河越城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/25 06:34 UTC 版)
河越夜戦 | |
---|---|
戦争:戦国時代 | |
年月日:天文15年4月20日(1546年5月19日) | |
場所:武蔵国河越城 | |
結果:北条軍の勝利、扇谷上杉の滅亡、山内上杉家、古河公方、関東管領家の弱体化 | |
交戦勢力 | |
北条軍 | 山内上杉家 扇谷上杉家 足利古河公方 |
指導者・指揮官 | |
北条氏康 北条綱成 北条長綱 山本勘助 大道寺盛昌 |
上杉憲政 上杉朝定→上田朝直 足利晴氏 関東諸将 |
戦力 | |
12000(城内3000) | 1万〜8万(諸説あり) |
損害 | |
若干名 | 3000〜2万2500 |
北条早雲の嫡男、後北条氏の2代目当主北条氏綱は武蔵国征服のため、武蔵国を支配していた上杉氏の居城・河越城に侵攻、1524年(大永4年)から4度にわたる争奪戦が展開された。
「河越城の戦い」で特に有名なのが、関東の政局を決定した大きな戦いとなった5度目の天文15年(1546年)の戦いで、日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つ「河越夜戦」[注釈 1]である。ただし、この河越夜戦の実態は史料が少なく不明瞭であり、その存在自体を否定する説もある(#河越夜戦に関する議論)。本稿では河越夜戦について詳述する。
河越夜戦は、北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が武蔵国の河越城(現在の埼玉県川越市)の付近で戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦いである。
注釈
- ^ 「夜戦」は「やせん」と音読みされる場合もあるが、音声上では「野戦」との区別のため、しばしば訓読みで「よいくさ」と読まれる。
出典
- ^ 川越市立博物館『常設展示図録』、2023年版、50頁。
- ^ 小和田哲男『戦国合戦事典』
- ^ a b 長塚孝「氏康と古河公方の政治関係」黒田基樹編 『北条氏康とその時代』 戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 2〉、2021年7月。ISBN 978-4-86403-391-6 P247-248.
- ^ 西股総生『河越夜戦』
- ^ 山口博『北条氏康と東国の戦国世界』夢工房、2004年、p29。
- ^ a b 城郭研究会(代表:黒嶋敏)「中世の河越城-その成立と景観-」(初出:『史友』31号(青山学院大学史学会、1999年)/所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第五巻 扇谷上杉氏』(戒光祥出版、2012年)ISBN 978-4-86403-044-1)
- 1 河越城の戦いとは
- 2 河越城の戦いの概要
- 3 背景
- 4 戦いの経過
- 5 戦いの影響
- 6 参考文献
固有名詞の分類
- 河越城の戦いのページへのリンク