レクラム出版社 歴史

レクラム出版社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 05:04 UTC 版)

歴史

ライプツィヒの本社(1928年)。戦後は本社は西ドイツシュトゥットガルトへ、さらに近郊のディッツィンゲンに移っている
ライプツィヒ・ブックフェアでのレクラムのブース。黄色い背表紙の文庫が並ぶ
レクラム文庫の表紙。『ペール・ギュント』、ヘンリック・イプセン

レクラム文庫は、貸し本業者のアントン・フィリップ・レクラムドイツ語版(Anton Philipp Reclam)によって、21歳のときに1828年にライプツィヒ図書館や文学博物館や印刷業などもかねて創業された。出版社は Philipp Reclam junと名付けた[1]。二度の世界大戦で打撃を受けたが、現在は約2,800タイトルの「レクラム文庫」のほか、レクラム出版社では他に、広範なジャンルのハードカバーによる専門書、またCD-ROMなど電子メディアなどによる本も刊行している。

レクラム文庫

1867年創刊。創刊から現在に至るまで文芸哲学自然科学社会科学など広範なジャンルのを廉価で人々に提供しており、その活動はドイツ語圏の人々の知識向上・教育の拠り所のひとつになっている。そして、遠く離れた日本などでも、ドイツ語圏の文化に触れるためには欠かせないほどのよく知られた存在となっている。またこのレクラム文庫は日本における文庫本の発祥ともいえる岩波文庫のモデルとなった。

現在のウニヴェルザール・ビブリオテーク[2]と呼ばれている黄色いカバーの文庫本の出版元としても知られているレクラム出版社であるが、創業当時は、ドイツでは図書に関する著作権が決まっておらず[3]、廉価な価格で人々に本をと思っても、本が出版できなかった。しかし1867年にドイツの国会で、著作権の保護期間を著者の死後30年とする法律が決まり、レクラムも自由な出版ができるようになった。

記念すべき第一号はゲーテの『ファウスト』であった。他同時発刊としてゴットホルト・エフライム・レッシングの『賢者ナータン』、外国物であるウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、他の作品が登場した。作品のジャンルも、文学・哲学・オペラ・古典等多岐にわたり、月に10冊というハイペースで刊行。この文庫本の普及により廉価で人々に本が行き渡るようになり、ドイツ語圏の人々の知識向上に貢献した。また学者や文人からも熱烈な歓迎を受けた。

その後も刊行を続け、1959年には1,000巻を数え、現在では約2,800タイトルを数える。


  1. ^ junはjuniorの意。
  2. ^ 「世界文庫」や「百科文庫」、「ユニバーサル文庫」など原語に即した訳名もあるが、日本では出版社名をとったレクラム文庫Reclam-Bibliothekの名で呼ばれることが多い。
  3. ^ 無期限に著作者に所有されていた。


「レクラム出版社」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レクラム出版社」の関連用語

レクラム出版社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レクラム出版社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレクラム出版社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS