八幡温泉郷 歴史

八幡温泉郷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 01:46 UTC 版)

歴史

  • 始まりは寛文年間(1661年から1671年)で、京都妙覚寺住職日奥の跡を継いだ蓮昌寺(不受不施派)の僧である日船聖人(日船上人)が、サギが川辺で湯浴びをしているのをみて発見したと伝えられている。この湯が病気によく効くとの評判で、近住の人々から重宝がられた[8][9]
  • 幕末維新期の旭川の大洪水により温泉場が流され、湯源も埋没[8]
  • 1899年 - 中国鉄道(現在のJR津山線)の八幡鉄橋付近の床堀工事中に、相当温度の高い湯源が再び発見される[8]
  • 1900年 - 八幡温泉株式会社が設立される。その後、華やかな温泉場として賑わった[9]
  • 明治末期から大正の初期にかけて次第に衰退し、宿屋等の建物が次々に取り壊された[8]。大正初期には八幡温泉株式会社も廃業[9]
  • 1958年 - 八幡温泉旅館が泉源を整備して開業[9]
  • 1964年 - 八幡の瀬の護岸工事中に多量の湯が噴出し、付近には相当高温の湯源があることが示唆されたため湯源の開発に着手。同年7月に全国屈指のラジウム含有量と県下でも有数の湧出量を誇る湯源を確保し「八幡温泉」と命名[8]
  • 1968年 - 有限会社八幡温泉旅館が設立される[10]
  • 1982年 - 農林水産省農業土木試験場の協力を得て、新たに第二の湯源を発見し「新八幡温泉」と命名[8]
  • 1988年 - 建部町が体験学習施設「めだかの学校」を開校[11]
  • 1990年 - 岡山県による「建部国際交流ヴィラ」と建部町による「建部町国際温泉会館」および「おもちゃの宿」を、一体的に整備した施設を設置[12]
  • 1992年 - 八幡温泉旅館の新館として「八幡温泉 寿」が開館[10]
  • 1994年 - 「めだかの学校」に、NTT福渡支店からの寄贈機材を基に「旭川ミニ淡水魚水族館」を併設[11]
  • 2001年 - 「めだかの学校」に、「おもちゃの宿」および「ヨーグルト工房」(建部町川口から移転)を併設し、建部町観光公社「やはたの里」として、リニューアルオープン[11]
  • 2002年 - 「八幡温泉 寿」が閉館。
  • 2002年 - 「みずほ荘」が閉館。
  • 2006年 - 体験学習施設「めだかの学校」が、建部町環境学習センター「めだかの学校」として再出発[11]
  • 2007年 - 建部町が岡山市に合併。「めだかの学校」が、岡山市教育委員会所管施設「岡山市環境学習センター めだかの学校」となる[11]
  • 2009年 - 岡山県の国際交流ヴィラ事業撤退後に岡山市が引き継がず、「建部国際交流ヴィラ」閉館。「建部町国際温泉会館」は「建部町温泉会館」に改名。岡山市は八幡温泉郷の再整備にあたりプロポーザル型事業としての可能性を探る。
  • 2010年 - 岡山市が八幡温泉郷の再整備案を示す[13]
  • 2012年 - 建部町温泉宿泊研修センター「サンタケベ」が閉館。跡地にサンタケベと建部町温泉会館を集約した温泉施設の設置が決まる。
  • 2013年 - 「建部町温泉会館」が耐震リニューアル。
  • 2015年3月 - 「建部町温泉会館」が閉館。
  • 2015年4月 - 「たけべ八幡温泉」が開業。



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