マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 13:33 UTC 版)
経歴
地元のハトランスを経て、1995年にサンパウロ州のヴァリーニョスでプロ選手となる。プロ入り当時のポジションは右サイドミッドフィールダーだった。
1998年より在籍したフルミネンセFCでは、2000年にブラジル全国選手権で20ゴールを挙げて得点王となり、プラカール誌のボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)にも選出された[3]。2002年にはロマーリオと2トップを組み注目を集め、リオデジャネイロ州選手権で優勝した。2001年、ブラジル代表に選ばれ、FIFAコンフェデレーションズカップで3試合に出場。
2003年、初の海外移籍となる全北現代モータースへと移籍。得点ランキング2位となる27得点を記録し「サンバ特急」の異名をとった[4]。
2004年、大分トリニータへ移籍し、開幕戦となった3月13日の柏レイソル戦で初出場、初ゴールを決めた[5]。年間11得点を記録。2年目の2005年は18得点を記録し、チームの中心として貢献した。
2006年、2年間所属した大分の財政難もあり、ガンバ大阪に完全移籍。AFCチャンピオンズリーグにおいて、チームはGL敗退となったが、8得点を記録し得点王。Jリーグにおいても、3月12日セレッソ大阪戦、11月26日の京都サンガFC戦とシーズン中2度ハットトリックを決めるなど[6]、26得点を挙げ得点王に輝いた。入れ替わりに移籍し、前年の得点王だったアラウージョとプレースタイルは違うものの、ストライカーとして活躍した。
2007年も序盤はエースストライカーとして活躍も、故障が重なり満足な成績を上げられずにいた。そんな中、シーズン終盤の11月21日から練習を無断欠席してサウジアラビアに渡り、サウジ・リーグのアル・イテハドと仮契約を結んでいたことが判明 [1]。契約違反であるとして、同月23日付けで制裁金を課された上でG大阪を解雇された。
移籍先のアル・イテハドではシーズン途中での選手登録であるにもかかわらず、サウジ・リーグアル・ナスル戦(2008年1月3日)での1試合4得点を含むリーグ9位タイとなる通算9得点(カップ戦を含めば10得点)を挙げるなど、エースストライカーとして活躍した。しかしイスラームの厳しい戒律に耐えられず、2008年6月にカタールのウム・サラルSCにわずか半年で移籍した。
ウム・サラルでも攻撃の中心選手として活躍し、2008-09シーズンのカタールリーグで得点王を獲得した。
- ^ “마그노”. K League. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “マグノ アウベス”. J.League. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “FUNDAÇÃO MAGNO ALVES É INAUGURADA EM APORÁ”. Federação Baiana de Futebol (2007年1月16日). 2007年6月27日閲覧。
- ^ “大分、逆転でホーム開幕飾った!”. nikkansports.com (2004年3月21日). 2007年6月27日閲覧。
- ^ “マグノ アウベス”. j-league 2020年4月17日閲覧。
- ^ “Jリーグ ハットトリック一覧”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
固有名詞の分類
ブラジルのサッカー選手 |
レナト・ダ・シルバドス・サントス ジョアン・フランシスコ・デ・サレス マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ ジョゼ・エドゥアルド・デ・アラウージョ フェルナンド・エンリケ・マリアーノ |
ガンバ大阪の選手 |
西島健介 梶野智幸 キリル・メトコフ アリソン・ダ・シルバ・ネリ マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ |
大分トリニータの選手 |
オズマール・アパレシード・デ・アゼベード 井上裕大 姜成浩 吉坂圭介 マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ |
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