新語偽作説 新語偽作説の概要

新語偽作説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 06:31 UTC 版)

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偽作説をめぐる歴史

混乱を避けるため、以後の説明では、今に伝わる『新語』を今本(きんぽん)と書く。偽作説の見方では、真の『新語』と今の『新語』は異なるので、こうした区別が便利である。

偽作説の初めは、13世紀、南宋黄震と言われる。『新語』「弁惑」篇の中で「今、上に明王聖主なく、下に貞正諸侯なし」と皇帝とその重臣を厳しく非難しており、皇帝と重臣が並ぶところで奏上する内容ではない。「馬上で天下を得ても馬上で天下を治められない」という陸賈の持論が反映された箇所がない。というのが黄震の疑問であった[2][3]

その後も偽作説・真作説の意見が表明され続けたが、偽作説を強めたのは、清代の『四庫全書総目提要』である。司馬遷は『史記』を書くときに『新語』を参考にしたと言われているのに、実際に『史記』と『新語』今本を比べてみると、内容に重なる部分がない。他2点の引用関係の不審をあわせ、司馬遷が見た『新語』は今本と異なるとして、偽作を主張した[4]

しかし、『四庫全書総目提要』の上記の指摘は、『漢書』を直接参照せずに誤った引用を元に批判をしたもので、1930年に胡適がこのことを指摘すると偽作説の勢いは衰えた[5]。中国では多くの学者が現在の『新語』を真のものと認めている。日本では宮崎市定が真作説を強く肯定した。

それでも、今本の文章が高祖への奏上として場違いだという疑問は解消されていない。金谷治のように、現在の『新語』は陸賈による別の著作だと考える説もあり、これもまた有力である[6]。『漢書』芸文志は、陸賈の著作を3つ挙げる。「楚漢春秋9篇」、「陸賈賦3篇」、「陸賈23篇」である。『楚漢春秋』は歴史書、賦は詩の一種だが、陸賈23篇は儒家のものとされている。これが『新語』の名で伝えられた可能性を考えるのである[6]

また、陸賈作を否定する論としては、福井重雅が『陸賈「新語」の研究』で、今本で使われる「五経」という表現が漢初にはまだ現われていないはずだという疑いを加えた。

以下では偽作説からの疑問点を先に書き、それに対する真作説からの弁護論があれば次にまとめる。

『新語』23篇との関係

吸収・分離の事情

漢書』は後漢時代に書かれたが、その「芸文志」は、前漢末に劉向劉歆が作った『七略』という文献目録を収録したものである。芸文志には陸賈の著作が三つある。「楚漢春秋9篇」、「陸賈23篇」、「陸賈賦3篇」である[7]。陸賈23篇は「儒家」に、楚漢春秋9篇は「春秋」に、陸賈賦3篇は「詩賦」に分類される。『新語』は見えない。

真作説を採る学者は、『新語』は「陸賈23篇」の一部であった、とするのが通例である。しかし、司馬遷(または司馬談)が独立した著作として感想を記した『新語』が、なぜ「陸賈23篇」に吸収されたのかは説明できない。芸文志の中で『楚漢春秋』は独立しているので、この疑問は強められる。また、『新語』が再び分かれた事情も不明である[8]。偽作説の立場からは、司馬遷の後しばらくして『新語』は失われ、その空白を利用して偽書『新語』が書かれたということになる。

兵書略

『漢書』芸文志には、もとの目録で兵家の一類「兵書略」あるいは「兵権謀」に分類された書のうち、他の分類との重複分は省いたと注がある[9]。陸賈の兵書も重複しており、それが陸賈23篇であろうことは容易に推測できる。ということは、陸賈23篇は、儒家であり兵家でもあるような内容を備えていたことになる。武人ではないものの、戦乱の時代に劉邦陣営に身を投じ、戦後に文武の併用を説いた陸賈が、戦争を勝利に導く策略について何か書き残したとしてもおかしくはない[10]。ところが、『新語』今本に兵家的な要素はなく、兵や力に頼ることを繰り返し批判している。こうしたことから福井重雅は、陸賈23篇に『新語』が含まれるという推測は成り立たないと論じた[10]


  1. ^ 固有の呼び名として「新語偽作説」が定着しているわけではない。
  2. ^ a b 福井重雅『陸賈「新語」の研究』6頁。
  3. ^ 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』752頁。
  4. ^ a b c d 『四庫提要』子部一 儒家類一 「新語 二巻」、全國漢籍データベース。
  5. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』38 -39頁。
  6. ^ a b c d 金谷治「陸賈と婁敬」313 - 314頁。
  7. ^ 『漢書』芸文志第10。それぞれちくま学芸文庫版では第5巻524頁、536頁、554頁。
  8. ^ 福井重雅「陸賈『新語』の研究」、42 - 44頁。
  9. ^ 『漢書』芸文志第10。ちくま学芸文庫版第3巻562 - 563頁。
  10. ^ a b 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、44 -46頁。
  11. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』11 -12頁。
  12. ^ 『漢書』司馬遷伝第32。ちくま文庫版『漢書』第5巻521頁。
  13. ^ a b 福井重雅『陸賈「新語」の研究』9頁。
  14. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』46 -47頁。
  15. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、53頁。
  16. ^ 金谷治「陸賈と婁敬」329頁注2。
  17. ^ 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』753 - 754頁。
  18. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、6頁、58頁。
  19. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、59頁。
  20. ^ 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』193頁、757頁。
  21. ^ 金谷治「陸賈と婁敬」33頁。
  22. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』57頁。
  23. ^ 宮崎「陸賈『新語』の研究』、全集5巻359頁、380頁。。
  24. ^ 宮崎市定「陸賈『新語』の研究』、全集5巻341頁。
  25. ^ 『漢書』眭両夏侯京翼李伝。ちくま学芸文庫版第6巻445頁。
  26. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、69 - 70頁。
  27. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、70頁。
  28. ^ 『史記』孝文本紀第10。新釈漢文大系版第2巻642 - 643頁。
  29. ^ a b 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』758頁。
  30. ^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、131 - 147頁。
  31. ^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、131 - 147頁。
  32. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、77 - 78頁。
  33. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、71 - 72頁。
  34. ^ 宮崎市定「陸賈『新語』の研究」、全集第5巻380頁。
  35. ^ 津田左右吉「易に関する一二の考察(上)」、105頁。PDFファイルの52頁。
  36. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、67 - 69頁。
  37. ^ 宮崎市定「陸賈『新語』の研究」、全集第5巻379頁。
  38. ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、65 - 66頁。
  39. ^ 『史記』秦始皇本紀第6。新釈漢文大系版第1巻342 - 343頁。
  40. ^ 『史記』秦始皇本紀第6。新釈漢文大系版第1巻353 - 356頁。





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