中国文様史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 17:41 UTC 版)
新石器時代
中国の新石器時代は、幾何学文様や魚文などを施した美しい彩陶土器が現れた[1]。中国の新石器時代は、紀元前5000年から紀元前1500年を中心に各地域で特色ある諸文化を形成し、その遺跡は中国全土に及んだ[2]。特に華北の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)は美しい彩色土器を生みだし[3]、それに続く龍山文化では、黒陶を特徴とする土器を生みだした[2]。彩陶は西アジアの系統をくむものと考えられ、中国の美術交流で非常に重要な東西の関係を表す最も早い例である[2]。これらの文様は多種多様で直線・曲線・円・点などを組み合わせた幾何学模様の他に、人面文や魚文が描かれることもある[2]。特に魚は生活の糧であり、そのため集落の守り神としても尊重された文様だった[2]。
殷・周時代
紀元前1700年頃より中国最古の王朝である殷が成立し、それに続く周とともに青銅器時代が始まった[1]。この青銅器時代になると、新石器時代の様相は一変し、青銅器の表面には、神の顔ではないかとされる「饕餮文(とうてつもん)」、「龍」や「鳳凰」、「蝉」、「象」などの動物文が主文として表され、地には隙間なく「雷文」が施された[1]。「饕餮文」とは、商から周の青銅器に見られる、恐ろしい形相で睨みつける獣の顔の正面形であり、口は鼻の両側に大きく広がり、牙や歯も表される文様である[4]。「龍」は、最高位の神獣であり、最高の吉祥である。元来は武勇と力を表し、自然の力の形象化身とみなされ、崇拝された[5]。「鳳凰」は、群鳥の長であり、飛ぶときには百鳥が従うという[6]。古代には鳥の王としてあがめられ、吉祥の象徴であった[6]。「蝉」は、地中から出て成虫となることから再生の観念の象徴であり、殷代から西周時代の青銅器にみられた[4]。「雷紋」とは、中国の青銅器や陶磁器によく使われる方型または円型の渦巻文様をいう[5]。文様は邪霊から中身を守る力があると考えられ、奇怪な装飾が息詰まるほどびっしりと施されている[1]。
春秋・戦国時代
殷・周以降の中国は強大な統一勢力がなく諸侯が対立を繰り返し、また思想界では諸子百家によって才能のある者は自国に縛られることなく各国に活躍の場を見出すことができるという自由闊達な気風がみなぎっていた[7]。このような春秋戦国時代にあっては、美術の分野でも殷・周時代の重苦しいものに代わって軽妙なものへと変化し、金工・木工・漆工も発達した[7]。また春秋・戦国時代はスキタイの動物文様を中心に、ギリシャ系の植物文様や西アジアの有翼獣などが流入して、文様に新風を吹き込んだ[1]。スキタイ民族とは、周代末より戦国時代にかけて南ロシア地方で活躍していた民族である[7]。そのスキタイ民族の美術は、蒙古族の匈奴が仲介して伝えたため北方系と呼ばれるが、もともとはギリシャ美術の影響を色濃く受けた文化であった[7]。こうしてギリシャ美術の植物唐草や、スキタイ美術の動物が噛み合う文様、アッシリア美術起源の有翼獣などが中国に流入した[7]。唐草とは、花と葉のついた蔓が律動感のある曲線を描く文様一般をいう。パルメット・蓮華・葡萄・宝相華・牡丹などの唐草があり、また流雲文と結びついた雲唐草もある[8]。春秋時代以降の青銅器の文様には蟠螭(ばんち)文と呼ばれる龍などの動物が絡み合う複雑な文様が現れたが[9]、やがてそれは唐草状の様相を帯びて、植物とも動物ともつかない龍唐草のような特異な文様も表れた[1][7]。
湖北省の戦国期の古墳より発見された絹布の一部
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