京の高級住宅街、住むならどこがベスト/日本一のブランド力を誇る「田園調布」 ゆかしメディア、ゆかしウェルスメディア株式会社
  21. ^ 『日本の私鉄 東京急行電鉄』毎日新聞社、2011年1月30日。
  22. ^ 一般社団法人田園調布会
  23. ^ エリアマネジメント 第4回 社団法人 田園調布会 国土交通省 土地・水資源局土地政策課
  24. ^ 大田区役所、大田区の都市計画、田園調布地区
  25. ^ 西の芦屋と並び称される田園調布 - 東京の高級住宅街、住むならどこがベスト/日本一のブランド力を誇る「田園調布」 ゆかしメディア、ゆかしウェルスメディア株式会社
  26. ^ 「理想的住宅案内」田園都市案内パンフレット、田園都市株式会社、1922年(大正12年)、1923年(大正13年)
  27. ^ 田園調布せせらぎ公園 大田区
  28. ^ 多摩川台公園 大田区
  29. ^ 宝来公園 大田区
  30. ^ a b c 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日、144頁。ISBN 4-534-03315-X 
  31. ^ イギリスドイツは冬のせいか、暗くて寂しかった。私はサンフランシスコ郊外のセントフランシス・ウッドという住宅地が気に入った」 - 「随筆 街づくり わが町」渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)。
  32. ^ 「田園都市案内パンフレット」の一節 - 田園都市株式会社、1921年(大正11年。
  33. ^ 経済効率を吹き飛ばした渋沢栄一の理想主義、高級住宅の秘密を語ろう - 「高級住宅街の真実 セオリー2008年Vol2」pp.76-81、講談社、2008年3月25日。
  34. ^ 「街づくり50年」東急不動産、1973年(昭和48年)。
  35. ^ 大田区都市計画 大田区
  36. ^ 朝日新聞社会部編『東京地名考 上』p.270、朝日文庫朝日新聞社出版局、1986年。ISBN 4022603496
  37. ^ 『大東京市全区町名便覧』(1932年)[1]
  38. ^ 『大東京市全区町名便覧』(1932年)[2]
  39. ^ 『世田谷の歴史と文化』世田谷区立郷土資料館、2005年3月31日。
  40. ^ a b c d 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  41. ^ a b c d 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  42. ^ a b c d 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  43. ^ a b c d 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  44. ^ a b c d 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  45. ^ a b c d 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  46. ^ a b c d e f 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  47. ^ a b c d 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  48. ^ 区立小学校通学区域一覧” (XLSX). 大田区 (2023年3月30日). 2023年12月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  49. ^ 区立中学校通学区域一覧” (XLSX). 大田区 (2023年3月30日). 2023年12月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  50. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。






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