ヨハネス・ブラームス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 08:39 UTC 版)
ヨハネス・ブラームス(独: Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共にドイツ音楽における三大Bとも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風は概してロマン派音楽に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い[1]。
注釈
- ^ ドイツ連邦は主権国家の連合であり、ハンブルクは独立した自治都市として加盟していた。
- ^ 『ハンガリー舞曲』は当初録音を恥ずかしがったブラームスがさっさと演奏を始めてしまい、立会人があわてて「1889年12月、(リヒャルト・)フェリンガー博士邸、ただいまの演奏はブラームス博士!ヨハネス・ブラームスのものだ」と叫んでいるのが冒頭にかぶっている。テンポは相当速い。
- ^ 1997年8月31日にTBS系列で放送された『過ぎし日のブラームス〜没後100年に聴く幻のピアノ録音〜』(北海道放送製作)でこの説が唱えられている。この番組では、北海道大学の伊福部達らにより蝋管のレーザー光線による再生が試みられたが、蝋管自体の損傷がひどく、貧弱な音しか得られなかった。
- ^ 研究者の間では、当時オーストリアの全権公使だった戸田氏共夫人極子(1859年 - 1936年)がウィーン公使館において琴を演奏したのをブラームスが聴いたのではないかと言われている(関東大震災により戸田邸が全焼したため、上記の楽譜以外に確証といえるものは残っていない)。この出来事を題材として、日本画家・守屋多々志は「ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)」(平成4年第77回院展出品、大垣市守屋多々志美術館所蔵)を描いた。また、上記の『過ぎし日のブラームス』でもこの話が取り上げられた。
- ^ 最近の調査では膵癌とも[24]。
- ^ シュトライヒャーは 1860年代から交差弦の楽器の製造も始めるが、そのサウンドは現代の楽器とは大きく異なる。
- ^ 日本ブラームス協会の会誌の名前はこのことから「赤いはりねずみ」と名付けられている。
出典
- ^ 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p98 音楽之友社 2017年9月30日第1刷
- ^ 西原『ブラームス』p.6
- ^ 西原『ブラームス』p.12
- ^ a b c 『ブラームスは語る』p.102
- ^ 『ブラームスは語る』p.103
- ^ a b 西原『ブラームス』p.14
- ^ 三宅『ブラームス』p.26
- ^ 西原『ブラームス』p.17-20
- ^ Needham, Alex (2012年2月13日). “Brahms Piano Piece to Get Its Premiere 159 Years After Its Creation”. The Guardian
- ^ 西原『ブラームス』p.23-24
- ^ 西原『ブラームス』p.25-26
- ^ 西原『ブラームス』p.28-30
- ^ 西原『ブラームス』p.59
- ^ 西原『ブラームス』p.59-60
- ^ 西原『ブラームス』p.78, 90-91
- ^ 三宅『ブラームス』p.111
- ^ 西原『ブラームス』p.103-104
- ^ 西原『ブラームス』p.149
- ^ 西原『ブラームス』p.186
- ^ 西原『ブラームス』p.187-188
- ^ 西原『ブラームス』p.190
- ^ 西原『ブラームス』p.191
- ^ 西原『ブラームス』p.197
- ^ Bodo Schwalm:Gräber auf meinen Reisen. Band 2, p.190
- ^ 三宅『ブラームス』p.21
- ^ 『ライブラリー』p.188
- ^ 西原『ブラームス』p.142
- ^ 西原『ブラームス』p.89-90
- ^ Münster, Robert (2020). "Bernhard und Luise Scholz im Briefwechsel mit Max Kalbeck und Johannes Brahms". In Thomas Hauschke (ed.). Johannes Brahms: Beiträge zu seiner Biographie (in German). Vienna: Hollitzer Verlag. pp. 153–230. doi:10.2307/j.ctv1cdxfs0.14. ISBN 978-3-99012-880-0.
- ^ Walter Frisch, Kevin C. Karnes. Brahms and his World. Princeton University Press, 2009. ISBN 1400833620 p.53-54
- ^ Kottick, Edward L. and George Lucktenberg p.15
- ^ "Ich habe einen schönen Flügel von Streicher. Er hat mir eben neue Erningenschaften dadurch inittheilen wollen(...)" August, 1887. Litzmann, Clara Schumann, ein Kunstlerleben, vol. 3, 493-94; Litzmann, Berthold (1 February 1903). "Clara Schumann von Berthold Litzmann. Erster Band, Mädchenjahre". The Musical Times. 44 (720): 113. doi:10.2307/903152. ISSN 0027-4666.JSTOR 903152.
- ^ Biba, Otto (January 1983). "Ausstellung 'Johannes Brahms in Wien' im Musik Verein". Österreichische Musikzeitschrift. 38 (4–5). doi:10.7767/omz.1983.38.45.254a. S2CID 163496436.
- ^ August, 1887. Litzmann, Berthold, 1906. Clara Schumann, ein Künstlerleben. Leipzig: Breitkopf & Härtel, vol 3, pp.493–94.
- ^ Cai, Camilla (1989). "Brahms's Pianos and the Performance of His Late Works". Performance Practice Review. 2 (1): 59. doi:10.5642/perfpr.198902.01.3. ISSN 1044-1638.
- ^ 「革新主義者ブラームス」
- ^ 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p99 音楽之友社 2017年9月30日第1刷
- ^ 三宅『ブラームス』175、177頁。
- ^ 『作曲の20世紀ⅰ』82頁。
- ^ 『作曲の20世紀ⅰ』106頁。
- ^ 『作曲の20世紀ⅰ』118頁。
- ^ 『西洋音楽史概説』331頁。
- ^ 『ブラームスは語る』p.115
- ^ 『ブラームスと私』p.182
- ^ 西原『ブラームス』p.126
- ^ 西原『ブラームス』p.178
- ^ 西原『ブラームス』p.128
- ^ 三宅『ブラームス』p.156
- ^ 三宅『ブラームス』p.92
- ^ 三宅『ブラームス』p.94
- ^ 三宅『ブラームス』p.142
- ^ 三宅『ブラームス』p.156
- ^ 三宅『ブラームス』p.163
- ^ 西原『ブラームス』p.110
- ^ 三宅『ブラームス』p.140
- ^ 西原『ブラームス』p.179
- 1 ヨハネス・ブラームスとは
- 2 ヨハネス・ブラームスの概要
- 3 後世への影響
- 4 脚注
固有名詞の分類
- ヨハネス・ブラームスのページへのリンク