大国実頼 死後の大国家

大国実頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 09:20 UTC 版)

死後の大国家

実頼の死後、大国家は一時断絶するが、米沢藩2代藩主・上杉定勝の代に、弟・樋口秀兼の子・光頼を養子に迎える形で再興された。なお王子製紙会長であった大國昌彦は大国家(光頼子孫)直系にあたる。

実子・阿虎とその子孫

娘の阿虎は実頼出奔後、兄・兼続が預かり、慶長14年(1609年)に兼続の養女として本多政重に嫁いだ。後に政重が上杉家を離れ前田家に帰参すると、夫の居る加賀国へ行き、同地で没した。この時、本庄長房[注 2]ら多くの者が、阿虎に従って政重に仕えた。阿虎の子、政次は母に先立って早世した。政次の子、樋口朝政は甥の本多政長に仕え、その子の定政は加賀藩馬廻役、青地家(1000石)に養子入りした。子孫には、『可観小説』の作者で室鳩巣の高弟である儒学者の青地礼幹が知られている。

脚注

参考文献

  • 花ヶ前盛明『上杉謙信大事典』新人物往来社、1997年。 
  • 鶴崎裕雄 著「直江兼続・大国実頼兄弟と寄合の文芸―『亀岡文殊堂奉納詩歌百首』の歴史的意味―」、花ヶ前盛明監修 編『直江兼続の新研究』宮帯出版社、2009年。 

大国実頼を演じた俳優


注釈

  1. ^ 「御家中諸士略系譜」(『上杉御年譜』23所収)に記載されているのみであり、景勝の清華成以前に、その家臣が諸大夫成するのは原則的としてないことなど諸説ある。
  2. ^ 政重以前に兼続の養子であった。

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