仮名手本忠臣蔵 七段目・大臣の錆刀

仮名手本忠臣蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 03:03 UTC 版)

七段目・大臣の錆刀

あらすじ(七段目)

祇園一力茶屋の段)ここは京の都、遊郭や茶屋の連なる夜の祇園町。その祇園町の一力茶屋に師直の家来鷺坂伴内とともにいるのは、もと塩冶の家老斧九太夫である。九太夫は師直の側に寝返り内通していた。

二人は大星由良助が、仇討ちを忘れてしまったかのように祇園で放蕩に明け暮れているという噂を聞き、それを確かめにきていたのだったが、由良助は二階座敷で遊女たちを集め酒宴を開き、高い調子で太鼓や三味線を囃させ騒いでいる。これを下から見ていた九太夫も伴内も呆れるが、なおも由良助の心底を見極めようと、座敷に上がり、ひそかに様子を伺うことにした。

そのあと、もと塩冶の足軽寺岡平右衛門の案内で、これも塩冶浪士の矢間十太郎、千崎弥五郎、竹森喜多八の三人が一力茶屋を訪れる。矢間たちも由良助の放蕩を聞き心配して尋ねに来たのだったが、敵討ちのことを尋ねられた由良助は酔っ払ってまともに相手にならない様子である。怒った矢間たちは「性根が付かずば三人が、酒の酔いを醒ましましょうかな」と由良助を殴ろうとするも、平右衛門に止められる。敵討ちの同志に加わりたいと平右衛門は由良助に願い出るが、由良助は話をはぐらかして相手にせず、敵討など「人参飲んで首くくるような」馬鹿げたものだと言い放つ。矢間たちはいよいよ腹を立て、「一味連判の見せしめ」と由良助を斬ろうとするが平右衛門は矢間たちをなだめ、ひとまず別の座敷へと三人をいざないその場を立った。

由良助は酔いつぶれて寝ている。そこへ人目を避けながら力弥が現われるとむっくと起きた。力弥はかほよ御前からの急ぎの密書を由良助に渡し、またその伝言として師直が近々自分の領国に帰ることを告げて去る。由良助が密書を見んと封を切ろうとするところ、九太夫が現われる。

「忠臣蔵 七段目」 九太夫と酒を飲む由良助。そのまわりを仲居幇間が取り巻く。広重画。

由良助は九太夫と盃を交わす。今日は旧主塩冶判官の月命日の前日、すなわち逮夜で本来なら魚肉を避けて精進すべき日であった。九太夫は由良助の真意を探ろうと、わざと肴の蛸を勧めるが、由良助は平然とこれを食し、幇間や遊女たちと奥へと入る。伴内が出てきて「主の命日に精進さへせぬ根性で、敵討ち存じもよらず」と九太夫と話すが、ふと見ると由良助は自分の刀を置き忘れていた。「ほんに誠に大馬鹿者の証拠」と、こっそり由良助の刀を抜いて見ると、刀身は真っ赤に錆びついている。「さて錆たりな赤鰯、ハハハハハ…」と嘲笑する二人。だが九太夫は、まだ由良助のことを疑っていた。最前、力弥が来て由良助に書状を渡すのを見かけたからで、それについての仔細を確かめるべく、座敷の縁の下に隠れて様子を伺うことにする。伴内は九太夫が駕籠に乗って帰ると見せかけ、空の駕籠に付き添い茶屋を出て行った。

あの勘平の女房おかるははたして遊女となっていたが、今日は由良助に呼ばれてこの一力茶屋にいた。飲みすぎてその酔い覚ましに、二階の座敷で風に当っている。その近くの一階の座敷、由良助が縁側に出て辺りを見回し、釣燈籠の灯りを頼りにかほよからの密書を取り出し読み始めた。そこには敵の師直についての様子がこまごまと記されている。だがそれを、二階にいたおかると縁の下に隠れていた九太夫に覗き見されてしまう。密書を見るおかるのが髪からとれて地面に落ちた。その音を聞いた由良助ははっとして密書を後ろ手に隠す。「由良さんか」「おかるか。そもじはそこに何してぞ」「わたしゃお前にもりつぶされ、あんまり辛さに酔いさまし。風に吹かれているわいな」

「七段目」 かほよ御前からの書状をひそかに読む由良助だったが、二階からはおかるが、縁の下には九太夫が潜んで書状を覗き見る。勝川春英画。

由良助は、おかるにちょっと話したい事があるから、そこから降りてここに来るよう頼む。そばにあった梯子で、わざわざおかるをふざけながら下へと降ろす由良助。そしておかるに「古いが惚れた」、自分が身請けしてやろうと言い出した。男があるなら添わしてもやろう、いますぐ金を出して抱え主と話をつけてやるといって、由良助は奥へと入った。

夫勘平のもとへ帰れるとおかるが喜んでいると、そこに平右衛門が現れる。おかるはこの平右衛門の妹であった。おかるは由良助が読んでいた書状の内容について、平右衛門にひそかに話した。平右衛門「ムウすりゃその文をたしかに見たな」おかる「残らず読んだその跡で、互いに見交わす顔と顔。それからじゃらつき出して身請けの相談」「アノ残らず読んだ跡で」「アイナ」「ムウ、それで聞えた。妹、とても逃れぬ命、身共にくれよ」と平右衛門は刀を抜いておかるに斬りかかろうとする。驚くおかる、ゆるして下さんせと兄に向って手を合わせると、刀を投げ出しその場で泣き伏した。

平右衛門は、父与市兵衛が六月二十九日の夜、人手にかかって死んだことをおかるに話した。おかるはびっくりするが、「こりゃまだびっくりするな。請出され添おうと思ふ勘平も、腹切って死んだわやい」と、勘平もすでにこの世にいないことを話す。あまりのことに兄に取り付き泣き沈むおかる。だがあの由良助がおかるをわざわざ身請けしようというのは、密書の大事を漏らすまいと口封じに殺すつもりに違いない。ならば自分が妹を殺し、その功によって敵討ちに加えてもらおうと、平右衛門は悲壮な覚悟でおかるに斬りつけたのである。「聞き分けて命をくれ死んでくれ妹」と、おかるに頼む平右衛門。

おかるは、「勿体ないがとと様は非業の死でもお年の上。勘平殿は三十になるやならずに死ぬるのはさぞ口惜しかろ…」となおも嘆くが、やがて覚悟を決めて自害しようとする。そこに由良助が現れ、「兄弟ども見上げた疑い晴れた」と敵と味方を欺くための放蕩だという本心をあらわし、平右衛門は東への供を、すなわち敵討ちに加わることを許し、妹は生きて父と夫への追善をせよと諭す。さらにおかるが持つ刀に手を添えて床下を突き刺すと、そこにいた九太夫は肩先を刺されて七転八倒、平右衛門に床下から引きずり出された。

由良助は九太夫の髻を掴んで引き寄せ、「獅子身中の虫とはおのれが事、我が君より高知を戴き、莫大の御恩を着ながら、かたき師直が犬となって有る事ない事よう内通ひろいだな…」と、あえて主君の逮夜に魚肉を勧めた九太夫を、土に摺りつけねじつける。九太夫はさらに平右衛門からも錆刀で斬りつけられ、のた打ち回り、ゆるしてくれと人々に向って手を合わせる見苦しさである。由良助は、ここで殺すと面倒だから、酔いどれ客に見せかけて連れて行けと平右衛門に命じる。そこへこれまでの様子を見ていた矢間たち三人が出てきて言う、「由良助殿段々誤り入りましてござります」。由良助「それ平右衛門、喰らい酔うたその客に、加茂川で、ナ、水雑炊を食らはせい」「ハア」「行け」

⇒(八段目あらすじ

解説(七段目)

「七段目」 八代目尾上芙雀のおかる (左) と、十三代目守田勘彌の大星由良助。明治43年(1910年)11月、東京市村座。

大石内蔵助が敵の目を欺くため、京の祇園の遊郭で遊び呆けてみせるというのは「忠臣蔵」の物語ではおなじみの場面だが、そのおおもとになったのがこの七段目である。もっともこの七段目も、初代澤村宗十郎の演じた芝居がもとになっている(後述)。

この七段目は別名「茶屋場」とも呼ばれる。六段目で暗く貧しい田舎家での悲劇を見せた後、一転して華麗な茶屋の場面に転換するその鮮やかさは、優れた作劇法である。浄瑠璃では竹本座での初演時に6人の太夫の掛合いで以ってこの七段目を語っており、現行の文楽でも複数の太夫の掛合いで上演されている。浄瑠璃は「花に遊ばば祇園あたりの色揃え…」の唄に始まり(歌舞伎でもこの唄を下座音楽にして始まる)、綺麗な茶屋の舞台が現れる。

斧九太夫は師直の内通者、いわばスパイとして鷺坂伴内とともに登場する。さらにここに足軽の寺岡平右衛門が矢間、千崎、竹森の三人を連れてくる。これを「三人侍」というが、歌舞伎では同じ塩冶浪士でも、違う人物に替えて出すこともある。茶屋の喧騒の中、これらの敵味方が入り混じって由良助の真意を探ることになる。

仲居と遊ぶ由良助は紫の衣装が映える。心中に抱いた大望を隠し遊興に耽溺する姿は、十三代目片岡仁左衛門が近年随一だった。彼自身祇園の茶屋でよく遊んでいたので、地のままに勤めることができたのである。平右衛門は、十五代目市村羽左衛門、二代目尾上松緑が双璧。おかるは、六代目尾上梅幸が一番といわれている。

前半部の由良助が九太夫と酒を飲む茶屋遊びの件りでは、仲居や幇間たちによる「見たて」が行われる。見たてとは、にぎやかな囃子にのって、小道具や衣装ある物に見たてることである。九太夫の頭を箸でつまみ「梅干とはどうじゃいな」、酒の猪口(ちょこ)をの上に置き「義理チョコとはどうじゃいな」、手ぬぐいと座布団で「暫とはどうじゃいな」といった落ちをつける他愛もない内容だが、長丁場の息抜きとして観客に喜ばれる。いずれも仲居や幇間役の下回り、中堅の役者がつとめる。彼らにとっては幹部に認めてもらう機会であり、腕の見せ所となっている。

幕切れ近く「やれ待て、両人早まるな」の科白で再登場する由良助は鶯色の衣装で、性根が変わっているさまを表す。歌舞伎では幕切れは、平右衛門が九太夫を担ぎ、由良助がおかるを傍に添わせて優しく思いやる心根で、扇を開いたところで幕となる。文楽では平右衛門が、両腕で九太夫を重量上げのように持ち上げるという人形ならではの幕切れを見せる。

三代目澤村宗十郎の大岸蔵人。写楽画。

この七段目の由良助は、初代澤村宗十郎の演技を手本として取り入れたものと伝わっている。『古今いろは評林』には次のようにある。

「…延享四卯年(1747年)、京都中村粂太郎座本の時、大矢数四十七本と外題して澤村宗十郎〈後に助高屋高助 元祖 訥子〉大岸役にて、六月朔日より初日、出して大入りを取りし也…今の仮名手本七ツ目(七段目)は此の時澤村宗十郎が形と成りて、凡そ其の俤を手本と成り来たれり…」

これは初代宗十郎が『大矢数四十七本』という忠臣蔵物の芝居で、大石内蔵助に当る「大岸宮内」という役を勤めたときの事を記しており、また『古今いろは評林』には由良助を当り役とした役者として、二代目宗十郎三代目宗十郎の名があげられている。大石に当る役で茶屋遊びをするという初代宗十郎の芸が源流となって浄瑠璃の七段目が成立したが、一方それが二代目宗十郎、三代目宗十郎へと七段目の由良助として伝えられたのである。

なお大星由良助ではない「大岸宮内」の系統は、『仮名手本』上演後も演じられている。寛政6年(1794年)5月、江戸都座において『花菖蒲文禄曽我』(はなあやめぶんろくそが)が上演された。これは亀山の仇討ちを題材としたもので忠臣蔵物とは関わりがないが、このとき三代目宗十郎が演じたのが桃井家の家老「大岸蔵人」で、この大岸がやはり祇園町で遊ぶ場面があったようである。このときの宗十郎扮する大岸蔵人は東洲斎写楽のほか初代歌川豊国、勝川春英などが描いているが、紋所が宗十郎の定紋である「丸にいの字」になっているほかは、いずれも七段目の由良助そのままの姿である。


  1. ^ 『近世邦楽年表 義太夫節之部』(六合館、1927年)106頁[1]など。
  2. ^ 松島(1964) p156
  3. ^ 赤間亮「最初の赤穂義士劇に関する憶説」。なおこれ以前に『東山栄華舞台』という赤穂事件を当て込んだ芝居が江戸で上演されたといわれているが、その真偽については確認されていない。また元禄16年10月に竹本座で上演されたという浄瑠璃『傾城八花形』も、その内容が赤穂事件に関わりがあるといわれるが、実際には赤穂城明け渡しなどをほのめかす記述がわずかにあるばかりで、赤穂事件を題材とした作とはいえない(『浄瑠璃集』(1985)『傾城八花形』解説)。
  4. ^ 師守記』暦応4年3月29日条ほか。『大日本史料』第六編之六参照[2]
  5. ^ 『国史大辞典』第五巻(吉川弘文館、1997年)486頁。
  6. ^ 内山美樹子「仮名手本忠臣蔵の作者」(『国文学 解釈と教材の研究』12月号第31巻15号所収、63-64頁)。
  7. ^ 『偽りの民主主義 GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』(浜野保樹 角川書店、2008年)122頁。
  8. ^ 『昭和ニュース事典』第8巻(昭和17年/昭和20年 毎日コミュニケーションズ、1994年)本編15頁(「忠臣蔵」などノー、総司令部が指導 昭和20年12月12日朝日新聞)、『偽りの民主主義 GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』(浜野保樹 角川書店、2008年)84頁。
  9. ^ 史実の吉良氏と高氏の関係に触れた論文としては、谷口雄太「中世における吉良氏と高氏」(初出:『新編西尾市史研究』2号(2016年)/所収:谷口『中世足利氏の血統と権威』 吉川弘文館、2019年)がある。
  10. ^ たとえば、松島(1964) p159






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