東上野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 15:41 UTC 版)
地理
台東区の地理的中央部に位置する。一丁目から五丁目は下谷地域、六丁目は浅草地域に属する。東上野一丁目から東上野三丁目までと東上野五丁目は清洲橋通りに接し、東上野六丁目は清洲橋通りと左衛門橋通りに接している。これらを境に松が谷、元浅草に接している。南部は春日通りに接し、これを境に台東に接する。西部は昭和通りに接し、これを境に上野に接する。北部はかっぱ橋本通りに接し、これを境に北上野に接する。
町域内は台東区役所などの行政施設を多く抱え、住宅地と商業地とが混在している。西部の昭和通り沿いは上野駅や御徒町駅に近く、上野繁華街の一角に当たる。また昭和通りの東側付近には焼肉やキムチなどを扱う朝鮮料理・食材店などが軒を連ねている一角があり「キムチ横丁」などの愛称で呼ばれているコリア・タウンが形成されている。 また、二丁目にはパチンコ関連企業が集まり、オフィスやショールームが並ぶ「パチンコ村」が形成されている[4]。
町域内を南北に縦貫する清洲橋通りの東西の境が、台東区の前身である旧下谷区と旧浅草区の区境に当たり、現在でも警察署、消防署、税務署等の管轄境界として残る。
歴史
東上野は芝新網町、四谷鮫河橋と並ぶ江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つであり、明和5年(1768年)から乞胸頭(ごうむねがしら、大道芸を業とする被差別民「乞胸」の頭)山本仁太夫とその配下が居住していた[5]。仁太夫は1843年に浅草松葉町(現・台東区松が谷)に移転させられたが、万年町にはその後も非人頭・車善七の配下となる者が多数居住していた[5]。のち、明治2年に万年町と改称されてからも住民は人足・日傭取・人力車夫・屑拾などの貧民が多く、サンカの集住地ともなった[6]。
世帯数と人口
2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
東上野一丁目 | 863世帯 | 1,314人 |
東上野二丁目 | 620世帯 | 909人 |
東上野三丁目 | 938世帯 | 1,522人 |
東上野四丁目 | 811世帯 | 1,241人 |
東上野五丁目 | 1,126世帯 | 1,981人 |
東上野六丁目 | 1,144世帯 | 2,007人 |
計 | 5,502世帯 | 8,974人 |
- ^ a b “町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月29日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
- ^ “パチンコの聖地・上野でパチンコ店閉店ラッシュ。軒数は全盛期の10分の1以下に”. SPA (2022年). 2022年9月6日閲覧。
- ^ a b 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.31(三一書房、1984年)
- ^ 筒井功『サンカと犯罪』p.138-152。
- ^ “区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ “日清シスコ、東京本社・大阪支店を移転”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社).(2014年10月27日)
固有名詞の分類
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