中川勝彦
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家族・親族
妻はサケ・マスふ化事業を導入・推進したことで知られる伊藤一隆の曾孫[7]桂子、娘はマルチタレントの中川翔子。なお教育者の大島正健は伊藤の義弟なので、中川は野尻抱影・大佛次郎兄弟とも姻戚関係で繋がっている(野尻は大島の娘婿なので、野尻の義母は中川の妻の曾祖父・伊藤の妹にあたる)。
人物
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趣味
- 怪獣映画や漫画を大変好んでいた。娘の翔子によれば、美男子シンガーとして有名な父親も、家では「怪獣オタクの変なお父さん」だったと語る。翔子が幼少期には「楳図かずお作品やゲゲゲの鬼太郎を読まないとちゃんとした大人になれないぞ」とまで言い、翔子と連れ立って本屋に出向いて漫画全集などを大量購入しては一緒に楽しんで、感想を述べ合っていたという。漫画や特撮ファンになったのも、父親の影響だという。
- 絵心があり、絵本の執筆なども行っていた。2006年の日本テレビ『24時間テレビ』のコーナー内で、1994年の翔子の9歳の誕生日に、娘が好きな猫の絵を描いて「鳥が空を恋ひ 魚が海を慕うように 私はあなたを 愛するのでしょう」と言うメッセージを添えて、病床から手作りのバースデーカードを贈ったエピソードが紹介された。彼の死後、翔子はたまたまインターネットで見てしまった父親に関するスキャンダルの噂にショックを受け、大切にしていたバースデーカードを衝動的にゴミ箱に捨ててしまったという(母親により元に戻され、今はまた大切に保管しているとのこと)。生前描いたイラストの数点は、中川翔子のイラスト作品集『ミラクルスケッチ』に収録されている。病床で描き上げ、1993年に刊行された絵本「未知の記憶〜Unknown Memory〜」は一度絶版になったが、2011年3月に復刻版が復刊ドットコムより発売された[8]。
人間関係
- 前述の通り、北野誠、兵藤ゆきとは、ラジオの共演などから大の親友だった。北野からは「勝彦」「かっちゃん」と呼ばれ、特に親しくしていた。まだ駆け出しであった頃、北野誠の実家において、2人がギターとピアノを弾きながら「こういう音楽をしたい」と、曲を披露した中川に北野は「それは売れへんで」と、自身の音楽の方向性について色々と模索していた。北野の実母からは、「ええ男や」ともてなされる。
- 織田哲郎とは、雑誌で対談したことがある[9][要出典]。
- B'zの松本孝弘は、スタジオ・ミュージシャン時代に、中川のサポート・ギタリストを務めていた[10]。
- Charとの共演のきっかけは、大阪でのLIVE時に当時バックバンドのギタリストだった是永巧一が大雪による交通マヒにより開演時間までの入りに間に合わず、たまたま大阪に遊びに行っていたCharに交渉したところ快諾を得て、サポートに駆けつけてくれることになったため[11]。その後意気投合し、ユニット「MAJI-MAGIC」を結成。アルバム制作にも協力を得ることになった。
出演作品
映画
- ねらわれた学園(1981年、東宝・(旧)角川春樹事務所) - 生徒・友田 役
- 海峡(1982年、東宝) - 高倉健・大谷直子の息子・阿久津修 役
- 転校生(1982年、ATG・日本テレビ放送網) - 一美の長兄・斉藤良行 役
- SPh(1983年、手塚眞監督) - 覗き魔トム 役 ※主演
テレビドラマ
- 月曜ドラマランド「時をかける少女」(1985年、フジテレビ) - 一夫 役
- 白虎隊(1986年12月30日 - 12月31日、日本テレビ) - 沖田総司 役
- 火煙高田馬場(1987年4月4日、日本テレビ)
- 土曜スーパースペシャル「喧嘩安兵衛 決闘高田ノ馬場」(1989年7月1日、日本テレビ)
- 奇兵隊(1989年12月30日 - 12月31日、日本テレビ) - 沖田総司 役 (白虎隊の映像を流用)
テレビアニメ
テレビ番組
- ミッドナイトin六本木(1984年 - 1985年、テレビ朝日) - 音楽コーナーのMCを担当
- TOKIOロックTV(1985年10月 - 1987年3月、テレビ東京)
CM
- サントリー「TESS」(1985年)
ラジオ
- ジョイフルポップ 火曜日担当(1987年4月 - 1989年3月、NHK-FM) - 桑田靖子と共演
- MBSヤングタウン金曜日(1986年10月 - 1987年3月、MBSラジオ)[1] - 兵藤ゆき・北野誠・ひかる一平・子守康範と共演
- 中川くんと太田くん(1989年10月6日 - 12月22日、ラジオ関西) - 太田貴子と共演
- ^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、113頁。NDLJP:12276264/57。
- ^ 『MBSヤングタウン』の共演者で親友でもあった北野誠や兵藤ゆきらはには報告をしたが、突然のことに驚くも、祝福の言葉を贈ったという。
- ^ この時、翔子は32歳になり勝彦が死去した年齢に達していた
- ^ “「生きたい」と願う人がいる|広告作品アーカイブ|ACジャパン”. ACジャパン. 2021年11月4日閲覧。
- ^ “みんなの声”. (公財)日本骨髄バンク (2018年7月3日). 2018年7月20日閲覧。
- ^ “中川勝彦のワーナー期全作品がデビュー40周年にあわせてストリーミング解禁”. amass (2024年2月21日). 2024年2月22日閲覧。
- ^ 飼育係のひとりごと…ふたりごと…
- ^ “しょこたんの父、中川勝彦の絵本「未知の記憶」が復刻”. 音楽ナタリー. (2011年2月4日) 2019年2月2日閲覧。
- ^ 「E STREET BAR SESSION 第7回」『The Best・hit』、学習研究社。[要ページ番号]
- ^ NHK衛星第2テレビジョンで2009年1月1日22:00 -に放映された「RUN ~B'zの20年〜」で松本が「今のしょこたんのパパいるじゃない、勝彦君。彼のサポートでギター弾いてたんだよ」と取材スタッフに証言していた。また同番組にて、昔収録された松本がサポートギターと中川がボーカル部分の収録しており、その部分も放映されている。[出典無効]
- ^ ロッキンf(立東社) 1987年5月号 65p
- ^ “超力ロボ ガラット”. サンライズワールド. サンライズ. 2022年11月12日閲覧。
固有名詞の分類
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