与謝野晶子訳源氏物語 二回目の翻訳(「源氏物語講義」)

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与謝野晶子訳源氏物語

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二回目の翻訳(「源氏物語講義」)

与謝野晶子は「新訳源氏物語」と「新新訳源氏物語」という世に出た2つの翻訳とは別に、長年に亘って源氏物語の詳細な講義を執筆していた。これは源氏物語の全文の現代語訳を含んでいると見られることから、与謝野晶子による2度目の源氏物語の現代語訳であるとされることもある。この場合「新新訳源氏物語」は3度目の翻訳ということになる。この『源氏物語講義』を、与謝野晶子は1度目の翻訳である「新訳源氏物語」を手がけるより前から、また「新訳源氏物語」を書き始めてからはこれと並行して取り組んでいた。これはもともと小林政治の依頼により明治43年から大正7年までの「100か月で完成させる」ことを目標に始められたものである。小林政治(1877年(明治10年)から1956年(昭和31年))は、天眠と号し、若い頃は自身が与謝野夫妻と交流のある作家であり、後に実業家となって与謝野夫妻を経済的に支えてきた人物である。後に与謝野夫妻の次男が小林の娘の一人と結婚することによって両家は親戚になっている。この源氏物語講義は、当初は小林政治(天眠)から「源氏物語の注釈か講義のどちらか」という形で依頼されたものらしく、明治42年9月18日付け小林天眠宛ての与謝野晶子書簡において晶子は以下のように述べている[21][22]

  • 分量は注釈にした場合より多くなるが注釈ではなく講義にしたい。
  • 全体として40冊程度になるであろう。
  • 自分はそれをそれを100ヶ月で書き上げる。
  • いろいろな事情から物入りなので原稿料として二千円を頂きたい。
  • 毎月の原稿料は原稿料総額の二千円を執筆予定期間の百ヶ月で割り、月額20円とされた。

こうして与謝野晶子が毎月決まった量の原稿を書き上げて大阪の小林に送り、それに対して小林は毎月決まった額の原稿料を支払うこととなった。この月額20円の原稿料は1918年(大正7年)3月からは毎月50円に増額されている[23]

この計画は、小林天眠としては完成し出版すれば必ずや社会的に大きな反響を呼ぶであろう「与謝野晶子の源氏物語講義」を自身が主宰する出版社「天佑社」からその第一号の出版物として出版するという目的と同時に与謝野家に対する経済支援としての性格も持っており、小林は原稿が遅れたときにも決められた原稿料を送り続けていたと見られる。こうして書き始められることになった『源氏物語講義』は、長年に亘って少しずつ書きためていくこととなった。この原稿は、1912年(大正元年)12月から1918年(大正7年)2月までの49回分は、直接には小林天眠の友人であった吉田鉄作宛てに送られていたが、吉田鉄作が病気となったため同年3月からは小林天眠と直接やりとりするようになっている[24]

明治42年9月に執筆が開始されたこの『源氏物語講義』の原稿は、しばらくは順調に進んでいた[25][26][27]。しかしながらそのうちに長期間にわたって進行が止まってしまうということは無かったものの、他のさまざまな仕事を優先してしまったり、出産を繰り返した晶子の体調の問題などさまざまな事情でしばしば予定より遅れていたらしいことが、以下のようにいくつかの小林天眠宛て与謝野晶子や与謝野寛の書簡によって明らかになっている。

  • 「仰せの源氏、今月は必ず差し出すべく候、先月もその心ありながら前借りの雑誌社などへの義理のものかくにおはれ、かのしまつになりし候、御ゆるし被下度候」[28][29]
  • 「源氏の二月分の稿なお二、三日遅れ申すべく、心ぐるしく存じ候まま一寸申し上げ候」[30][31][32]
  • 「源氏の稿このため何とぞ本月と来月をおやすませ下されたく」・「なお源氏の稿料は本月分に相当いたし候分、すでに頂戴いたし候ことも忘れ申さず候」[33][34][35]
  • 「私ながらくわがままいたし候ひし。申しわけなき源氏の解釈、今月はかならずさし出し申すべく候」[36][37][38]
  • 「漸く源氏の稿を差し出し申すべく候、もう初めかけ候へば、来月より遅滞はいたし申すまじく候」[39][40][41]
  • 「それやこれやにてでき申すはずの源氏の清書もまだ出来上がり申さず、明後日まで御まちくださるべく候」[42][43][44]
  • 「源氏がまたまた三四にちもおくれ申すことになり候」[45][46][47]
  • 「源氏の原稿、正月のかきものの日ぎりのため、少ししては間へやもおえず別のものをはさみはさみいたし候て、昨夜漸く書き上げ候。お許し下されたく候」[48][49][50]

中には晶子本人だけでなく夫与謝野寛も小林天眠宛に原稿の遅れについてわびる手紙を出している。

  • 「荊妻の原稿が非常に延引致し、大に恐縮いたし候、四五日中には清書して差し出しいたし可申候」[51][52]

このような状況の結果、刊行予定であった1918年(大正7年)になって天佑社がいよいよ設立されるという状況になってもこの原稿は予定の半分程度しか出来ていなかった。しかも、晶子は最初の部分(第09帖 葵の巻あたりまで)についてはもう一度書き直しをしたいと思うようになっていた[53][54]。このころ晶子は「今月末から毎月書く量をこれまでの倍にする」との決意を決意を示している[55]ものの、夫与謝野寛は小林天眠に対して、

  • 完成まであと5年はかかる。
  • 年月がかかっているため最初のほうは点検して訂正したい。
  • 巻の数でいえば半分を超えたがこれからの巻は長いものが多いため分量でいえば半分にも達していない。
  • 本書は全体が完成してから一気に出すべきで、出来上がっている部分だけを出版するべきではない。
  • 天佑社の最初の出版物は予定していたこの源氏物語講義ではなく別の物にしていただきたい。自分なりの案がある。

などと書き送っている[56]。このしばらく後の与謝野寛の書簡には、「晶子は目下しきりに執筆いたし候」とあり、この手紙を書簡集に収録した際に小林天眠が「源氏物語の原稿の事である」との注をつけている[57]

しかしその後も

  • 「源氏が二十日ごろになり候はんかと心ぐるしく候」[58]
  • 「来月は必ずとかたくかたく申し上げ候」とあり、これに小林天眠が「源氏物語の原稿の事である」との注をつけている。[59]

と、原稿が遅れがちな状況が続いており、翌年になっても「例え毎月書く量をこれまでの倍にしてもなお完成までには2年以上かかる」としている[23]

そのような状況の中でも「来月から必ず源氏を書きなほします」[60]、「源氏のことを書き候ひし序に、天佑社のかの原稿いよいよかきかへ申すことに着手いたし候。全く別のものにいたし今度は自信も出き候。」と、原稿の書き直しへの意欲と書き直した原稿に対する自信を覗かせている。

しかしながらそのような中で1920年(大正9年)に起こった財界大恐慌の影響で天佑社の経営も困難となり、「天佑社より頂き候もの、いずれは印税とならば同じことに候へば先月より御ことわりいたし候」[61]とこれまで原稿を書けなかったときにも受け取っていた稿料を晶子の側から断る事態になり、小林の娘に「印税が入ったらその印税で着物を買いましょう」等と気遣いを見せている。さらには当時本業も苦境に立ち入っていた小林は最終的には天佑社を見殺しにせざるを得なくなってしまい、「天佑社の現状もまことにおきのどくになることとかねて存じ候ひき。私の源氏の原稿もわろきことになりしと候」[62]ということになり、この時点で数千枚とも訳一万枚ともされる原稿は「宇治十帖の前まで終わっていた」[63]とされ、晶子は「あと3年ほどもすれば完成する」と述べていた本『源氏物語講義』を同社から出版できる可能性が無くなってしまった。この後時期や詳細な経緯は不明ながら、この原稿は「自宅に置いておくよりはよいだろう」ということで、ある時期から与謝野寛や与謝野晶子が関わって1921年(大正10年)に創設された文化学院に預けられていた。しかしながら、1923年(大正12年)9月に発生した関東大震災によりこの原稿は一枚残らず焼失してしまった。

1枚だけ残された原稿

このようにして「一枚残らず焼失した」はずの「源氏物語講義」であるが、後に以下のような事情から小林天眠の元に1枚だけ残された原稿が存在する事が明らかにされた。1915年(大正4年)5月11日付小林雄子宛与謝野晶子書簡において「前に送った源氏物語講義の原稿が一枚抜け落ちていたことを発見した。原稿の端に振ってある番号のところに挟み込んで欲しい」旨書き送っている。これに対して天眠が生前に『與謝野晶子書簡集』の編纂に参加した際、この書簡に「このとき送られてきた原稿は抹消や書き直しが多いため、全部書き直してそれを送ったのにそのことを忘れてしまい、送り忘れたと勘違いしたのではないか」と注しており、『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』にこのとき送られた原稿の写真と翻刻が掲載されている[64][65]。この一枚が残されたことによってこの「源氏物語講義」がどのようなものであったかが明らかになった。


注釈

  1. ^ 読替歌とは、与謝野晶子が原歌の読替を行っている場合をいう。原歌の一部の文言を読替を行っているだけの場合もあるものの、「原歌によりつつも場面や状況への創造的な解釈を詠み込む」ことによって全く異なる与謝野晶子自身の歌になっている場合もある[要出典]
  2. ^ 四行詩の場合もある[要出典]
  3. ^ 逆に窪田は上巻のみを引き受けるつもりであったとする資料もある[要出典]

出典

  1. ^ 2000年(平成12年)1月9日付け朝日新聞日曜版「名画日本史 源氏物語絵巻」のち朝日新聞日曜版「名画日本史」取材班「源氏物語絵巻」『名画日本史―イメージの1000年王国をゆく 第1巻』朝日新聞社出版局、2000年(平成12年)9月、p. 11。 ISBN 978-4-0225-8670-4
  2. ^ 与謝野晶子「読書・虫干・蔵書」『光る雲』実業之日本社、1928年(昭和3年)7月。のち『鉄幹晶子全集 23』勉誠出版、2007年(平成19年)9月。 ISBN 978-4-585-01076-0 『与謝野晶子評論著作集 13』竜渓書舎 2001年(平成13年)5月。 『定本與謝野晶子全集 第19卷 評論 感想集 6』講談社 1981年(昭和56年)1月
  3. ^ 「朱葉集」『三田文学』1915年(大正4年)11月号。 のち『朱葉集』金尾文淵堂、1916年(大正5年)。 『晶子短歌全集 第3』新潮社、1920年(大正9年)。 『定本與謝野晶子全集 第3卷 歌集 3』講談社、1980年(昭和55年)6月。 『与謝野晶子歌集 特装版』岩波文庫、岩波書店、1997年(平成9年)2月。 『鉄幹晶子全集 15』勉誠出版、2004年(平成16年)10月 ISBN 4-585-01068-8
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  7. ^ 与謝野晶子「紫式部新考」『太陽』1928年(昭和3年)1月・2月号。 のち『与謝野晶子選集 4 晶子古典鑑賞』春秋社、1967年。 『定本與謝野晶子全集 第12卷』講談社、1981年(昭和56年)3月。 『与謝野晶子評論著作集 19 一九二四(大正一三)年から一九二八(昭和三)年』竜渓書舎 2002年(平成14年)11月。
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  9. ^ 与謝野晶子「紫式部新考」『太陽』昭和3年1月・2月号のち『与謝野晶子選集4』(春秋社)などに所収
  10. ^ 「三部構成説」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年(昭和45年)8月、pp. 221-227。
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  54. ^ 「大正7年3月15日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 198-200。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  55. ^ 「大正7年3月17日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 206-207。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  56. ^ 「大正7年3月16日付小林天眠宛与謝野寛書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 201-206。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  57. ^ 「大正7年3月27日付小林天眠宛与謝野寛書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 209-212。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  58. ^ 「大正7年5月9日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 226-228。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  59. ^ 「大正7年10月10日付小林天眠宛与謝野晶子葉書」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 249-250。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  60. ^ 「大正9年9月24日付小林天眠宛与謝野晶子葉書」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、p. 328。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  61. ^ 「大正9年3月11日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 297-300。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  62. ^ 「大正11年5月14日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 356-358。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  63. ^ 与謝野晶子「読書、虫干、蔵書」評論集『光る雲』(1928年7月)所収
  64. ^ 「大正4年5月11日付小林雄子宛与謝野晶子書簡」岩野喜久代編與謝野晶子著『與謝野晶子書簡集 新版』大東出版社、1996年(平成8年)2月、pp. 91-92。 ISBN 978-4-5000-0621-2
  65. ^ 「大正4年5月11日付小林雄子宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 107-109。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  66. ^ 河添房江「現代語訳と近代文学」伊井春樹監修『講座源氏物語研究 第12巻 源氏物語の現代語訳と翻訳』おうふう、2008年(平成20年)6月、pp. 200-226。 ISBN 978-4-273-03462-7
  67. ^ 「昭和14年3月1日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」岩野喜久代編與謝野晶子著『與謝野晶子書簡集 新版』大東出版社、1996年(平成8年)2月、pp. 339-341。 ISBN 978-4-5000-0621-2
  68. ^ 「昭和14年3月1日付小林天眠宛与謝野晶子書簡」植田安也子編與謝野寛・與謝野晶子著『天眠文庫蔵 与謝野寛・晶子書簡集』八木書店、1983年(昭和58年)1月、pp. 555-556。 ISBN 978-4-8406-9064-5
  69. ^ 神野藤昭夫「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の執筆・成立の経緯 - 非凡閣版『現代語訳源氏物語 中』刊行の事情」伊井春樹監修『講座源氏物語研究 第12巻 源氏物語の現代語訳と翻訳』おうふう、2008年(平成20年)6月、pp. 172-178。 ISBN 978-4-273-03462-7
  70. ^ 神野藤昭夫「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の執筆・成立の経緯 - 『現代語訳源氏物語 中』の位相と評価」伊井春樹監修『講座源氏物語研究 第12巻 源氏物語の現代語訳と翻訳』おうふう、2008年(平成20年)6月、pp. 178-184。 ISBN 978-4-273-03462-7
  71. ^ 伊吹和子「「谷崎源氏」とよばれるもの」鈴木一雄監修秋山虔・室伏信助編『国文学解釈と鑑賞 別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 29 花散里』至文堂、2003年(平成15年)7月8日、pp. 179-195。
  72. ^ 伊吹和子「源氏物語」千葉俊二編『別冊国文学 54 谷崎潤一郎必携』学燈社、2001年(平成13年)11月、pp. 56-57。及び千葉俊二編『特装版谷崎潤一郎必携』学燈社、2002年(平成14年)5月、pp. 56-57。ISBN 978-4-3120-0545-8
  73. ^ 市川千尋「第二章 与謝野晶子「源氏物語礼讃」」市川千尋『与謝野晶子と源氏物語』国研叢書6、国研出版(星雲社)、1998年(平成10年)8月、pp. 241-302。 ISBN 978-4-7952-9216-1
  74. ^ 西田禎元「『源氏物語』と与謝野晶子 「源氏物語礼讃」歌をめぐって」『日本語日本文学』第9号、創価大学、1999年(平成11年)3月、pp. 1-17。
  75. ^ 西田禎元「『源氏物語』と与謝野晶子(II) 「源氏物語礼讃」歌をめぐって」『日本語日本文学』第10号、創価大学、2000年(平成12年)3月、pp. 33-47。
  76. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2008年4月28日 (月) 鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿
  77. ^ 伊藤鉄也「公開開始 与謝野晶子の源氏訳自筆原稿画像データベース」『国文研ニュース』No.19、2010年春、p. 10。
  78. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2008年9月 6日 (土) 与謝野晶子と『源氏物語』
  79. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2008年9月17日 (水) 与謝野晶子の自筆原稿画像の試験公開
  80. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2010年2月20日 (土) 与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開
  81. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2010年2月21日 (日) 神野藤昭夫先生の晶子がたり
  82. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2010年7月16日 (金) 与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認
  83. ^ 鷺水亭 より. ─折々のよもやま話─ 2010年10月26日 (火) 与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影





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