与謝野鉄幹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 09:08 UTC 版)
血縁・親戚
実兄・照幢は赤松連城の娘・安子と結婚し、その子(鉄幹の甥・姪)赤松克麿・赤松常子は政治家となった。
次男・与謝野秀は外交官としてイタリア・エジプト大使などを歴任し, 1964年東京オリンピック事務長を務めた。秀と妻で評論家の道子の間の子ども(鉄幹の孫)には与謝野馨(政治家)・与謝野達(銀行員)・與謝野文子(評論家)がいる。
全集
- 『鉄幹晶子全集』全32巻(本文篇 31巻+索引篇 全歌集五句)勉誠出版、2001年 - 2011年
- 『鉄幹晶子全集 別巻』全8巻(拾遺篇 短歌)同、2013年 - 2021年
脚注
関連項目
外部リンク
注釈
出典
- ^ 与謝野鉄幹|近代日本人の肖像
- ^ 与謝野寛晶子書簡集成 3: 昭和6年~昭和10年
- ^ 逸見久美『新版評伝与謝野寛晶子明治篇』八木書店、2007年、37頁。
- ^ 「山口県の部落解放の先駆者」赤松照憧(あかまつ しょうどう)~セツルメント活動を部落問題に~
- ^ 逸見久美『新版評伝与謝野寛晶子明治篇』八木書店、2007年、220頁。
- ^ 第三話 与謝野晶子と東京新詩社(1)~渋谷に残るその足跡~
- ^ 文壇照魔鏡事件
- ^ 「許さない。でも、愛してる。」 歌人・与謝野鉄幹に翻弄された3人の女たち。
- ^ 鉄幹晶子全集
- ^ 時雨音羽編著『増補版 日本歌謡集 明治・大正・昭和の流行歌』現代教養文庫、1971年 p.23
- ^ 檞之葉 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 逸見久美『新版評伝与謝野寛晶子明治篇』八木書店、2007年、681-692頁。
- ^ 与謝野鉄幹の三つの壁
- ^ 与謝野鉄幹 : 鬼に喰われた男 青井史著
- ^ 与謝野寛『鴉と雨』論-大逆事件への嘆きと抵抗
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版, 1997年)354頁
- ^ 与謝野鉄幹が明治28年に京城(現ソウル)にあった乙未(いつぴ)義塾の講師であったことが、記された資料
- 1 与謝野鉄幹とは
- 2 与謝野鉄幹の概要
- 3 血縁・親戚
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