水戸藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 07:52 UTC 版)
藩邸
- 上屋敷:文京区後楽、春日(現在の小石川後楽園、東京ドーム、後楽園遊園地、中央大学後楽園キャンパス、中央大学高等学校、礫川公園)(明治以降放置されていた山上門は払い下げを受けて那珂湊へ移築、1957年(昭和32年)那珂湊市へ寄贈された[2])
- 中屋敷:文京区本郷、弥生(現在の東京大学本郷キャンパス本郷地区・弥生地区・浅野地区[3])
- 下屋敷:墨田区向島(現在の隅田公園[4])
- 京屋敷:京都市上京区下長者町通烏丸西入北側[5]
- 蔵屋敷:大阪市北区中之島(現在の日本銀行大阪支店[6])
藩主隠居所
幕末の領地
明治維新後に、茨城郡21村(幕府領6村、旗本領17村)、新治郡1村(旗本領)、相模国三浦郡1村(寺社領)、鎌倉郡11村(寺社領6村、幕府領5村、旗本領2村)、天塩国苫前郡、天塩郡、中川郡、上川郡、北見国利尻郡が加わった。なお相給も存在するため、村数の合計は一致しない。
備考
- 関ヶ原の戦いの結果、佐竹家は秋田へ転封されるにあたって水戸の美女を根こそぎ連れていったという俗説がある。
- 戸田忠太夫と藤田東湖は水戸藩の双璧をなし、徳川斉昭の腹心として水戸の両田と称された。また、水戸の両田に武田耕雲斎を加え、水戸の三田とも称された。
脚注
- ^ 深井雅海『綱吉と吉宗』2012年、吉川弘文館
- ^ 山上門の立て札の解説
- ^ 東京大学本郷キャンパス浅野地区の史跡, 東京大学総合研究博物館, 2018年4月8日閲覧
- ^ 特別展・将軍が撮った明治のすみだ 小梅水戸邸物語, 墨田区, 2018年4月8日閲覧
- ^ KA010 水戸藩邸跡[リンク切れ], 京都市歴史資料館情報提供システム「フィールド・ミュージアム京都」, 2018年4月8日閲覧
- ^ “日本銀行大阪支店のあゆみ”. 日本銀行大阪支店. 2018年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月11日閲覧。
固有名詞の分類
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