ラムタラ 競走成績

ラムタラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 03:19 UTC 版)

競走成績

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 タイム 着差 1着(2着)馬
1994年8月12日 ニューベリー ワシントンシンガーS L 芝7f 1着 W.スウィンバーン 01:28.26 3/4馬身 (Myself)
1995年6月10日 エプソム ダービー G1 芝12f10y 1着 W.スウィンバーン R2:32.31 1馬身 (Tamure)
1995年7月22日 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 1着 L.デットーリ 02:31.01 クビ (Pentire)
1995年10月1日 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 1着 L.デットーリ 2.31.8 1馬身 (Freedom Cry)

主な産駒

母の父としての産駒

戦績・競走能力に対する低評価とその背景

ランフランコ・デットーリは、ダービー、キングジョージ、凱旋門賞の三競走を全勝することは、「競馬に関わる者が等しく抱く野心」であるとしている[18]。しかし、ラムタラは実際にこれを無敗のまま全勝したにもかかわらず、出走回数がわずか4レースと極めて少なかったこともあり、年度代表馬に選出されなかった。カルティエ賞の結果を報じたタイムズは、「多くの場合は、最高の馬にはカリスマ性がある。しかしときには、そうならないこともあるのだろう。今回のカルティエ賞は、それを知らしめる最高の事例となった」と論評した[47]

イギリスの競馬関係者のラムタラに対する評価としては「(ラムタラは)確かに素晴らしく強い。だが、かつての名馬の上に燦然と君臨するほどのものではない」というものが多く、その詳細としては「ラムタラには、名馬の証であるダイナミックな加速能力がない。彼の末脚には、ニジンスキー、サーアイヴァー、そしてダンシングブレーヴに伍するほどの迫力はない」というものがあった[48]。さらにキングジョージに至っては「恵まれて勝利を手にした」と評され、ペンタイアに騎乗したマイケル・ヒルズが早仕掛けしたことでラムタラは後方で力を温存して直線で末脚を伸ばすことができたとされ、もしヒルズがもう100m仕掛けを遅らせていたらペンタイアはラムタラを楽に負かしていたと言われた[48]

各競走に対する評価(レイティング)も低いものであった。ダービー優勝に対して与えられたレート・123ポンドは、1969年のブレイクニー以来となる低評価であり、キングジョージ優勝時の124ポンドは、前年優勝のキングスシアターを2ポンド下回る、過去10年間で最も低い評価だった。凱旋門賞を経ての最終的な評価はヨーロッパ調教馬で最高の130ポンドであったが、これも前年のバランシーン(牝馬)と共に10年間での最低評価であり、アメリカの年度代表馬・シガーを2ポンド下回っていた。イギリス競馬委員会 (BHB) は、「ラムタラの勝った3つのレースにはトップクラスの馬が出走しておらず、したがって着差を考えると、ラムタラを最高にランクすることはできない」とした[47]。着差という点について、デットーリは「みんな本当に心が狭い。凱旋門賞でも、1着と2着との間の着差しか見ていない。でも全体を見て欲しいよね。1着から最後尾までの着差は80馬身もあったのだ。(中略)ランド、ストラテジックチョイス、カーネギー、バランシーン、みんなずっと後方だったんだ! ラムタラがいかに偉大であるかは、それがはっきり示している」と反論している[47]。またデットーリはラムタラのレーススタイルについて、「着差を付けないで勝つ。それがラムタラさ。彼は競馬を楽しんでいるし、着差を付けないで勝つことが好きなんだ。弱い相手でも、やっぱり差を付けないで勝つだろう。挑戦することが好きだし、格闘することが好きなんだ。変わった奴だよ」とも評している[24]

マクトゥーム一族はアラブ首長国連邦ドバイを統治し、2006年からはモハメド(画像)が首長を務めている。

低評価の背景には、イギリス競馬界で急速に勢力を拡大するマクトゥーム一族への反感が作用したとの見方もある。ローラ・トンプソンは、ラムタラが年度代表馬を逃した背景にはマクトゥーム一族への嫉妬があるとし、イギリスの競馬関係者にとって、マクトゥーム一族が「石油の海に浮かび、次々と成功を収めていく外国人、何を考えているか分からない、気むずかしき外国人」であったのに対し、リッジウッドパールを所有するコフラン夫妻が「『普通』の人たち」「好感の持てるアイルランド人」であったことが影響を及ぼしたと論じている[49]。さらに、日本人騎手に伴っての渡欧経験が豊富な日刊スポーツ記者の松田隆は、「リッジウッドパールがロンドンダブルデッカー(2階建てバス)なら、ラムタラは米国で造られた日本車ぐらいの違いがある」とし、イギリス人がアメリカ人ほど他人種に寛容ではないとした上で「そんな事情がどこまで影響したかわからないが、まったく無関係である、と断言できないのが悲しい」と述べている[50]。また、『サラブレッド・ビジネス - ラムタラと日本競馬』の著者・江面弘也は、「オイルマネーを後ろ盾にしてヨーロッパの大レースを勝ちまくるマクトゥーム一族を目の当たりにしたとき、イギリス貴族にはかつてペルシャ湾で猛威を振るった『海賊』を見るような思いがしたかも知れない。そう考えれば『ドバイの馬』に対するイギリス競馬界の冷ややかな態度も少しは納得できる」と述べている[51]


ラムタラ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ニジンスキー系

Nijinsky
1967 鹿毛
カナダ
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
カナダ
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Flaming Page
1959 鹿毛
カナダ
Bull Page Bull Lea
Our Page
Flaring Top Menow
Flaming Top

Snow Bride
1986 栗毛
アメリカ
Blushing Groom
1974 栗毛
フランス
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
母の母
Awaasif
1979 鹿毛
カナダ
Snow Knight Firestreak
Snow Blossom
Royal Statue Northern Dancer
Queen's Statue
母系(F-No.) 22号族(FN:22-b) [§ 2]
5代内の近親交配 Northern Dancer 2×4、Nearco 4×5、Menow 4×5 [§ 3]
出典
  1. ^ JBIS ラムタラ(USA)5代血統表2020年1月3日閲覧。
  2. ^ JBIS ラムタラ(USA)5代血統表2020年1月3日閲覧。
  3. ^ JBIS ラムタラ(USA)5代血統表2020年1月3日閲覧。

注釈

  1. ^ 同年のプール・デッセ・デ・プーラン(フランス2000ギニー)優勝馬。
  2. ^ エプソム競馬場の第3コーナーから「タッテナムコーナー」と呼ばれる最終コーナーまでは急勾配の下り坂となっている。
  3. ^ セルティックスウィングはこの競走で8着。靱帯を傷め、競走馬を引退した。
  4. ^ 前年のオークスアイリッシュダービーの優勝馬。
  5. ^ 最後の直線手前にある非常に緩やかなカーブ。騎乗者が直線と誤認しやすいため、「False straight(偽の直線)」と呼ばれる。

出典

  1. ^ «لم تري» .. أسطورة الخيول المهجنة”. 2021年6月4日閲覧。
  2. ^ Sue Montgomery (1995年6月11日). “Lammtarra joins legends”. The Independent. 2011年3月26日閲覧。
  3. ^ a b 江面(2000)p.25
  4. ^ 『季刊名馬』p.7
  5. ^ a b c d 『優駿』1995年8月号、p.115
  6. ^ 江面(2000)p.22
  7. ^ 『書斎の競馬(3)』p.232
  8. ^ 『書斎の競馬(3)』p.233
  9. ^ 『書斎の競馬(3)』p.234
  10. ^ 『書斎の競馬(3)』pp.236-237
  11. ^ 江面(2000)p.26
  12. ^ 『書斎の競馬(4)』p.222
  13. ^ 『書斎の競馬(4)』p.223
  14. ^ a b 『書斎の競馬(4)』pp.228-230
  15. ^ 『書斎の競馬(4)』p.233
  16. ^ 『書斎の競馬(5)』pp.215-217
  17. ^ 『書斎の競馬(5)』pp.225
  18. ^ a b c d e デットーリ(1998)p.75-79
  19. ^ a b c d 『書斎の競馬(7)』pp.215-220
  20. ^ 『優駿』1995年9月号、pp.115-116
  21. ^ a b 『書斎の競馬(10)』pp.156-157
  22. ^ 『優駿』1995年9月号、pp.114-115
  23. ^ 『競馬感涙読本』p.64
  24. ^ a b c d 『書斎の競馬(10)』pp.161-163
  25. ^ 『書斎の競馬(11)』p.196
  26. ^ 『Sports Graphic Number』378号、p.64
  27. ^ a b 『書斎の競馬(12)』pp.197-198
  28. ^ 『書斎の競馬(12)』p.199
  29. ^ a b c 『Sports Graphic Number』378号、p.66
  30. ^ 江面(2000)p.41
  31. ^ 江面(2000)pp.114-116
  32. ^ 江面(2000)pp.116-121
  33. ^ 江面(2000)pp.121-123
  34. ^ 江面(2000)pp.123-124
  35. ^ 江面(2000)pp.131-132
  36. ^ a b c 『季刊名馬』pp.8-9
  37. ^ 江面(2000)pp.133-135
  38. ^ 江面(2000)p.131
  39. ^ 江面(2000)pp.169-170
  40. ^ 江面(2000)p.118
  41. ^ 白井元調教師と学ぶ血統学【20】「種牡馬ラムタラ」に足りなかったもの https://tospo-keiba.jp/onkochishin/8406 2023年1月8日閲覧。
  42. ^ ラムタラ 種牡馬成績/
  43. ^ a b c 北海道新聞』2006年7月4日朝刊33面「ラムタラ売却 ¥3,300,000,000→¥27,500,000 産駒不振 価値100分の1 日高のグループ、英生産者に」
  44. ^ a b c 朝日新聞』東京朝刊2006年7月5日34面 吉⽥純哉「33億円種牡⾺、100分の1に暴落 世界的名⾺ラムタラ、⼦どもの成績振るわず…」
  45. ^ ラムタラ、英国へ売却”. netkeiba.com (2006年7月3日). 2011年3月26日閲覧。
  46. ^ 日刊スポーツ』東京日刊2014年7月9日「「神の馬」ラムタラ死す」
  47. ^ a b c 『書斎の競馬(13)』p.159
  48. ^ a b 『Sports Graphic Number』378号、p.67
  49. ^ 『書斎の競馬(13)』p.157
  50. ^ 松田(1997)p.187
  51. ^ 江面(2000)p.83


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