低ザクセン語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/30 10:08 UTC 版)
歴史
低ザクセン語の歴史は大きく古代・中世・現代に分けられる。
古ザクセン語(800年[3]–1200年)
古ザクセン語はエルベ川の近辺で生じたと考えられている言語が基になっており、古フランク語、古英語、古フリジア語とともに北海ゲルマン語に分類され、今日の低ザクセン語と英語の基になったとされる(英語では低ザクセン語を低サクソン語、英: Low Saxonと呼ぶ)。実際に文字として現われるのは9世紀からである。上述の通り、近年までドイツ政府は国民国家を目指した民族政策から低ザクセン語は標準ドイツ語の起源である中東部ドイツ語の方言と判断しており、その辻褄を合わせるために古ザクセン語も「古低地ドイツ語」(Altniederdeutsch)と呼称していた。しかしこれは明確な(或いは確信的な)誤りで、「古ザクセン語」(Altsächsisch)と呼称するのが正当であるとする見解がある。
中世ザクセン語(1200年–1650年)
古ザクセン語の時代、徐々に北ドイツやそれに近い地域へ広まっていった低ザクセン語は、中世時代に飛躍の時を迎える。北方はバルト海の海上貿易を一手に担い、近世ヨーロッパにその名を知らしめたハンザ同盟の公用語とされたのである。ハンザ同盟の勢力拡大と共に北欧へと進出した低ザクセン語は現地の言葉と混ざり合い、自らと北欧の言語の双方に新たな変化を与えた。
古いドイツ関連の資料ではこの低ザクセン語による北欧諸言語への影響を「(標準)ドイツ語の成果」としている物が多いが、これも誤りである。
現代ザクセン語(1650年–)
17世紀後半からは、Neddersassischという呼称は徐々にPlattdüütschという呼称に取って代わられるようになった[3]。
現代の低ザクセン語は多数の方言を抱えているが、相互理解の手段である標準語は制定されていない。これは低ザクセン語が幾つかの国に存在する事や、大多数が占める北ドイツの話者が、長年に亘ってそれぞれ一方言という地位に押し込められていたためである。オランダで幾つかの方言を纏めて標準語を作ろうとする試みも見られたが、低ザクセン語全体の統合には程遠い状況にある。
- ^ 亀井孝・河野六郎・千野栄一編著、『言語学大辞典セレクション・ヨーロッパの言語』三省堂、1998年、275頁。
- ^ a b エスノローグ ドイツにおける諸言語の項目より 低ザクセン語
- ^ a b 亀井孝・河野六郎・千野栄一編著、『言語学大辞典セレクション・ヨーロッパの言語』三省堂、1998年、282頁。
- ^ Sanders, W: "Sachsensprache — Hansesprache — Plattdeutsch. Sprachgeschichtliche Grundzüge des Niederdeutschen, Göttingen 1982
- ^ Institut für niederdeutsche Sprache - Zeitschriften Archived 2007年1月18日, at the Wayback Machine.
固有名詞の分類
- 低ザクセン語のページへのリンク