兒玉秀雄
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児玉 秀雄[注 1](旧字体:兒玉 秀雄、こだま ひでお、明治9年(1876年)7月19日 - 昭和22年(1947年)4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。
注釈
- ^ 学術誌、研究書、辞典類における歴史人物としての表記は「児玉秀雄」、『職員録』など存命中の刊行物における表記は正字体に統一の慣例により「兒玉秀雄」、御署名原本における大臣副書の署名は「兒玉秀雄」である。なお父源太郎は大臣副書に「児玉源太郎」と署名していた。
出典
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、19頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。
- ^ 『官報』第6953号「叙任及辞令」1906年8月31日。
- ^ 『官報』第8469号「叙任及辞令」1911年9月12日。
- ^ 『官報』第1268号「叙任及辞令」1916年10月21日。
- ^ 『官報』第2767号「叙任及辞令」1921年10月21日。
- ^ 『官報』第2839号「叙任及辞令」1922年1月21日。
- ^ 『官報』第1233号「叙任及辞令」1931年2月10日。
- ^ 『官報』第7280号「叙任及辞令」1907年10月3日。
- ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
- ^ 『官報』第743号「叙任及辞令」1915年1月26日。
- ^ 『官報』第1850号「叙任及辞令」1918年10月2日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
- ^ 『官報』第293号「叙任及辞令」1927年12月19日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第5398号「宮廷録事」1945年1月16日。
- ^ 『官報』第902号「叙任及辞令」1915年8月4日。
- ^ a b 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』吉川弘文館、1996年、P596 - P597。
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