ブレッド (バンド) ブレッド (バンド)の概要

ブレッド (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 03:19 UTC 版)

ブレッド
Bread
1970年 左からデヴィッド・ゲイツ、ジェイムス・グリフィン、マイク・ボッツ、 ロブ・ロイヤー
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
ロサンゼルス
ジャンル ロックソフトロック
活動期間 1968年 - 1973年
1976年 - 1978年
1996年 - 1998年
レーベル エレクトラ・レコード
旧メンバー デヴィッド・ゲイツ
ジェイムス・グリフィン
ロブ・ロイヤー
マイク・ボッツ
ラリー・ネクテル

略歴

バンド結成までは3人共作詞作曲アレンジまたスタジオ・ミュージシャンとしてアメリカ西海岸一帯で下積みの仕事をしていた。ゲイツとグリフィンの2声ヴォーカルと、3人とも殆どの楽器を操るマルチミュージシャンから成るバンドである。

レコード・デビューは1969年でジャック・ホルツマンのエレクトラ・レコードからタイトル『Bread』としてファースト・アルバムを発表。ファースト・アルバムのセールスはあまり芳しいものではなかったが、軽快なポップ・ナンバーやミドル・テンポのR&Bナンバー等のオリジナル曲が収められ早くも個性的な作風を漂わす内容であった。尚このアルバムにはセッションドラマージム・ゴードンが参加していた。日本では1972年にこのアルバムからシングル・カットされた「Dismal Day」(灰色の朝)が大ヒットした。

1970年にはドラマーのマイク・ボッツ(Mike Botts)を新メンバーに加えセカンド・アルバム『On The Waters』をリリースし、デヴィッド・ゲイツ作のメロディアスなシングル「Make It With You」(二人の架け橋)が全米No1に輝き一躍ブレッドの名は世界的なものになった。2作目のアルバムはより多彩な楽曲が収められ更に高度なアレンジを駆使したナンバーが目立つものになっていた。

3作目のアルバム『Manna』は1971年にリリース、ゲイツ作の「If」(イフ)は当時チャートの4位まで上がり、その美しい名バラッドは現在までブレッドの曲としては最もポピュラーなナンバーとして知られている。この後オリジナル・メンバーのロブ・ロイヤーがブレッドをシングル・ヒット・バンドとしてプロモーションし始めたレコード会社の方向性に疑問を感じ脱退する。『Manna』は大ヒット曲の「If」の他にジェイムス・グリフィンとロブ・ロイヤーのブルージーなR&Bナンバーやカントリー・フレイバーな好ナンバー等が並んでいた。

ロイヤーの後任にはキーボード及びベース・プレイヤーであるウエスト・コーストの有名なスタジオ・ミュージシャン、ラリー・ネクテルLarry Knechtel)が参加し、1971年10月にシングル(愛のわかれ道)を先行リリース、1972年1月に4作目のアルバム『Baby I'm-A Want You』をリリース、4曲のトップ40シングル(内2曲がトップ5)を含んだこのポップ・ロック・アルバムは全米3位の大ヒットを記録し、1973年のグラミー賞ベスト・エンジニア・レコーディング部門にノミネートされた。また同年ブレッドはベスト・ポップヴォーカル・グループ部門にもノミネートされている[1]

5作目の『Guitar Man』は最もロック・テイストにサウンド・メイキングされたアルバムであった。シングルカットされた(ザ・ギターマン)はキャッシュボックスのシングルチャートではトップ10にランクインするヒットとなった[2]。しかし1973年6月ソルトレイクシティでのライブ・コンサート中にゲイツが突然グループを解散する事を発表。メンバーは必然的にソロ活動となったがその後何度か全員でのセッション活動も行っている。またこの年の3月全米ではブレッド初のベストアルバムとなる『The Best of Bread』が発売されており、ビルボード誌では第2位まで上がり翌年までトップ100位以内にチャートインし続け、当時全米のみで500万枚以上を売り上げる大ベストセラーとなった。[3]


1976年11月、エレクトラ会長ジャック・ホルツマンの要請で「1枚限り」という条件のもと再結成、6作目のアルバム『Lost Without Your Love』を発表した。内容はアコースティックでよりポップな作風で、全米ツアーも行った。先行シングル(愛のかけら)はチャート9位となった。尚ブレッドは全てのレコーディングをメンバーがプロデュースアレンジ演奏、又メンバー自らのオリジナル曲で行ったバンドである。

またイギリス独自で発売されたベストアルバム『Sound of Bread』はUKアルバムチャートでNo1になり1977年ゴールドディスクレコードが与えられた。[4]尚この授賞式には当時ジェイムス・グリフィンは出席せず、ブレッドのリユニオン・ツアーやデヴィッド・ゲイツのソロ・ツアーに参加していたセッション・ギタリストのディーン・パークスが出席している。[5]

1996年には解散時のメンバーで約2年間に亘りワールド・ツアー(全米、南米、ヨーロッパ、オセアニア、南アフリカ、東南アジア)を行っている。尚、日本ツアーも予定されていたが直前でキャンセルされた。パンフレットにはデヴィッド・ゲイツによる挨拶とコメントが日本語で紹介されている。[6]

2005年にジェイムス・グリフィンとマイク・ボッツがそれぞれ癌の為亡くなった。 2009年にはラリー・ネクテルも心臓発作で他界した。

2006年ブレッドはボーカル・グループ名誉の殿堂Vocal Group Hall of Fame入りを果たした。

メンバー

  • デヴィッド・ゲイツ – Vocals, Bass, Guitar, Keyboards, Violin, Viola, Percussion (1968–73, 1976–78, 1996–97)
  • ジェイムス・グリフィン – Vocals, Guitar, Keyboards, Percussion (1968–73, 1976–78, 1996–97; died 2005)
  • ロブ・ロイヤー – Bass, Guitar, Flute, Keyboards, Percussion, Recorder, Backing Vocals (1968–71)
  • マイク・ボッツ – Drums, Percussion (1969–73, 1976–78, 1996–97; died 2005)
  • ラリー・ネクテル – Keyboards, Bass, Guitar, Harmonica (1971–73, 1976–78, 1996–97; died 2009)



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