府内城 概要

府内城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:19 UTC 版)

概要

府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城である。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成させた。なお、府内城は海城でもあるが、豊臣氏政権時代から徳川氏政権初期段階において九州地方に入部した大名は海城を居城としていることが多く、その一例である[3]

江戸時代には府内藩2万1000石の藩庁が置かれていたが、明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、堀の一部が埋め立てられた。さらに第二次世界大戦時の大分空襲により大手門、櫓が3棟が焼失した。

現在、城跡は大分城址公園となっている。本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、石垣、土塀、堀とともに大分県の史跡に指定されている。県の史跡に指定された以外の部分は、大分市の史跡に指定されている[1]。また、3棟の二重櫓と大手門、が外観復元、土塀、廊下橋が木造復元されている。三の丸跡には、大分県庁大分市役所などがある。又、天守、櫓、門、土塀の木造復元計画はある。

西丸跡には1966年大分文化会館が建てられたが、2013年(平成25年)10月に閉館し、その後、解体された。文化会館跡地の利用方法は未定で、城址公園も含めて今後検討される[4]。なお、大分市は1993年(平成5年)に、文化会館を解体した後の構想として、中期的に発掘調査、城内整備を行った後、長期的には天守閣再建を含めた府内城の復元を行うとする府内城整備基本構想を策定しているが、経済情勢の変化等のために実現の目途は立っていない[5]2017年(平成29年)2月には大分城址公園整備・活用基本計画が策定され、天守等については将来的に調査・研究の成果に応じて整備をめざすとされた[6]

2017年(平成29年)12月27日から2018年(平成30年)2月14日には、金属製パイプで天守の骨格を再現し、LEDによるライトアップが行われた[7][8]。その後、2018年(平成30年)3月27日から2019年(平成31年)2月14日まで再びライトアップが行われている[9]


注釈

  1. ^ a b c 豊臣氏政権時代から徳川氏政権初期段階において九州地方に入部した大名は海城を居城としていることが多いが、府内城もその一例である(柴田2008、17ページ)
  2. ^ 現在の大分市古国府にあったと考えられている。

出典

  1. ^ a b c d e 府内城 県史跡および市史跡”. 大分市 (2016年2月16日). 2018年4月15日閲覧。
  2. ^ 国・県・市指定文化財一覧”. 大分市 (2017年2月21日). 2018年4月15日閲覧。
  3. ^ 柴田2008、17ページ
  4. ^ “大分文化会館 来年10月末、閉館へ”. 大分合同新聞. (2012年2月18日). オリジナルの2012年2月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120220212947/http://www2.oita-press.co.jp/localNews/2012_132952972332.html 2018年4月15日閲覧。 
  5. ^ “OITA見聞録:大分文化会館閉館まで1年半 府内城再建の「夢」 20年前の「約束」、市は?”. 毎日新聞地方版. (2012年6月25日). オリジナルの2012年7月13日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20120713065801/mainichi.jp/area/oita/news/20120625ddlk44040294000c.html 2018年4月15日閲覧。 
  6. ^ 大分城址公園整備・活用基本計画を策定しました”. 大分市 (2017年2月28日). 2018年4月15日閲覧。
  7. ^ “府内城天守再現へ パイプで骨格組み夜間ライトアップ”. 大分合同新聞. (2017年8月26日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2017/08/26/JD0056086894 2018年4月15日閲覧。 
  8. ^ “高さ30メートル府内城天守 27日からライトアップで再現”. 大分合同新聞. (2017年12月23日). https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2017/12/23/JD0056466432 2018年4月15日閲覧。 
  9. ^ “府内城、幻想的な姿再び 来年2月まで継続”. 大分合同新聞. (2018年3月28日). http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2018/03/28/134353621 2018年4月4日閲覧。 
  10. ^ 府内藩(ふないはん) めまぐるしい領主交代 - ウェイバックマシン(2013年4月9日アーカイブ分) - 大分歴史事典
  11. ^ a b 市報おおいた」2017年9月1日号第1708号、大分市、2018年4月15日閲覧 
  12. ^ 平井聖監修『城 九州沖縄8 火燃ゆる強者どもの城』毎日新聞社 1996年
  13. ^ a b c 三ツ股正明 (1999-02). “府内城天守復元考”. 大分縣地方史 (大分県地方史研究会) (172): 50-63. ISSN 0287-6809. 
  14. ^ a b 小野英治 (1996-10). “豊後府内城天守について”. 大分縣地方史 (大分県地方史研究会) (163): 1-11. ISSN 0287-6809. 
  15. ^ 中井均・三浦正幸監修 学習研究社編『歴史群像 よみがえる日本の城 20 小倉城』学習研究社 2005年
  16. ^ 府内城宗門櫓の保存修理現場の見学会を開催します』(プレスリリース)大分市、2018年3月6日https://www.city.oita.oita.jp/o204/houdou_syuumonnyagyra_hozonsyuuri.html2018年4月15日閲覧 






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