ヴィクトワールピサ 経歴

ヴィクトワールピサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 02:03 UTC 版)

経歴

2歳 (2009年)

ラジオNIKKEI杯2歳S優勝時

2009年10月25日、ヴィクトワールピサは京都新馬戦で競走馬としてデビューした。レースは1番人気に支持されるがローズキングダムを差し切れず2着に敗れ、中1週で同競馬場の未勝利戦に出走して初勝利を挙げた。続く11月28日の京都2歳ステークスは直線で先頭に立ってそのまま押し切り、2勝目を挙げる。そして12月26日のラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは後方から徐々に順位を上げ、逃げるコスモファントムをクビ差で差し切り、3連勝で重賞制覇を果たした。

3歳 (2010年)

2010年皐月賞
表彰式

3歳となったヴィクトワールピサの初戦には、2010年3月7日の弥生賞が選ばれた。レースでは馬群の中ほどに控え、直線詰まり気味になりながらも残り100メートルほどでエイシンアポロンを捉えて優勝した。

しかし、デビューから騎乗していた武豊が3月27日の毎日杯での落馬事故で負傷したため、4月18日の皐月賞では岩田康誠に乗り替わりとなった。その皐月賞では、前年度JRA賞最優秀2歳牡馬のローズキングダムを抑えて1番人気に推される。レースでは後方の内に控え、直線もそのまま最内から抜け出して優勝した。この勝利は父・ネオユニヴァースとの父子2代の皐月賞優勝でもあった。

管理調教師の角居勝彦は、この勝利から前年まで厩舎の看板であったウオッカの後継馬へと期待を膨らませ[6]凱旋門賞への一次登録を行った[7]。しかし、5月30日の第77回東京優駿も1番人気に支持されるが、先に抜け出したエイシンフラッシュ、ローズキングダムを交わすことができず3着に敗れた。

6月26日、角居からヴィクトワールピサの凱旋門賞挑戦が発表された[8]。この遠征は日本調教馬が3歳で凱旋門賞に挑戦する初めてのケースである[8]。8月19日(日本時間)、ヴィクトワールピサは帯同馬のピサノヴァロンとともにアムステルダム経由でフランス入りした[9]。フランス入り後はシャンティイ調教場で調教を重ね、まずプレップレースとして9月12日のニエル賞 (G2) に出走した。レースでは中団のやや後ろを追走し、直線で懸命に追い上げてくるも残り200メートル付近で脚が止まり4着に敗れた。続く凱旋門賞では直線入り口での位置取りが絶望的だったため、確かな脚を見せたが、勝ったワークフォースから8馬身以上離れた[10]7着[註 1]に終わった。

第30回ジャパンカップ

帰国後の初戦は11月28日のジャパンカップを選択した。主戦騎手の武豊がローズキングダムに騎乗することが決まっていたため、鞍上はマキシム・ギュイヨンに乗り替わった。当初、騎手はミルコ・デムーロに乗り替わることが発表されていたが、デムーロがオーナーと騎乗契約を結んでいるヴォワライシに騎乗するため直前に変更された[11]。レースは2番手グループで流れに乗ると直線ではローズキングダムとの激しい争いとなり、ハナ差でローズキングダムに交わされて3着となった。 騎手がミルコ・デムーロに交代した12月26日の有馬記念では、4、5番手追走から早めに先頭へ立ち[12]、追い込んできた1番人気のブエナビスタをハナ差振り切って優勝した。写真判定の結果が出るとデムーロは感極まって涙を流した[12]。なお、同年にGI競走を制していたため、報奨金3000万円も獲得した。そして、有馬記念でこの年の3歳馬唯一のG1競走2勝を挙げたことにより、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。

4歳 (2011年)

2月4日日本時間)、ブエナビスタ、のちにトランセンドとともにドバイワールドカップに選出され、招待を受諾したと発表した[13]。そのドバイワールドカップに向けた前哨戦として、中山記念に出走。道中はやや後方を追走するも、4コーナー近くから一気に大外を回って進出。直線では他馬を突き放し、4歳初戦を勝利した。

そして迎えたドバイワールドカップ。スタートでは行き脚がつかず、最後方からの競馬となるが、向正面で一気に進出し、逃げるトランセンドの外側の2番手につけた。そして直線残り300メートル付近で先頭に立つとそのまま押し切り、日本馬では初めてドバイワールドカップに優勝した[14]。鞍上のデムーロは初参戦にして初勝利。勝利後はインタビューの途中、馬上で涙を見せる場面もあった。レース後の会見で、オーナーの市川は次走を香港クイーンエリザベス2世カップにすることを明言した。また、秋は前年に引き続き凱旋門賞へ向かうことをデムーロが強く促した[15]

その後ドバイから香港へ移動し、クイーンエリザベス2世カップ出走に向けて調整されていたが、右後肢に軽度の跛行が生じたため、同レースを回避した[16]4月27日にいったん日本に帰国[17]。秋のローテーションについては、アイリッシュチャンピオンステークスから凱旋門賞に出走するプランとなっていたが、のちにフォワ賞から凱旋門賞に出走するプランに変更[註 2]。さらに、その凱旋門賞で勝利した場合は引退して種牡馬入りし、敗れた場合はジャパンカップに出走する予定であるとオーナーの市川が発表した[18]。しかしレースに向け、8月10日に現地に到着し[19]調整を行っていたが、13日に行った調教後に左後肢の跛行が生じ、また左飛節に炎症があることがわかり、5週間程度の安静が必要との診断を受けたことからフォワ賞と凱旋門賞への出走を取りやめた[20]

引退式

その後11月27日のジャパンカップで復帰したが終始後方のまま13着に敗れ、連覇をかけて挑んだ有馬記念は2番手追走も、直線で一杯になり8着に敗れた。結局この年のGI勝利はドバイワールドカップの1勝のみに終わったが、天皇賞(秋)に優勝しジャパンカップでも好走したトーセンジョーダンとの接戦を制し、JRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出された[21]。有馬記念直後の2011年12月27日に引退が決まり、2012年1月15日京都競馬場で引退式を行って同日付で競走馬登録を抹消した[22]

なお、ヴィクトワールピサの出走シーン(2011年)は2012年の日本中央競馬会「近代競馬150周年テレビCM〜「次の夢へ」〜」(30秒版・60秒版)に使用されている。


  1. ^ a b 優勝馬のみ計時し2着以下は着差のみ公表。アタマ差は1/4馬身として計算。
  2. ^ a b c 海外国際競走であるため、1着馬(2着馬)を英語で表記。
  3. ^ 8位入線だが、7位入線のPlanteurが失格のため繰り上げ。
  4. ^ 馬場の「AW」はオールウェザー
  5. ^ 優勝馬のみ計時し2着以下は着差のみ公表。
ヴィクトワールピサ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

ネオユニヴァース
2000 鹿毛
父の父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
*ポインテッドパス
Pointed Path
1984 栗毛
Kris Sharpen Up
Doubly Sure
Silken Way Shantung
Boulevard

*ホワイトウォーターアフェア
Whitewater Affair
1993 栗毛
Machiavellian
1987 黒鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Coup de Folie Halo
Raise the Standard
母の母
Much Too Risky
1982 栗毛
Bustino Busted
Ship Yard
Short Rations Lorenzaccio
Short Commons
母系(F-No.) 8号族(FN:8-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Halo 3×4 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[50]およびnetkeiba.com[51]
  2. ^ 前者は競馬ラボ[52]、後者はnetkeiba.com[51]
  3. ^ JBISサーチ[50]およびnetkeiba.com[51]
  4. ^ JBISサーチ[50]およびnetkeiba.com[51]

注釈

  1. ^ 8位入線だったが、7位入線のPlanteur(プラントゥール)が失格となったため、着順が繰り上がった。
  2. ^ ヒルノダムール、ナカヤマフェスタと同じローテーションである。

出典

  1. ^ a b c ヴィクトワールピサの引退式が行われる | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ (2012年1月15日). 2022年6月19日閲覧。
  2. ^ 競走馬情報 - ヴィクトワールピサ”. 日本中央競馬会. 2023年3月28日閲覧。
  3. ^ The 2010 World Thoroughbred Rankings”. IFHA. 2021年10月31日閲覧。
  4. ^ The 2011 World Thoroughbred Rankings”. IFHA. 2021年10月31日閲覧。
  5. ^ 競走馬登録馬名簿/馬名意味” (PDF). JRA. 2010年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月27日閲覧。
  6. ^ ヴィクトワールピサ完璧一冠! 新時代の主役へ=皐月賞”. Yahoo! スポーツナビ. 2010年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月28日閲覧。
  7. ^ ヴィクトワールピサ凱旋門賞1次登録完了!”. スポーツニッポン. 2010年12月28日閲覧。
  8. ^ a b ヴィクトワールピサ&武豊が凱旋門賞挑戦”. 日刊スポーツ. 2010年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月28日閲覧。
  9. ^ ヴィクトワールピサ号がフランスに到着”. JRA. 2010年8月19日閲覧。
  10. ^ ヴィクトワールピサは7着/凱旋門賞全着順”. netkeiba. 2011年3月27日閲覧。
  11. ^ ヴィクトJC鞍上フランス新鋭ギュイヨン”. 日刊スポーツ. 2010年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月28日閲覧。
  12. ^ a b ヴィクトワール最強復活!再び世界へ”. スポーツニッポン. 2010年12月27日閲覧。
  13. ^ 「ドバイワールドカップデー」〜日本馬の招待受諾〜”. JRA. 2011年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月4日閲覧。
  14. ^ 【ドバイWC】ヴィクトワールピサ世界制覇! 日本勢ワンツー”. スポーツニッポン. 2011年3月27日閲覧。
  15. ^ 【ドバイWC】ヴィクト世界一!香港&凱旋門も「行きます」”. スポーツニッポン. 2011年4月1日閲覧。
  16. ^ ヴィクトワールピサ号が「オーデマピゲクイーンエリザベスII世カップ (G1) 」への出走を取りやめ」 JRAホームページ、2011年4月21日。
  17. ^ ヴィクトワールピサ号が帰国」 JRAホームページ、2011年4月27日。
  18. ^ オーナー明言、ヴィクト凱旋門賞Vなら「引退」”. Sponichi Annex. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2011年6月20日). 2022年8月8日閲覧。
  19. ^ フランス遠征 日本馬情報
  20. ^ ヴィクトワールピサ号が凱旋門賞 (G1) への出走を取りやめ
  21. ^ 「2011年度JRA賞」決定! - JRA公式サイト 2012年1月12日閲覧
  22. ^ ヴィクトワールピサ号が競走馬登録抹消 引退式の模様 - JRA公式サイト 2012年1月20日閲覧
  23. ^ ヴィクトワールピサが社台スタリオンステーションにスタッドイン - JBBA「競走馬のふるさと案内所」 2012年1月20日閲覧
  24. ^ 『週刊競馬ブック』2012年1月15日号、表2 社台スタリオンステーション広告。
  25. ^ 河合力 (2015年7月27日). “【競馬】話題の新種牡馬、ヴィクトワールピサ産駒の「有望株」”. web Sportiva. 集英社. 2022年8月8日閲覧。
  26. ^ ヴィクトワールピサの産駒成績|競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2022年8月8日閲覧。
  27. ^ a b “ジュエラーが大接戦を制しGI初V! メジャーエンブレム4着に敗れる/桜花賞”. netkeiba.com. (2016年4月10日). http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=109081 2016年4月10日閲覧。 
  28. ^ “ミルコ、桜花賞初制覇に喜び爆発「ピサの子で勝ててうれしい」”. スポーツニッポン. (2016年4月10日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2016/04/10/kiji/K20160410012379540.html 2016年4月10日閲覧。 
  29. ^ ヴィクトワールピサがブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動”. 競走馬のふるさと案内所. 公益社団法人日本軽種馬協会 (2017年12月8日). 2017年12月9日閲覧。
  30. ^ 【海外競馬】ヴィクトワールピサとクルーガーがトルコで種牡馬入り | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2020年12月22日閲覧。
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  36. ^ Stallions”. www.tjk.org. 2023年7月30日閲覧。
  37. ^ 週刊Gallop、「週刊Gallop」第27巻16号(通巻1386号)、p.38 治郎丸敬之 「超・馬券のヒント[種付け頭数から産駒のデキを占う]」
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  43. ^ “コウソクストレートが差し切り重賞初制覇/ファルコンS”. netkeiba.com. (2017年3月18日). https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=120016 2017年6月15日閲覧。 
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  50. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ヴィクトワールピサ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年12月16日閲覧。
  51. ^ a b c d e ヴィクトワールピサの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2019年12月16日閲覧。
  52. ^ ヴィクトワールピサ - Victoire Pisa - 競走馬データベース”. 競馬ラボ. 株式会社ドゥイノベーション. 2022年8月8日閲覧。






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