プロトスフィラエナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 01:25 UTC 版)
プロトスフィラエナ | |||||||||||||||||||||
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ニオブララ層より産出した頭骨
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分類 | |||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||
Protosphyraena Leidy, 1857 |
Protosphyraena はギリシャ語の protos("原始的な")、Sphyraena(カマス属)に由来する。これは初期に本属がカマスの祖先と間違えられたためであるが、現在ではカマス・カジキとは近縁でなく、絶滅したパキコルムス類に属すると考えられている。
発見・分類
19世紀に発見された他の化石と同じように、分類にはかなりの混乱があった。胸鰭の鰭条は1822年、ギデオン・マンテルによってイギリスで発見されていたが、この化石を記載したのは米国のジョゼフ・ライディで、1857年のことであった。この時の命名が Protosphyraena ferox であり、本属のタイプ種となる。ライディはこれ以前にも、ニュージャージーのナベシンク層(マストリヒシアン)から本種の歯を発見していたのだが、これは恐竜のものと誤同定されていた。
1870年代、化石収集家のベンジャミン・フランクリン・マッジは、カンザスのルークス郡・エリス郡に広がるニオブララ層の露頭から多くの化石を発見し、古生物学者のエドワード・ドリンカー・コープとオスニエル・チャールズ・マーシュの元へ送った。1873-1877年、コープはマッジの標本に基づき、Erisichte nitida ・"Portheus" gladius ・"Pelecopterus" pernicciosus の3種を命名した。現在ではこれらは全て本属とされている。1895-1903年、 アーサー・スミス・ウッドワード (1895), F. B. Loomis (1900), Oliver Perry Hay (1903) などの英米の古生物学者によって研究が進められた。
現在では、ニオブララ層のプロトスフィラエナ属は2種 (P. nitida ,P. perniciosa) に分けられている。また、P. bentonianum は Greenhorn Limestone(セノマニアン後期)より産出し、1898年にAlbin Stewart によって命名された。北米最古の化石は、カンザス、ダコタ砂岩の上部(セノマニアン中期)より得られたものである(Everhart, 2005; p. 91)。
形態
全体的には現代のバショウカジキに似るが、全長・吻が短く、体型も洗練されていなかった。また、成体には大型の歯があった。全身骨格は珍しいが、歯・吻・胸鰭などは、ニオブララ層・アラバマのMooreville白亜層などから比較的よく見つかる。多くの場合、頭部と胴部は分離した状態で見つかるが、これは骨格の石灰化が弱かったため、化石化する前に切り離されたものと考えられる(Everhart, 2005; p. 93)。他の白亜紀魚類と共に中生代の終わりに絶滅したため、カジキとの類似は収斂進化によるものと考えられる。
- 1 プロトスフィラエナとは
- 2 プロトスフィラエナの概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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