宮崎勤 オタクバッシング

宮崎勤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 00:30 UTC 版)

オタクバッシング

宮﨑の部屋は、窓と壁がビデオテープで覆いつくされていて、そのビデオテープは約6000本あった。本棚には『リボンの騎士』『ゲゲゲの鬼太郎』などのアニメ作品が並んでいた。床には少女雑誌などが散乱し、暴力的、性的、猟奇的な内容の漫画やビデオが多数あった、幼稚園の入園案内パンフレットや女性が写っているテニスクラブのパンフレットなどがあったことから、おたくロリコンホラーマニアであるなどと報じられ、マスコミではそれらの悪影響を主張する意見が噴出し、ネガティブイメージが広まることになった。

家族

まれに見る凶行であったため、家族へ及んだ影響も大きかった。人々の宮﨑への憎悪はそのまま彼の家族・親族へと波及した。

宮﨑が逮捕されてから1か月後の1989年9月時点で、宮﨑の家族はDの遺体切断場所ともなった家を去っていた[56]。事件後に家は取り壊され、1996年10月時点では事件前に死去した祖父が住んでいた離れだけが残っていた[57]。2006年1月時点では同地は完全に更地となり、同月時点から遡って数年前から[58]、夏などに敷地裏を流れる秋川を訪れる家族連れらの駐車場として利用されており[59]、傍らには石仏が置かれていた[56]。2023年12月時点で、同地は売地となっているが買い手はつかず、宮崎家が管理している。[60]

家族・親戚らの境遇
宮﨑は両親のほかに姉妹2人がいたが、彼らに対して「お前たちも死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が殺到した[61]。長女は勤めていた会社を辞め、既に結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれた。事件後に宮崎の両親はいったん離婚し、母親の姓で再婚した[57][62]
父親の弟2人も退職した上、長弟は持っていた会社を妻の名義に変更し、5つの会社役員を全て辞職。次弟には娘が2人おり、宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚、娘たちは妻に引き取らせた[63]。母親の兄の2人の息子は警察官、高校教師であったが辞職した[64]。背景には週刊誌で暴露された影響があったと言われる[65]
父親の自殺
家族は宮﨑の逮捕から1年後に引っ越した。宮﨑は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したが父親はこれを拒絶。4年後の1994年に父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りをつけると、東京都青梅市多摩川にかかる神代橋 (水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。
作家の佐木隆三は父親の自殺を「現実逃避であり、被害者家族を顧みない行為である」と非難した。佐木はほかに私選弁護士をつけるよう要請してきた宮﨑を拒絶したことについても批判している[66]。私選弁護人を選定しなかったことで国選弁護人が選ばれ結果国費が使われるからというのがその論旨であった。宮﨑の父親には私選弁護人をつけるだけの経済力が十分あり、佐木は父親への批判として「家庭における父親の不在」というキーワードを挙げている。
父親とかねてから交流があり、事件後も父親とのコンタクトを定期的に続けた新聞記者は、「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛にさいなまれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている[67]
宮﨑の父親は、自分が糾弾されるのは、息子が犯した罪を思えば当然だが、まったく関係のない自分の親族らにまで非難の矛先が向けられ、辞職したり、逼塞したりすることを余儀なくされていることに苦悩していると、インタビューで言及していた[68]

著書

『創』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。

  • 『夢のなか 連続幼女殺害事件被告の告白』創出版、1998年12月。ISBN 978-4924718302
  • 『夢のなか、いまも 連続幼女殺害事件元被告の告白』創出版、2006年2月。ISBN 978-4924718722

注釈

  1. ^ 子守りの男性は30代の知的障害のある男性だったと言われている。
  2. ^ 実質的には解雇される。
  3. ^ ビートたけしのガチバトル』(2010年12月29日放送)[47]
  4. ^ 劇中では同事件以外にも、オウム真理教による一連の事件や和歌山毒物カレー事件に関連する人物などもモデルとなって登場する。

出典

  1. ^ a b c 読売新聞』1989年8月11日東京朝刊一面1頁「Dちゃん殺害と断定 宮崎きょう11日再逮捕 「Aちゃん事件」関連も追及」(読売新聞東京本社
  2. ^ a b c 『読売新聞』1989年8月11日東京夕刊第一社会面15頁「Dちゃん殺し 宮崎の自宅裏山捜索/警視庁深川署」(読売新聞東京本社)
  3. ^ a b c 『読売新聞』1990年3月30日東京夕刊三面3頁「連続幼女誘拐殺人 宮崎被告に対する起訴状全文」(読売新聞東京本社)
  4. ^ 福田康夫 2007, pp. 14–15.
  5. ^ a b c d 埼玉新聞』2008年6月18日朝刊第2版一面1頁「宮崎死刑囚に刑執行 幼女連続誘拐殺人 判決確定から2年 鳩山法相で計13人 ついに謝罪なく 言動で社会を翻弄」(埼玉新聞社)縮刷版315頁。
  6. ^ 一橋(2003)、pp.61-62
  7. ^ 一橋(2003)、p.164
  8. ^ 一橋(2003)、p.166
  9. ^ a b 一橋(2003)、p.62
  10. ^ 一橋(2003)、pp.130-131
  11. ^ 肩・肘の外傷と疾患 先天性橈尺骨癒合症
  12. ^ 一橋(2003)、pp.64, 87-88
  13. ^ 一橋(2003)、pp.66-68
  14. ^ 一橋(2003)、p.70
  15. ^ a b 一橋(2003)、p.76
  16. ^ 一橋(2003)、p.75
  17. ^ 一橋(2003)、p.100
  18. ^ 一橋(2003)、p.101
  19. ^ 一橋(2003)、p.102
  20. ^ 一橋(2003)、pp.109-110
  21. ^ 一橋(2003)、p.110
  22. ^ 一橋(2003)、p.112
  23. ^ 一橋(2003)、pp.112-113
  24. ^ 一橋(2003)、p.113
  25. ^ 一橋(2003)、pp.119,340
  26. ^ 一橋(2003)、p.175
  27. ^ 一橋(2003)、p.9
  28. ^ 一橋(2003)、p.348
  29. ^ 『読売新聞』1997年4月14日東京夕刊社会面19頁「連続幼女誘拐殺人・宮崎被告に判決 死刑…まるで人ごと 無表情、軽くあくび」「被告席で怪獣の絵(森田清司)」(読売新聞東京本社)
  30. ^ 『読売新聞』1996年7月17日東京夕刊社会面15頁「連続幼女誘拐殺人 宮崎被告3年半ぶり被告人質問/東京地裁」(読売新聞東京本社)
  31. ^ a b c 『毎日新聞』1997年4月14日大阪夕刊社会面15頁「連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤被告に死刑判決 「死刑」に身じろぎもせず」(毎日新聞大阪本社【滝野隆浩、山科武司】)
  32. ^ 産経新聞』2000年9月29日東京朝刊第一社会面「連続幼女誘拐殺人 控訴審で宮崎被告「もっと有名になりたい」」(産経新聞東京本社
  33. ^ a b c 『読売新聞』2000年10月26日東京朝刊第二社会面38頁「連続幼女誘拐殺人 宮崎被告に後見人選任申請 母親「不利益判断する能力欠く」」(読売新聞東京本社)
  34. ^ 毎日新聞』2000年10月26日東京朝刊総合面27頁「テレビ朝仁の手紙公開で、宮崎勤被告の母が後見人選任の審判申し立て――東京家裁に」(毎日新聞東京本社
  35. ^ a b c 『東京新聞』2006年1月17日夕刊社会面11頁「宮崎被告 死刑確定へ 断罪 心見えぬまま 裁判長『冷酷で残忍』 遺族の悲しみ癒えず」「宮崎被告 17年間 一人の世界 冗舌手記 類似版言及も」(中日新聞東京本社)
  36. ^ “連続幼女誘拐殺人:宮崎死刑囚・刑執行(その1)最後まで謝罪なく◇絞首刑を再三批判「薬物注射」導入を主張”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの2008年6月17日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2008-0618-2348-03/mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2008/06/17/20080617dde041040003000c.html 
  37. ^ 宮崎勤「死刑回避」意思に感じた…月刊誌「創」編集長”. ZAKZAK (2008年6月18日). 2008年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
  38. ^ 『東京新聞』2005年4月19日朝刊社会面29頁「奈良女児殺害初公判 『第二の宮崎、宅間になる』 小林被告『反省ない』 供述調書朗読 両親は心情つづる」(中日新聞東京本社)
  39. ^ 『中日新聞』2006年4月12日朝刊生活面24頁「奈良女児殺害 小林被告が月刊誌に手記 つづられた父への恨み 犯罪者を生まない 子育ても呼びかけ」(中日新聞社 岩岡千景)
  40. ^ a b 『読売新聞』2008年6月17日東京夕刊一面1頁「宮崎勤死刑囚に刑執行 連続幼女誘拐殺人から20年 確定後2年4か月 ほか2人も 鳩山法相で計13人」(読売新聞東京本社)
  41. ^ 幼女連続誘拐殺害の宮崎勤死刑囚に死刑執行”. 産経新聞 (2008年6月17日). 2008年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
  42. ^ 『読売新聞』2008年12月30日東京朝刊第三社会面23頁「死刑確定から執行まで 今年の平均4年1か月 過去10年の半分に」(読売新聞東京本社)
  43. ^ 読売新聞社会部 2009, p. 19.
  44. ^ 読売新聞社会部 2009, p. 25.
  45. ^ 篠田博之 2012, p. 155.
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  47. ^ たけし激白! 日中関係は「矛盾だらけ」」『ORICON NEWS』オリコン、2010年12月27日。2023年10月4日閲覧。オリジナルの2023年10月4日時点におけるアーカイブ。
  48. ^ 『中日新聞』2010年12月30日朝刊社会面23頁「「宮崎勤元死刑囚生かしてたまるか」 鳩山元法相、執行検討を指示 民放番組で発言」(中日新聞社)
  49. ^ “元法相、執行する死刑囚選んだ経緯語る”. MBSニュース (毎日放送). (2010年12月13日). https://megalodon.jp/2010-1213-2013-47/www.mbs.jp/news/jnn_4599913_zen.shtml 2018年11月29日閲覧。 
  50. ^ 『埼玉新聞』2008年6月18日第2総合面2頁「フォーカス 宮崎勤死刑囚 刑執行の波紋 惨劇直後に治安対策? 「正義」首ひねる被害者も」(埼玉新聞社) - 縮刷版316頁。
  51. ^ 宮崎死刑囚に「スピード」死刑執行 囁かれる「秋葉原事件」の影響?”. J-CASTニュース (2008年6月17日). 2013年8月13日閲覧。
  52. ^ “死刑:3人執行、廃止議連や人権団体の抗議表明相次ぐ”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの2008年6月18日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2008-0618-0942-20/mainichi.jp/select/seiji/news/20080618k0000m040073000c.html 
  53. ^ 日本支部声明 : 死刑の執行に抗議する”. 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 (2008年6月17日). 2008年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
  54. ^ 死刑執行に関する会長声明”. 日本弁護士連合会 (2008年6月17日). 2008年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月13日閲覧。
  55. ^ a b “連続幼女誘拐殺人:「再審準備中」の執行に抗議 弁護士”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの2008年6月17日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2008-0617-1658-50/mainichi.jp/select/jiken/news/20080617k0000e040073000c.html 
  56. ^ a b 『読売新聞』2006年1月14日東京朝刊社会面35頁「[問い直す宮崎事件](上)起訴一転、妄言奇行 死刑逃れの詐病?1・17最高裁判決」(読売新聞東京本社)
  57. ^ a b 毎日新聞』1996年10月7日大阪夕刊社会面13頁「連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤被告の論告求刑 M君今も「夢の中」」(毎日新聞大阪本社
  58. ^ 『朝日新聞』2006年1月18日東京朝刊東京都心第一地方面31頁「薄れる記憶、続く不安 自宅は跡形もなく 宮崎被告に死刑 /東京都」(朝日新聞東京本社)
  59. ^ 『読売新聞』2006年1月18日東京朝刊多摩版35頁「連続幼女誘拐殺人事件 宮崎被告の死刑確定へ 事件の記憶、今も=多摩川 当時の自宅周辺 住民に消えぬ疑問」(読売新聞東京本社)
  60. ^ 『読売新聞』2008年6月17日東京夕刊社会面19頁「宮崎死刑囚の刑執行 「心の内」見せぬまま 遺族に謝罪なし、最後まで幻聴訴え」(読売新聞東京本社)
  61. ^ 鈴木(2010)、p.62
  62. ^ 『毎日新聞』1996年10月7日東京夕刊社会面9頁「検察側「社会に対する挑戦」――連続幼女誘拐殺人事件、宮崎勤被告に死刑求刑 「生命の重み」を突きつけ」(毎日新聞東京本社
  63. ^ テレビ東京「解禁!暴露ナイト(かいきんばくろないと)」より
  64. ^ 解禁!暴露ナイト
  65. ^ 鈴木(2010)、pp.63,64
  66. ^ 鈴木(2010)、pp.66-67
  67. ^ 鈴木(2010)、pp64-67
  68. ^ 鈴木(2010)、pp63-64





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