モアモア歌謡センター モアモア歌謡センターの概要

モアモア歌謡センター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 00:19 UTC 版)

モアモア歌謡センター
番組生放送が行われていた川崎岡田屋モアーズ
ジャンル 音楽番組/バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 1981年5月2日~1991年6月30日
放送時間 放送時間参照
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 上村貢聖(初代)
塚越孝(2代目)
上柳昌彦(3代目)
桜庭亮平(4代目)
曽我部哲弥(5代目)
提供 岡田屋モアーズ
特記事項:
1981年5月2日~1983年5月28日の間は『チエちゃん・陳平の歌謡ビッグサタデー』の内包番組として放送。
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概要

神奈川県川崎市川崎区川崎駅東口にある、川崎岡田屋モアーズ内の特設ステージから毎週ゲストを迎え、主にゲストとのトークと歌で構成され、時々クイズ形式のコーナーを交えながらのトークもあった。同じく川崎岡田屋モアーズ内からの中継だった、『高島秀武のマンモス歌謡ワイド』内の14:00過ぎの内包コーナー「飛び出せ歌謡リクエスト」ツービートらがパーソナリティを務めていた)[1]から1981年5月より岡田屋モアーズ一社提供枠を引き継いでスタートした番組である。最初、1981年5月2日から1983年5月28日までの間は土曜日10:00 - 14:30放送のワイド番組『チエちゃん・陳平の歌謡ビッグサタデー』の内包番組として放送。1983年6月4日から『歌謡ビッグサタデー』(この日から3か月間は『チエちゃん・二郎サンの歌謡ビッグサタデー』)の放送時間が土曜日8:00 - 12:00に移動したのに伴い、本番組は同日より単独番組として放送。

ゲストは毎回1組か2組で、歌手アイドルタレントが中心だった。30分の枠ながら基本的に毎週生放送で行われていた。

歴代の司会者は全て当時のニッポン放送の男性アナウンサー。ゲストとの打ち合わせには川崎岡田屋モアーズ内のレストランや喫茶店が使われていた[2]

プロ野球のデーゲーム中継などの特別番組で当番組が休止しても収録自体は通常通り行われ、その模様は『ウィークエンド歌謡スペシャル』で放送された。

後番組は、引き続き川崎岡田屋モアーズ内からの放送で、ゲストを含めた出演者を主にお笑い芸人とした『モアモア爆笑新鮮組』。

歴代司会者

放送時間

  • 毎週土曜日 14:03~14:27 (1981年5月2日~1983年5月28日)
    • ※この間は『チエちゃん・陳平の歌謡ビッグサタデー』の内包番組。
  • 毎週土曜日 14:00~14:30 (1983年6月4日~1983年9月)
    • ※これより単独番組化。
  • 毎週土曜日 16:00~16:30 (1983年10月~1985年9月)
    • ※『NISSANラジオプラザ・湯浅明の全国歌謡ヒット速報』(14:30~16:30 → 14:00~16:00)と放送時間を交換
  • 毎週土曜日 16:30~17:00 (1985年10月~1991年6月)
    • ※『湯浅明の全国歌謡ヒット速報』の放送枠拡大により30分繰り下げ

  1. ^ 月刊ラジオマガジン 1980年9月号 p.51
  2. ^ 月刊ラジオパラダイス 1986年11月号「ニッポン放送人気アナウンサー 上柳昌彦の小走りライフ」の記事で、この模様が紹介されていた。


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