ラルフ・ワルド・エマーソン 文学的経歴と超絶主義

ラルフ・ワルド・エマーソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 15:19 UTC 版)

文学的経歴と超絶主義

ラルフ・ワルド・エマーソン 1859

1836年9月8日、'Nature'出版前日、エマーソンはフレデリック・ヘンリー・ヘッジ、ジョージ・パトナム、ジョージ・リプリーと会い、同好の知識人達の定期集会を企画した。[61]これが超絶クラブのはじまりであり、運動の中心部となった。最初の公式会議は1836年9月19日に行われた。[62]1837年9月1日、女性が初めて超絶クラブの会議に参加した。エマーソンはマーガレット・フラー、エリザベス・ホール、サラ・リプリーを確実に参加させるために、会議の前に自宅の夕食に招いた。[63]フラーは超絶主義の重要人物になって行く。

1836年9月9日、エマーソンは匿名で最初の評論である'Nature'を出版した。1年後の1837年8月31日、エマーソンは今は有名となったΦΒΚ(ファイ=ベータ=カッパ)で'The American Scholar'を演説した。[64]それは当初は「ケンブリッジのΦΒΚクラブ前で行われた演説」として知られていたが、1849年刊行の評論集で改名された。[65]友人達は話を出版するよう促し、自費出版したところ、500部はひと月のうちに売り切れた。[2]演説の中でエマーソンは、アメリカの知的独立を宣言し、アメリカ人がヨーロッパを離れて独自の様式で執筆すべきことを力説した。[66]当時ハーバードの学生だったジェームズ・ラッセル・ローウェルはそれを「アメリカ文学史上前代未聞」と言い、[67]ロヴァーエンド・ジョン・ピースは「支離滅裂で意味不明に聞こえる」と言った。[68]

1837年、エマーソンはヘンリー・デイヴィッド・ソローと親しくなった。1835年頃には既に会っていたようだが、1837年秋、エマーソンがソローに「あなたは日記をつけていますか」と尋ね、この問いかけがソローに一生涯にわたるインスピレーションを与え続けたのである。[69]エマーソン自身の日記は、大判本16巻の完全版が1960年から1982年にかけてハーバード大学出版会より発表された。日記をエマーソンの重要な文学作品とみなす学者もいる。[70]

1837年、エマーソンはボストンフリーメイソン寺院で歴史哲学に関する連続講演を行った。これが初めて彼自身が運営した連続講演であり、真の講演者としての経歴の始まりであった。[71]この連続講演で得た収入は講演団体からもらっていたものよりかなり高額だったため、エマーソンはその後も度々、自分で講演を運営した。結果として年80回にも及ぶ講演をし、北部アメリカ中をめぐった。セントルイスデモインミネアポリスカリフォルニアまでも駆けつけた。[72]

1838年7月15日、[73]エマーソンはハーバード神学校の神学会館に招かれて卒業演説を行った。それは「神学校演説」として知られることとなった。彼は聖書の奇跡を疑問視し、イエスは偉大なる人間であり、神ではないと宣言した。伝統的キリスト教は、オリエントやギリシアでオシリスアポロンをそうしたように、キリストを半神に仕立て上げてしまった、と彼は語った。[74]彼の発言は、教会主流派や一般のプロテスタント社会では冒涜に値した。そのため、彼は無神論者で、[74]若者の精神を毒すると非難された。批判に対し彼自身は応じず、他の人に弁護させた。その後30年間、彼はハーバードに再び招かれることはなかった。[75]

超絶クラブは1840年7月に、最大の機関誌である'The Dial'を出版開始した。[76]彼らは1839年8月には雑誌を企画していたが、1840年の1週目まで仕事を始めなかった。[77]ジョージ・リプリーが編集長で、[78]『十九世紀の女性』(1845)の著者にして先駆的フェミニストであったマーガレット・フラーが監修者であった。数人に断られた後、エマーソンは彼女を選んだのだった。[79]フラーは2年程在任してエマーソンが引き継ぎ、エレリー・チャニングやソローを含む、若い作家達の才能を伸ばすことに雑誌を活かしていった。

1841年、2冊目の著作である『エッセイ――第一集』'Essays'を出版した。そこには有名な'Self-Reliance'が含まれる。[80]彼の叔母はそれを「無神論と偽の独立宣言の奇妙な寄せ集め」と呼んだが、それはロンドンとパリで好評を博した。この本の成功が他にも増して、彼の国際的名声の基盤となった。[81]

1842年1月、エマーソンの長男ワルドは猩紅熱で他界した。[82]彼は自身の悲しみを、詩'Threnody'の「喪いゆくこととは、死にゆくことに他ならない」や、[83]評論'Experiance'で語った。同じ月にウィリアム・ジェームズが生まれ、エマーソンは名付け親になった。

ブロンソン・オルコットは1842年11月、「良い建物と良い果樹園と大地のある、素晴らしい100エーカーの農園をつくる」計画を公言した。[84]チャールズ・レーヌは90エーカー(360,000m2)の農園を、1843年5月にマサチューセッツ州ハーバードに購入した。それは超絶主義に部分的にインスピレーションを受けたユートピア構想に基づく共同体である、フルーツランドとなる予定だった。[85]農園は共同体の労働により運営され、動物は労役に用いない。参加者は肉を食べず、羊毛も毛皮も用いないというものだった。[86]エマーソンは、彼自身が実験に関与しないことを「残念に思う」と語った。[87]例えそうでも、エマーソンはフルーツランドが成功するとは思っていなかった。「彼らの主張は全くもって高い精神によるものなのだが、いつも最後にはもっと土地と金をよこせと言うのだ」と彼は書いている。[88]さらにオルコットは、フルーツランド操業の困難に対し準備をしていなかったと認めた。「我々の誰も、夢に見た理想的生活を現実的に行っていく準備をしていなかった。だから失敗に終わったのだ」と彼は記している。[89]この失敗の後、エマーソンはコンコードにオルコット一家のための農場を買う手助けをした。その農場をオルコットは'Hillside'と名付けた。[89]

'The Dial'は1844年4月をもって廃刊した。ホラス・グリーリーはそれを、「この国でかつて出版された、最も個性的で思索的な定期刊行物の最期」と報じた。[90](1929年から数回、同名の無関係な雑誌が刊行されている)

1844年、エマーソンは彼の2番目の評論集『エッセイ――第二集』'Essays: Second Series'を出版した。ここには'The Poet'、'Experience'、'Gifts'、そして1836年のものと同名だが異なる作品の'Nature'が収録された。

エマーソンはニューイングランド及び国内の多くの地域で有名な講演者となり生計を立てていた。1833年に講演を始め、1850年代には年間80回にも及んだ。[91]1回につき10ドルから50ドルを受け取り、通常冬の「講演シーズン」には2,000ドルを下らない収入が舞い込んだ。これは他からの収入より多かった。何年かは6回の連続講演で900ドルを稼ぎ、ボストンの冬の連続講演で1,600ドルを手に入れた。[92]彼はその収入で所有地を広げることが出来、ウォールデン湖のそばに11エーカー(45.000m2)の土地と、その近くの松林数エーカーを購入した。彼は「およそ14エーカーの土地と水域の領主」と自らについて書いている。[88]

エマーソンはフランスの哲学者ヴィクトル・クザンの作品を読んだ際に、インド哲学に出会った。[93]1845年のエマーソンの日記には、彼が『バガヴァッド・ギーター』とヘンリー・トーマス・コールブルックの'Essays on the Vedas'を読んでいるとある。[94]エマーソンはインドの古典『ヴェーダ』から強い影響を受け、彼の著作の多くは一元論の色調が濃い。彼の超絶主義は、ラーム・モーハン・ローイネオ・ヴェーダーンタ英語版の影響を強く受けたといわれる[95]

インド思想の影響の最たる例のひとつは、'The Over Soul'のうちに認められる。

我々は連続したものや、断片、かけら、微粒子の中で生きている。それに対し、人間の内には全なる魂がある。それは智者の沈黙であり、この世界の美である。全なる魂故に、あらゆるかけらも粒子も、等しく永遠なる一者に関係している。そしてその内に我々が存在し、その無上の幸福がすべて我々の手に入るこの深淵なる力は、どんな時も自らを満たし完全であるだけでない。見ることと見られるものであること、見る者と見せ物、主体と客体がひとつであるのだ。我々はこの世界を部分部分で、太陽とか、月とか、動物とか、木とかいうようにしか見ない。だがそれらのものが一部として光り輝いている、全なるものが魂なのである。[96]

1847年から1848年にかけて、エマーソンはイングランドスコットランドアイルランドを旅行した。[97]彼はまた、二月革命六月蜂起の間にパリを訪れた。彼が到着した時、2月の暴動でバリケードを作るために切り倒された木の切り株を見た。5月21日、彼は旧練兵場で、調和と平和と勤労を祝う群衆の只中にあった。彼は日記に、「今年の終わりに、私は革命が一本の木に値したかどうか見定めよう」と記した。[98]この旅はエマーソンの後の作品に重要な痕跡を残した。彼の1856年の著作'English Traits'は、旅行日記や手記に記録した観察に大きく基づいている。エマーソンは後にアメリカ南北戦争を、1848年のヨーロッパで起きた革命と同じ基盤を持つ「革命」であるとみなすようになった。[99]

1852年2月、エマーソンとジェームズ・フリーマン・クラーク、ウィリアム・ヘンリー・チャニングは、1850年に死去したマーガレット・フラーの作品と手紙の編集をした。[100]彼女の死から1週間のうちに、ニューヨークの彼女の編集者ホラス・グリーリーはエマーソンに、「彼女の死の悲しみにより高まっている関心が冷めないうちに」フラーの伝記'Margaret and Her Friends'を出版するよう言った。[101]'The Memoirs of Margaret Fuller Ossoli'という題で出版されたが、フラーの言葉を大幅に修正・改ざんした[102]。彼らはフラーに対する大衆の興味は一時的なもので、彼女は歴史的人物としては残らないと考え、伝記の正確性を気にすることはなかった[103]。意図的な創作が含まれる伝記は、当時は50年代の伝記ベストセラーとなり、19世紀の終わりまでに13版まで再版された。

ウォルト・ホイットマンは1855年に革新的詩集『草の葉』を出版し、エマーソンに贈って意見を求めた。エマーソンは肯定的に評価し、返事として5頁の称賛の手紙を送った。[104]エマーソンの承認は『草の葉』初版が大きな関心を呼ぶ助けとなり、[105]ホイットマンはその後すぐに第2版を出す気になった。[106]この版はエマーソンの手紙の言葉を引いて、「私はあなたの大いなる経歴の始まりを歓迎します」と、表紙の金色の葉の中に印刷した。[107]エマーソンはこの手紙を公にしたことに抗議した。[108]そして後には、この作品に対しより批判的になった。[109]


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