東蒲原郡
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行政
- 福島県東蒲原郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)1月27日 | |||
明治19年(1886年)5月26日 | 新潟県に移管 |
- 新潟県東蒲原郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治19年(1886年)5月27日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
注釈
出典
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 15 新潟県、角川書店、1989年9月1日。ISBN 4040011503。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
- 赤城源三郎『東蒲原郡のなりたち』津川町公民舘、1951年。NCID BN11057504。
- 入間田宣夫「特別寄稿 中世小川荘の歴史 越後と会津のはざまにて」『阿賀路 東蒲原郡郷土誌』第60号、阿賀路の会、2022年、14-29頁。
- 寺田徳明 編『東蒲原郡史蹟誌』東蒲原郡教育会、1928年。NDLJP:1177986。
関連項目
外部リンク
『越佐地図教科書』(国立国会図書館デジタルコレクション)- 1896年(明治29年)1月出版。人口 19,428人、戸数 3,229との記述あり
先代 蒲原郡 |
行政区の変遷 1879年 - |
次代 (現存) |
- ^ これらの地域は後の1889年に北蒲原郡から編入する。
- ^ 1956年に北蒲原郡に編入。
- ^ 1955年に五泉市に編入。
- ^ 当時までの『福島県』は、中通り(現在の福島市や郡山市、白河市など)のみを管轄していた。
- ^ Google マップで、現在の阿賀町役場から福島県庁へ移動する場合。
- ^ 現在の阿賀町役場から新潟県庁までの距離は、自動車で最短経路を移動した場合で約52km、所要時間は約50分前後である。一方、福島県庁までは約136km、約110分前後を要する。計測はGoogle マップに基づく。
- ^ 新潟県はまた、越後国とは別である佐渡国も管轄した。
- ^ 記載は大田村。
- ^ 記載は八木山村。
- ^ 記載は八田村。
- ^ 記載は舩渡村。
- ^ “阿賀野川流域パンフレット-川と交通 - 流域の歴史年表”. きらり四季彩 阿賀野川. 国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所 (2007年4月26日). 2021年9月30日閲覧。
- ^ a b c d 新潟県立図書館 (2016年3月25日). “リファレンス事例詳細 - 東蒲原郡に関する下記3点について”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2021年9月30日閲覧。
- ^ a b 明治19年勅令第43号(『官報』第856号、明治19年5月12日、p.113.)
- ^ a b c d e f g h i “越後佐渡ヒストリア> [第76話]東蒲原郡のお引っ越し-茶碗の数も確認します-”. 新潟県立文書館. 2021年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e 大内雅人「福島県域の成立と会津若松分県問題」『学習院史学』第41号、学習院大学史学会、2003年3月、70-83頁、CRID 1050564288171438720、hdl:10959/1833、ISSN 02861658。
- ^ a b “福島県議会主要年表(明治元年~24年)”. 福島県議会. 福島県 (2015年11月24日). 2021年9月30日閲覧。
固有名詞の分類
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