新語偽作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 06:31 UTC 版)
周囲の社会状況
一人の人物が孤立した思想を抱くことはままあるが、その人物が著作の中で批判対象とした社会現象や思想潮流は、その当時にある程度の広がりを持っていたはずである。社会状況のずれは、一人の特例としてすませるわけにはいかない。しかしこれについても、他の資料に現われないだけで、そうした社会現象があったのだという弁護は可能である。
公卿の子弟が尊貴になる
資質篇には、今の政治を批判する一つとして、「公卿の子弟、貴戚の党友も、人に優るの能なしといえども」「身は尊貴のところに在り」という。しかし、高祖の時代の諸侯・高官は、秦末の反乱と楚漢の争いで軍功を立てた人たちである。庶民から出た彼らが「貴戚」すなわち貴族と言える血筋とみなされるのはもう少し世代を重ねた後である。そして、高祖の存命中に彼らの子弟は政治登場を果たしていなかった。漢初には的外れな批判である[33]。
この点について宮崎市定は、当時、功臣の子孫が政権を独占する形勢があったためだとした[34]。
神仙思想の流行
津田左右吉は、論文「易に関する一二の考察」で、慎微篇にある「深山に入って神仙を求める」が漢のはじめに言われるはずがないと指摘した[35]。神仙に入ろうとする動きが社会問題として論じられるほどになったのは、前漢末期である[36]。
しかし、秦の始皇帝は不死になる方法を求めていたし、漢の功臣張良もそうであった。宮崎市定は「始皇帝の心を捉えた邪説」であるから非難したのだとした[37]。金谷治は張良を念頭に、深山に入って神仙を求める人が漢初にいたと考えた[6]。
災異を説いて刑死
災異説にもとづいた説明を施しながら、今本の懐慮篇には、みだりに災異を説く世人を批判した文がある。そのような人は、深く学ぶことなく災変を説いて学者と衆人を惑わすが、自分にふりかかる災いを避けることができず、法に触れて刑死するというのである。災変や予言から罪が生じたのは、漢初には例がなく、武帝以降のことである。もっともあてはまるのは前寒後期の元帝・成帝の時代だと金徳建は20世紀に指摘した[38]。
これについて齋木哲郎は、始皇帝の時代の盧生らのことだという[29]。盧生は始皇帝に「秦を滅ぼすものは胡である」と記した録図書(予言書)をもたらし、匈奴征討の端緒を作った方士である[39]。後に盧生らは皇帝の専制を危ぶんで逃げ隠れ、怒った始皇帝が学者を一括りに責めて460人を殺した[40]。ただこの場合、盧生は自分にふりかかる災いを避け、刑死したのは無実の学者たちであった。
- ^ 固有の呼び名として「新語偽作説」が定着しているわけではない。
- ^ a b 福井重雅『陸賈「新語」の研究』6頁。
- ^ 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』752頁。
- ^ a b c d 『四庫提要』子部一 儒家類一 「新語 二巻」、全國漢籍データベース。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』38 -39頁。
- ^ a b c d 金谷治「陸賈と婁敬」313 - 314頁。
- ^ 『漢書』芸文志第10。それぞれちくま学芸文庫版では第5巻524頁、536頁、554頁。
- ^ 福井重雅「陸賈『新語』の研究」、42 - 44頁。
- ^ 『漢書』芸文志第10。ちくま学芸文庫版第3巻562 - 563頁。
- ^ a b 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、44 -46頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』11 -12頁。
- ^ 『漢書』司馬遷伝第32。ちくま文庫版『漢書』第5巻521頁。
- ^ a b 福井重雅『陸賈「新語」の研究』9頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』46 -47頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、53頁。
- ^ 金谷治「陸賈と婁敬」329頁注2。
- ^ 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』753 - 754頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、6頁、58頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、59頁。
- ^ 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』193頁、757頁。
- ^ 金谷治「陸賈と婁敬」33頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』57頁。
- ^ 宮崎「陸賈『新語』の研究』、全集5巻359頁、380頁。。
- ^ 宮崎市定「陸賈『新語』の研究』、全集5巻341頁。
- ^ 『漢書』眭両夏侯京翼李伝。ちくま学芸文庫版第6巻445頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、69 - 70頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、70頁。
- ^ 『史記』孝文本紀第10。新釈漢文大系版第2巻642 - 643頁。
- ^ a b 齋木哲郎『秦漢儒教の研究』758頁。
- ^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、131 - 147頁。
- ^ 福井重雅『漢代儒教の史的研究』、131 - 147頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、77 - 78頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、71 - 72頁。
- ^ 宮崎市定「陸賈『新語』の研究」、全集第5巻380頁。
- ^ 津田左右吉「易に関する一二の考察(上)」、105頁。PDFファイルの52頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、67 - 69頁。
- ^ 宮崎市定「陸賈『新語』の研究」、全集第5巻379頁。
- ^ 福井重雅『陸賈「新語」の研究』、65 - 66頁。
- ^ 『史記』秦始皇本紀第6。新釈漢文大系版第1巻342 - 343頁。
- ^ 『史記』秦始皇本紀第6。新釈漢文大系版第1巻353 - 356頁。
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