原研哉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 05:57 UTC 版)
はら けんや原 研哉 | |
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2012年 日本デザインセンターにて | |
出生地 | 岡山 |
芸術分野 | コミュニケーションデザイン、アイデンティフィケーションデザイン[1] |
教育 | 武蔵野美術大学大学院 デザイン専攻修了[2] |
ウェブサイト | https://www.ndc.co.jp/hara/ |
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科教授、株式会社日本デザインセンター代表取締役。日本グラフィックデザイナー協会副会長を務める。広告のほか、アートディレクション、企画、運営も担当。日本的な感性で、余白を生かしたデザインが特徴である。
人間の感覚の探究、新素材の魅力の発見など、多彩な発想で活躍。日本人の美意識にもこだわる。現代をデザインの観点から評する著作も多い。
来歴
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岡山市立弘西小学校、同市立旭中学校、岡山県立岡山操山高等学校を卒業。高校の同級生に、作家の原田宗典、政治学者の山口二郎、元参議院議員の姫井由美子。
1983年武蔵野美術大学大学院修了。同年日本デザインセンター入社。広告その他で活躍。幅広い領域のデザインプロジェクトを展開。
著作に『デザインのデザイン』(2003年)、『白』(2008年)など。
主な仕事
1998年長野冬季オリンピックの開会式・閉会式プログラムを手がける。同年山口県の梅田病院などのデザイン計画に関わる。2000年RE DESIGN展で世界インダストリアルデザインビエンナーレ大賞を受賞。以降、世界各国を巡回。
2001年松屋銀座のリニューアル計画、深澤直人と共に無印良品のボードメンバーに参加。2004年HAPTIC展、FILING展開催。またこの年より教鞭をとる武蔵野美術大学の卒業年次の学生と共にEx-formationという共同研究を開始する。2005年の愛知万博のプロモーションを担当。2007年SENSEWARE展開催。ほかに商品のデザイン、世界各地で企画展示・個展などを多数開催。
2015年7月、2020年夏季オリンピック東京大会の公式エンブレム入選3作品まで残った[3]。2015年11月、次点作となった自身の作品と展開例を公開し、花火になるエンブレム[4]などの13のコンセプトを説明[5]。
広報文化施設ジャパン・ハウス[6]総合プロデューサー[7]。
2021年3月、Xiaomiの新しいロゴをデザイン。
- ^ “原研哉さんに自動運転のカンファレンスへの登壇を依頼した理由” (2018年10月30日). 2019年3月3日閲覧。
- ^ “空間のデザインを進化させる、 原研哉氏が監修した新色カッティングシート®” (2015年11月13日). 2019年3月3日閲覧。
- ^ 「夢だと思った」2020年東京五輪のエンブレムに佐野研二郎氏 104件から選定 Art Annual online、2015年7月27日
- ^ 10. 花火になるエンブレム
- ^ 2020東京五輪エンブレム 第1回設計競技案
- ^ ジャパン・ハウスは電通に=入札2度目でようやく決定=来年度開設目指し前進 - ニッケイ新聞、2015年9月12日
- ^ ジャパンハウス=和風で奇抜な玄関が特徴=原、隈氏が外観を説明=伊勢神宮付近のヒノキ使用 - ニッケイ新聞、2016年2月27日
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