仙台鎮台 仙台鎮台の概要

仙台鎮台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:23 UTC 版)

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仙台鎮台の発足

明治初めの日本の軍隊は、諸藩兵を集めたもので、政府直属の軍隊はなかった。この状態を変えるため、1871年(明治4年)に、東京に御親兵、地方に鎮台を置いた。東北地方の鎮台は東山道鎮台の名で計画され[1]東北鎮台として設置された[2]。東北鎮台の本営は石巻を予定したが、仙台城を利用できる仙台を当面の本営とした。1873年(明治6年)、鎮台条例の改定により、全国4鎮台を6鎮台に増やしたとき、東北鎮台の名を仙台鎮台に改めた[3]。石巻への鎮台設置は実現しないまま、仙台が正式に鎮台本営の地となった。

このとき、鎮台の管轄地を軍管と呼ぶことになった。仙台鎮台は東北地方にあたる第2軍管を管轄した。第2軍管は2つの師管に分けられた。現在の岩手県宮城県福島県にあたる東半分が鎮台直轄の第4師管青森県秋田県山形県にあたる西半分は青森を本営とする第5師管である。

軍備と出動

初期の鎮台の兵士は、士族出身志願者からなる壮兵であったが、1873年発布の徴兵令を期に徴集兵におきかえる施策が進んだ。仙台鎮台では1874年(明治7年)に歩兵1個大隊分だけを徴募する計画を立てた[4]

1875年(明治8年)改訂の「六管鎮台表」によれば、第4師管には歩兵第4連隊、第5師管には歩兵第5連隊が配置されることになっていた。ほかに騎兵第2大隊、砲兵第2大隊、工兵第2小隊、輜重兵第2小隊が仙台鎮台に属した。北海道は第2軍管の範囲外だが、南端にいる函館砲隊は仙台鎮台に属した[5]。定員は平時4340人、戦時6410人である[6]

以上は計画兵力であり、充足は容易ではなく、第4連隊の編成は1875年、第5連隊の編成は1878年となった[7]。また、受け入れる陣営がないという理由で1875年(明治8年)の騎兵・砲兵・工兵・輜重兵の徴兵は中止した[8]。工兵については、1874年(明治7年)に東京鎮台で壮兵の募集をかけ、後に仙台鎮台に回すという計画であった[9]

鎮台の主な任務は、管内の反乱の鎮圧にあった。1877年(明治10年)に九州で西南戦争が勃発した直後には、山形県鶴ヶ岡の士族が反乱する動きがあるとして、県の要請により2個小隊を派遣した[10]

1885年改正

1885年(明治18年)6月の鎮台条例改正で、6つの鎮台の兵力が均一にそろえられた[11]。各鎮台の主力は歩兵2個旅団(4個連隊)で、これに騎兵砲兵が各1個連隊、工兵輜重兵が各1個大隊加わる。仙台鎮台の第2軍管は、新潟県を加えて東北地方と新潟県を範囲とした。歩兵1個連隊を青森に、もう1個連隊を新潟県の新発田においたほか、兵力の過半は仙台に集中することとした。

この計画にもとづいて、部隊の増強が続いた。主力となる歩兵連隊で、1885年段階で編成が完了していたのは、第4第5第16の3個歩兵連隊である。歩兵第17連隊の編成はこの年にはじまり、1887年(明治20年)に完了した[12]。1887年に旅団以下の諸隊に属した兵力は8563人、その他鎮台に属する軍人・軍属は344人で、計8907人がいた[13]、この数字は実数で、定員に対する欠は2448人であった[14]


  1. ^ 『太政類典』第1編第106巻「東山西海両道ニ鎮台ヲ置キ兵部省ノ管轄ニ属ス」。
  2. ^ 『太政類典』第2編第205巻(兵制4・武官職制4)「鎮台ヲ諸道ニ置キ管所ヲ定ム」。
  3. ^ 『太政類典』第2編第205巻、「鎮台条例改定」。
  4. ^ 『太政類典』第2編第219巻「七年仙台鎮台管下歩兵一大隊徴募」、明治7年5月8日。第2軍管諸県あて陸軍省達。
  5. ^ 『太政類典』第2編第205巻「元箱館府砲兵ヲ仙台鎮台ノ取管トス」、明治8年5月30日陸軍省達。
  6. ^ a b 『公文録』第41巻「六管鎮台表国事兵額並配分表刻成届」。
  7. ^ 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想 (1)」、『北海道教育大学紀要』人文科学・社会科学編、第54巻2号、2004年2月、76 - 77頁。
  8. ^ 『太政類典』第2編第219巻「八年東京鎮台ノ外騎砲工輜重兵ノ内召募ヲ止ム」、明治7年12月15日。
  9. ^ 『太政類典』第2編第219巻「七年東京鎮台ニ於テ工兵二小隊編制ニ付志願ノ者召募」。明治7年8月17日、府県あて陸軍省布達。
  10. ^ 『太政類典』雑部第10巻「山形県下鶴ヶ岡士族暴挙ノ萌アルヲ以テ仙台鎮台ヨリ出兵」、明治10年2月22日。
  11. ^ a b 『公文類聚』第9編第6巻(兵制門・兵制総・陸海軍管制・庁衙及兵営城堡附・兵器馬匹及艦舩・徴兵)、「鎮台条例ヲ改正ス」。
  12. ^ a b c 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想 (9)」、『北海道教育大学紀要』人文科学・社会科学編、第59巻1号、2008年8月、104頁。
  13. ^ 『陸軍統計年報』第1回(明治20年)、「諸隊人員」。
  14. ^ 『陸軍統計年報』第1回(明治20年)、「諸卒欠員」。
  15. ^ a b 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想 (1)」、『北海道教育大学紀要』人文科学・社会科学編、第54巻2号、2004年2月、77頁。
  16. ^ a b 『陸軍統計年報』第1回(明治20年)、「諸兵隊配置累年比較」の仙台鎮台の欄にはどの年にも騎兵がない。
  17. ^ a b 改正官員録』。リンク先の89コマめから93コマめ。発行年不明だが、内閣等の人事から1882年から1883年と推定する。
  18. ^ 『陸軍統計年報』第1回(明治20年)、「諸兵営位置」。
  19. ^ 『陸軍統計年報』第1回(明治20年)、「無隊軍人軍属官庁別」。
  20. ^ 『陸軍統計年報』第1回(明治20年)、「諸隊人員」。以下、人数の出典は同じ。


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