ブームタウン・ラッツ 略歴

ブームタウン・ラッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 00:12 UTC 版)

略歴

結成期

1981年のグループショット

1975年にボーカリストのボブ・ゲルドフを中心にアイルランドのダブリンで結成され、1977年にデビュー。1978年にシングル「Rat Trap」でアイルランド出身のバンドとしては初めて全英1位を獲得し、注目を浴びる。

1979年に全英1位となったシングル「I Don't Like Mondays(哀愁のマンデイ)」は、同年の1月29日アメリカサンディエゴの小学校で当時16歳の少女が起こしたライフル乱射事件を描いた曲。タイトルは彼女の犯行動機のひとつが「月曜日が嫌い」だったことによる。銃社会のアメリカで2億丁を越える銃が所有されているなか、頻繁に起こる乱射事件が起こるたびにこの曲がメッセージしている事柄が問われている。日本には1980年・1981年の2回来日公演を行っている。

当初は6人編成であり、複数のリズムを集結させたポリリズムを持つバンドでもある。ゲルドフ曰く「ラッツはパンク感覚と共に抜群のメロデイーラインに恵まれたバンドさ。」とのこと。

ゲルドフは1984年Do They Know It's Christmas?のリリースなどによる、アフリカの飢餓救済のためのチャリティー企画バンド・エイドを成功させ、さらに米国のUSA for Africa誕生のきっかけにもなり、後の1985年にはバンド・エイドUSA for Africaを始めとする世界的チャリティーコンサートのライヴエイドも成功させた。こうしてゲルドフが名声を得る一方でバンド活動は停滞、1986年に解散した。

再始動期

2008年、ギャリー・ロバーツとサイモン・クローらが「The Rats」という名で、ブームタウン・ラッツのクラシックナンバー演奏を主体としたライブ活動を始める。翌2009年以降からボブ・ゲルドフ、ピート・ブリケット、ゲリー・コットらとも断片的にギグを行った。

2013年、ゲルドフ、ロバーツ、ブリケット、クローの4名で正式に再結成を果たし、約27年ぶりに活動を再開した[2]

2020年、36年ぶりのオリジナルアルバム『Citizens Of Boomtown』をリリース[3]

2022年、ギター担当のギャリー・ロバーツが死去[4]








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