中村道碩 中村道碩の概要

中村道碩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 07:19 UTC 版)

道碩は本因坊算砂の弟子とされる。京都に居住し、慶長年間には算砂、林利玄らとともに、禁裏公家屋敷、江戸城などに召し出されていたことが記録に残っている。(山科言経言経卿記』、神龍院梵舜『舜旧記』、船橋秀賢『慶長日件録』など)

慶長17年(1612年)に碁打衆、将棋衆8人に俸禄が与えられた際には、道碩は50石を受けた。これは算砂、利玄、大橋宗桂 (初代)に次ぐ。元和9年(1623年)、算砂より名人の印可状を受ける。この年に算砂が没するとその遺言により、算砂の養子で当時13歳の本因坊算悦の後見となり、嘉永7年(1630年)に算悦を上手(名人に先、七段)に進め、本因坊家を正式に継承(再興)させた。さらに弟子の井上因碩(玄覚)も禄を受けることを願い出て、家元井上家となった。同年没す。墓所は京都寂光寺

寛永3年(1626年)には二条城徳川秀忠御前で安井算哲と対局し(白番3目負)、御城碁の始めと考えられている。同6年(1629年)には江戸城で算哲と対局した。約60局の棋譜が残されており、中では安井算哲との碁が40局ほどを占める。後の本因坊丈和は道碩の棋譜を多く研究したという。

他の弟子には、寺井玄斎、法橋現碩(玄碩)、松原因策がいる。

令和5年(2023年)には日本棋院の第20回囲碁殿堂入り [1]


  1. ^ 中村道碩、牧野伸顕、加藤正夫が囲碁殿堂入り(第20回囲碁殿堂表彰)”. 日本棋院 (2023年11月9日). 2024年3月30日閲覧。


「中村道碩」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中村道碩」の関連用語

中村道碩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中村道碩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中村道碩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS