三十三間堂 境内

三十三間堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 04:00 UTC 版)

境内

南大門と築地塀(左奥)、ともに重要文化財
  • 本堂(国宝) - 文永3年(1266年)再建。解説は既述。
  • 参進閣
  • 普門閣 - 参拝入口、寺務所。
  • 北門
  • 北庭園 - 池泉回遊式庭園
  • 地蔵堂
  • 東大門 - 1961年昭和36年)建立。
  • 回廊 - 1961年(昭和36年)建立。
  • 南庭園 - 池泉回遊式庭園。
  • 鐘楼 - 1988年(昭和63年)再建。
  • 南大門(重要文化財)- 桃山時代慶長5年(1600年)建立。切妻造、本瓦葺、三間一戸の八脚門。境内東南側の敷地外に建つ。虹梁の刻銘により豊臣秀頼が慶長5年に新築したものと推測されている。かつては慶長6年(1601年)にこれも秀頼によって建てられた西大門もあったが、1895年明治28年)に東寺に移築され南大門(重要文化財)となっている。
  • 太閤塀(重要文化財) - 桃山時代、本瓦葺。豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀。現境内の南端を区切る。方広寺大仏殿が創建された時、蓮華王院も方広寺の境内に含まれたため、その工事に伴って築造された。修理の際に「天正十六年‥‥大ふつ殿瓦」と刻んだ瓦が発見されている。軒丸瓦には豊臣家桐紋が見られる。かつては西にも存在したが、現在は南の塀のみ残っている。塀は高さ5.3m、長さ92mに及ぶ桃山期の豪壮さを示す建造物である。
  • 久勢稲荷大明神
  • 西門

文化財

本尊千手観音坐像のかつての安置状況。この写真では二十八部衆像が本尊の左右に安置されており、現在の安置状況とは異なる。
千手観音立像の安置状況

以下の指定文化財の所有者は妙法院(京都市東山区妙法院前側町)である。

国宝

  • 本堂
  • 木造千手観音坐像(附:木造天蓋)
  • 木造風神雷神
  • 木造二十八部衆立像
  • 木造千手観音立像(1,001躯)

重要文化財

  • 南大門(1900(明治33)年)
  • 築地塀(太閤塀)

前後の札所

洛陽三十三所観音霊場
16 仲源寺 - 17 妙法院三十三間堂 - 18 泉涌寺塔頭善能寺

注釈

  1. ^ 資料によっては、このわらべ歌の「天火(てんび)」を「兵火(へいび)」とし、「戦さで焼けた」と解説しているものがあるが、そのような史実はなく、誤りである。
  2. ^ 間面記法で梁間は通常二間を前提とするため記載されないが、三十三間堂は三間である。
  3. ^ 柱心間は中央が一番広く3.95m、続いてその左右の柱間が3.65m、残りの32の柱間は3.30m。
  4. ^ 像高は久野健編『図説仏像巡礼事典』によれば165.0 - 168.5センチ、『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記編 総目録』によれば163.7 - 168.5センチ

出典

  1. ^ 後白河天皇 法住寺陵. 宮内庁、2018年11月16日閲覧。
  2. ^ 花洛一覧図:高解像度版
  3. ^ 音声資料:「京の大仏さん」わらべ歌(京都・鬼遊び)
  4. ^ 拝観のご案内(三十三間堂)および全入場者に渡されるパンフレット『国宝三十三間堂』にある境内図(2022年11月)
  5. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』69(朝日新聞社、1998)、p.7 - 259 - 7 - 260(筆者は平井俊行)
  6. ^ 入江康平 (2007). “競技場としての堂射施設に関する研究”. 武道学研究 40 (2): 37-50. 
  7. ^ 観光スポット・サービス情報 三十三間堂の通し矢”. 京都観光ナビ. 2020年3月21日閲覧。
  8. ^ 「千手観音、1,001体が26年ぶり勢ぞろい 三十三間堂」朝日新聞DIGITAL(2018年10月4日)2018年10月21日閲覧。
  9. ^ 美術院と歩んだ半世紀
  10. ^ 1001体の観音さま、45年の修理終了 三十三間堂 朝日新聞 2017年12月22日
  11. ^ 「風神・雷神像が80年ぶり席替え」産経新聞』朝刊2018年8月1日(社会面)2018年8月6日閲覧。
  12. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』69(朝日新聞社、1998)、p.7 - 262 - 7 - 264(筆者は根立研介)
  13. ^ 平成30 年10 月31日文部科学省告示第204号
  14. ^ 『国宝三十三間堂』、p.38
  15. ^ 『国宝三十三間堂』、p.33
  16. ^ 『国宝三十三間堂』、pp.33, 38 - 40
  17. ^ 『国宝三十三間堂』、pp.38 - 40
  18. ^ 『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記編 総目録』(参照:[1]
  19. ^ 倉田文作「像内納入品」『日本の美術』86、至文堂、1973、pp.76 - 77
  20. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』69(朝日新聞社、1998)、p.7 - 274 - 7 - 275(筆者は川瀬由照)
  21. ^ (田中、2019)、pp.177 - 180
  22. ^ 全入場者に渡されるパンフレット『国宝三十三間堂』にある「国宝観音二十八部衆像」(2022年11月)および各像の説明看板
  23. ^ (田中、2019)、pp.134 - 138, 174 - 176
  24. ^ 伊東史朗「八部衆・二十八部衆」『日本の美術』379、至文堂、1997
  25. ^ (田中、2019)、pp.174 - 180
  26. ^ (田中、2019)、pp.133, 180 - 185
  27. ^ 像名と特色は(田中、2019)、pp.138 - 186による。像容については伊東史朗「八部衆・二十八部衆」による。
  28. ^ a b 三十三間堂内の解説看板より。






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