大江健三郎 主題系

大江健三郎

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主題系

監禁状態・性的人間

最初期の大江の作品を論じるときに決まって引用されるのが、1958年の第一作品集『死者の奢り』の後書きに記された次の一文である。「監禁されている状態、閉ざされた壁の中に生きる状態を考えることが、一貫した僕の主題でした」[72]。大江は、一人称による感覚的な表現で、犬殺し、死体運搬人、カリエス患者、偽学生、捕らえられた黒人兵、少年院の少年、など多彩な題材のヴァリエーションでこの主題を展開した[72]。そして、占領下の生活を強いられた敗戦後の日本と日本人の「監禁状態」、未来に希望や確信を持てない青年の不安を描き出した[72]。これらは当時、大学の仏文科の学生として、ガリマールサルトルを読み込んで、サルトルの作品『壁』『自由への道』などから「壁の中」「猶予」という概念を獲得して、それに倣ってのものであった[73]

この「監禁状態」の主題からの次の展開として、大江は、独自の「政治的人間」と「性的人間」の二項対立を、主題に導き入れる。次の文章も、初期大江論で常に引用される文章である。「政治的人間は他者と硬く冷たく対立し抵抗し、他者を撃ちたおすか、あるいは他者に他者であることをみずから放棄させる。」「性的人間はいかなる他者とも対立せず抗争しない。かれは他者と硬く冷たい関係をもたぬばかりか、かれにとって本来、他者は存在しない。かれ自身、他のいかなる存在にとっても他者でありえない。」「政治的に牝になった国の青年は、性的な人間として滑稽に、悲劇的に生きるしかない、政治的人間は他者と対立し、抗争し続けるだけだ」(「われらの性の世界」)。大江は、現実から疎外され、現実生活における行動の契機を奪われて停滞を余儀なくされている現代青年(性的人間)を描いていく[74]。『われらの時代』(1959)『遅れてきた青年』(1962)『叫び声』(1963) の登場人物は、日米安保体制の下政治的にアメリカに従属しながらではあるが、それなりのは経済的繁栄や安定を手にしつつあった戦後日本社会(政治的に牝になった国)において、日常生活に埋没することを忌避しながらも、そこでしか生き得ない自分を嫌悪して、狂気や暴力に惹かれていく青年である。彼らは戦争を渇望したり、外国への脱出を希望する[75]。しかし願いは叶うことはなく、やがて破滅して「敗北の確認」といった形で小説は終わる。

共生・核時代・祈り

戦後社会を呪詛する絶望的な青年像を描いてきた大江にとって、大きな転機となったのが、1963年6月の長男の大江光の誕生であった。この出来事は、これまでの創作において、否定的に表象されてきた「日常」に大江を引き戻す契機となった[76]。光の誕生を題材として書かれた1964年の『個人的な体験』はこの関心の変容を、物語の展開として孕んでいる[77]。主人公の「鳥(バード)」は、それまでの大江の作品の主人公と同様に、現実逃避的な心性から、アフリカへ逃避する願望を持っている。「鳥」は生まれてきた脳に重い障害をもつ赤ん坊を見棄てるか、手術を受けさせて生かすかの決断の前で揺れて、最終的には回心してアフリカへの幻想を捨てて、子供とともに生きる覚悟を決める[78]。大江の現実世界に対する関心もまた、従前の日米安保体制下での軍事的、政治的従属を批判的に捉えるという眼差しから、より世界的な拡がりのある「ヒロシマ」を中心とする「核」の問題へと移ることになる[79]

大江は、光の誕生と同年の1963年8月の原水爆禁止世界大会を取材し、その後も原爆病院の医師や原爆の生存者に取材を重ねて1965年に『ヒロシマ・ノート』を出版している。『ヒロシマ・ノート』は冒頭こう書き始められる。「このような本を、個人的な話から書きはじめるのは、妥当でないかもしれない。」「僕については、自分の最初の息子が瀕死の状態でガラス箱のなかに横たわったまま恢復のみこみはまったくたたない始末であった。」この私生活の苦しい状況の中での取材で、大江は悲惨な体験をした広島の人々の生き方から励ましを受け取る。そしてこう述べている。「まさに広島の人間らしい人々の生き方と思想とに深い印象をうけていた。僕は直接かれらに勇気づけられたし、逆に、いま僕自身が、ガラス箱のなかの自分の息子との相関においておちこみつつある一種の神経症の種子、頽廃の根を、深奥からえぐりだされる痛みの感覚をもあじわっていた。そして僕は、広島とこれらの真に広島的なる人々をヤスリとして、自分自身の内部の硬度を点検してみたいとねがいはじめたのである。」[80]障害を持つ子供との共生という個人的な問題と世界規模の核状況という一見、対極的な二つの問題は、大江にとって当初からひと繋がりのものである[81]。『個人的な体験』には核状況は主題として取り込まれており、(赤ん坊の誕生時期を二年遡行させて)1961年のソ連による通称「ツァーリ・ボンバ」の水爆実験が描かれる。そして、赤ん坊をどうするべきか、という個人的な問題に閉じ込められて、世界規模の脅威に感応しえなくなった主人公「鳥(バード)」の姿が描かれて、私的な問題との対比で核の問題の重大さが強調された[82]。「核」の問題と「共生」の問題は、現実世界の最大の暴力である核に対して最も無力な存在としての障害児として大江の想像力の中で関連づけられて、以後の作品においてもこの二つの主題が同時に現れることになる[82]

1973年の『洪水はわが魂に及び』の核シェルターに閉じこもる主人公・大木勇魚とその子供で知的障害をもつ幼児ジンと交流をする不良少年たち「自由航海団」は、初期作品の『われらの時代』の「不幸な若者たち(アンラッキー・ヤングメン)」や『叫び声』の「友人たち(レ・ザミ)号」の乗員たちと同類型の登場人物である。しかし本作は「洪水」に核時代の始まりというイメージが重ねられているように、核状況の終末観を背景としていること、そして、それに対抗するものとしての「祈り」が主題として登場することにおいて新しい[83]。この「祈り」は神などの特定の祈る対象のない「祈り」であり、大江自身の説明によるならば「人間存在の破壊されえぬことの顕現」(ミルチャ・エリアーデ)を感得するためのものである[84]

長男・光と「祈り」との関係については、1987年10月に東京女子大学で行われた「信仰を持たないものの祈り」(『人生の習慣』)という講演があり、そこで大江は次のような回想をしている。光は、四歳になっても能動的に言葉を話さず、意思疎通が難しかったが、鳥の声のテレビ番組には関心を示した。そこで鳥の声のレコードを買ってきて、自宅で一日中流し続けていた。一年後、北軽井沢の林で長男と散歩していると、クイナが鳴いた直後に長男が「クイナです」と反応した。幻聴かと緊張しながら、鳥がもう一度啼いたらいいと思い、そのときに自分の心の中に「ある祈りのようなもの」を感じた。そしてもう一度クイナが鳴き、光はまた「クイナです」と言った。大江は、この場面を次のように説明している。「祈ったというよりも、集中していたというほうが正しいかもしれませんけど。目の前に一本の木がありましてね。(......)いま自分がこの木を見て集中している、ほかのことを考えないでコンセントレートしている。このいまの一刻が、自分の人生でいちばん大切な時かもしれないぞ、と思っていたんです。」[85]この一種の啓示体験が『洪水はわが魂に及び』に設定として取り込まれた[86]

1983年の作品『新しい人よ眼ざめよ』はヴァルネラブルな父と子が、『洪水はわが魂におよび』のように社会の外に退避するのではなく、社会の中でどう生きていくのかを書く試みであった。虚構性の低い私小説的な作りの小説の中で、日常生活の中で光の存在から受けた多様な気づきにウィリアム・ブレイクの詩が重ね合わされていく[87]。大江がブレイクの神秘主義的な「死と再生」のヴィジョンに深く揺り動かされたのは、大江が既に、ブレイクのヴィジョンに共通するところのある「人間存在の破壊されえぬことの顕現」を光との共生によって見出してきていたことに由来し、また、ブレイクを介することによって大江は「障害を持って生まれざるをえなかった息子についての遺恨の思いと「罪のゆるし」、自分のきたるべき死と、息子ともどもの再生への思い」をあらためて把握し直すことになった。作品においては、息子との共生の時々が、ブレイクのヴィジョンを触媒にして、瞬時に、驚きに満ちた解放感を伴って、普遍的な光景として救出されていく[88]。本作においても、核状況下の現代世界における極小的な弱者である障害児と、それに拮抗する極大的な暴力である核というモチーフは引き継がれており、結末において、ブレイクの詩に導かれて光の存在に「凶々しい核時代」に拮抗する「新しい人」を見出して終わる[89][90]

「信仰を持たないものの祈り」というテーマは、この後も『人生の親戚』、『懐かしい年への手紙』とその後日譚となる『燃えあがる緑の木』『宙返り』に引き継がれていく[91]

天皇制と森の神話

『個人的な体験』な体験を境にして、大江の作品は質的に変化する。作品世界がそれまでの水平型な「脱出」のモチーフから、垂直型の空間体験に変わる。このことは『万延元年のフットボール』に顕著に見られ、自宅の庭に掘った穴ぼこに潜り込んだ主人公の描写から物語は始まり、終章で故郷の屋敷の地下に座り込んだ主人公の思念が語られる。主人公はアイデンティティの回復を求めて父祖の地に戻り、父祖の歴史の真相を探り、未来に想像力を働かせる[92]。こうした縦の関係の探究は、幼少期の体験として心理的な傷となった父の死と天皇性の問題を掘り起こすことにもなった[92]。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』で、失われた父の全容を復元しようとする中で、父はしばしば超越者と混同されるが、三島由紀夫のクーデター未遂を受けて書かれた1972年の『みずから我が涙をぬぐいたまう日』では明確に天皇制の問題となった[93]

1967年に出版された『万延元年のフットボール』は、当時の色川大吉安丸良夫らによって先導された民衆史との並行関係が指摘されるように[94]、歴史を権力の側からではなく、民衆の側から見ようとする試みであった。執筆当時は、建国記念の日の制定や、政府主導の「明治百年」記念イベントが大々的に展開されるなど、復古主義的な動きがあり、大江はそれに大きな違和感を抱いており[95]、これが作品成立の背景にある。1965年に本土復帰前の沖縄を訪れた大江は、日本本土の天皇という中心を指向する文化とは別の文化を発見して大きな衝撃を受けている。日本的というよりアジア的な宇宙観、神話構造に根ざした民衆文化を知ることで、四国の森の中の故郷の土地を新しい眼で見るきっかけを得ており、これが作品に反映されている[95]

1979年に発表された『同時代ゲーム』は、幼少期に祖母などから聞いた故郷の伝承を手がかりにして、ロシア・フォルマリズムミハイル・バフチン構造主義などの知見を援用する形で、大江の故郷の森の谷間の村の神話を再構築した[96]。大江は、執筆の動機として天皇との関係を述べている。「僕がこの森のなかの「共同体」を、はじめてそこに古代国家を建設した人びとのものとして成立させえたことの(かれらがじつはその「場所」の侵犯者ではないかという疑いもまた、隠された主題としてあるのではあるが)その根本的な条件としては、僕が中心志向の天皇制文化とは対極にある、周縁志向の反・天皇制文化をひとつの全体として表現することをめざしたということがあると思う。アマツカミという中心の、万世一系の末裔=天皇を頂点に置いた世界モデルとしての日本文化。それに対立する、クニツカミという多様な周縁的存在につながるものとしての世界モデル。僕はそのような文化に、自分の希求する共同体文化の中核(共同体文化の中核に傍点)を想定し、そこに「位置する」はたらきに、自己の個人の中核(個人の中核に傍点)に「位置する」はたらきをかさねることをめざして、この小説を書いたのである。」[97]

『同時代ゲーム』は1986年に、ナラティブを変えて、やわらかい口語的な文体で『M/Tと森のフシギの物語』にリライトされる。『同時代ゲーム』では、森の谷間の「村=国家=小宇宙」の創建者「壊す人」や「父=神主」の父権的な族長(ぺイトリアーク)をめぐる歴史に主眼が置かれたが、『M/Tと森のフシギの物語』では女族長(メイトリアーク)とトリックスターという二つの神話原型が物語の枠組みとなった[98]。そして最終章に語り手「僕」の母親と「僕」の息子ヒカリ(光)と交感のエピソードを置き、『万延元年のフットボール』から『同時代ゲーム』へと大江が追求してきた「森の神話」の作品群と、『個人的な体験』から『新しい人よ眼ざめよ』に至る「共生」の物語群が交錯することとなった[99]。併せて『同時代ゲーム』において傍系的な挿話であった「森のフシギ」が、土地の人間が生まれ、育ち、死んでいく、いのちのおおもと、個でありながら一つの全体性を形作る共同幻想として物語の中心に据えられ、ウィリアム・ブレイクやダンテにつながる神秘思想的な世界観が示された[100]


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  190. ^ & 戦後日本の政治と文学.






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