仮名手本忠臣蔵
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現行の歌舞伎での上演形態
『仮名手本忠臣蔵』は現在でもほぼその全段が演目として残っている稀な義太夫浄瑠璃・丸本歌舞伎である。ただし現行の歌舞伎では、上演時間等の都合によって以下のように内容を大幅に省略している。
- 大序 : おおむね省略なし。
- 二段目 : ほとんど上演されず、上演することがあっても改作の「建長寺」を二段目として出すことが多い。
- 三段目 : ほとんどの場合「どじょうぶみ」と「裏門」を省略し、また幕間を置かず次の四段目を続けて上演する。
- 四段目 : 「花籠」(花献上)が省略され、この四段目のあと清元『落人』を挿入する。
- 五段目 : 省略なし。普通ではこのあと幕を引かずに舞台を廻し、すぐに六段目の場となる。
- 六段目 : 原作冒頭のおかると母のやりとりから、一文字屋(お才)が訪ねて来るまでを略す。
- 七段目 : 冒頭の九太夫と伴内の登場を略す。なお現行では通しでもこの七段目までしか上演されず、その後に「討入り」の幕が付け加えられることがある。
- 八段目 : みどり狂言形式の興行で、独立した所作事として上演されることがある。
- 九段目 : これもみどり狂言形式の興行で、一幕物の演目として上演されることがある。ただしそれでも「雪転し」が通常省略される。
- 十段目 : ほとんど上演されない。
- 十一段目 : 現行の討入りの場面は原作の浄瑠璃の内容に基づくものではなく、幕末から明治にかけての後人の補筆によるものである。
要するに現行で上演される場合には、
- 大序
- 三段目・四段目
- 『落人』(ここまで昼の部)
- 五段目・六段目
- 七段目(このあと「討入り」の幕が付く事あり)
という構成になることが多い。なお通常二段目・八段目・九段目はあまり上演を見ないが、昭和49年(1974年)の国立劇場において逆に二段目・八段目・九段目だけを上演するという試みがあった。こうしないと、九段目までに至る力弥と小浪の関係がほとんどわからないからである。
- ^ 『近世邦楽年表 義太夫節之部』(六合館、1927年)106頁[1]など。
- ^ 松島(1964) p156
- ^ 赤間亮「最初の赤穂義士劇に関する憶説」。なおこれ以前に『東山栄華舞台』という赤穂事件を当て込んだ芝居が江戸で上演されたといわれているが、その真偽については確認されていない。また元禄16年10月に竹本座で上演されたという浄瑠璃『傾城八花形』も、その内容が赤穂事件に関わりがあるといわれるが、実際には赤穂城明け渡しなどをほのめかす記述がわずかにあるばかりで、赤穂事件を題材とした作とはいえない(『浄瑠璃集』(1985)『傾城八花形』解説)。
- ^ 『師守記』暦応4年3月29日条ほか。『大日本史料』第六編之六参照[2]。
- ^ 『国史大辞典』第五巻(吉川弘文館、1997年)486頁。
- ^ 内山美樹子「仮名手本忠臣蔵の作者」(『国文学 解釈と教材の研究』12月号第31巻15号所収、63-64頁)。
- ^ 『偽りの民主主義 GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』(浜野保樹 角川書店、2008年)122頁。
- ^ 『昭和ニュース事典』第8巻(昭和17年/昭和20年 毎日コミュニケーションズ、1994年)本編15頁(「忠臣蔵」などノー、総司令部が指導 昭和20年12月12日朝日新聞)、『偽りの民主主義 GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史』(浜野保樹 角川書店、2008年)84頁。
- ^ 史実の吉良氏と高氏の関係に触れた論文としては、谷口雄太「中世における吉良氏と高氏」(初出:『新編西尾市史研究』2号(2016年)/所収:谷口『中世足利氏の血統と権威』 吉川弘文館、2019年)がある。
- ^ たとえば、松島(1964) p159
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