ブリュンヒルド
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大陸ゲルマンにおける伝承と典拠
『ニーベルンゲンの歌』(1200年頃)は、ゲルマン圏のみならず北欧を含めても、ブリュンヒルドが登場する最も古い典拠である。それにもかかわらず、ゲルマンにおけるブリュンヒルドも、その王国はアイスランドにあるという設定となっており、やはりスカンディナヴィアと結び付けられている[55]。このことは、ブリュンヒルドに関する北欧の伝承の知識があったことを示していると想定されている[56]。一般的に言って、大陸の伝承を証明する文献は、現存するスカンディナヴィアのものと比べてブリュンヒルドに対する関心が小さい[8]。
ニーベルンゲンの歌
『ニーベルンゲンの歌』では、ブリュンヒルトは、居城イーセンシュタイン城からイースラント(アイスランド)を治める女王として描かれる。写本によっては、その王国の名前をイーセンラント(鉄の国)とするものもあり、アイスランドと関連は後付けで、こちらが本来の形である可能性がある[57]。王国はブルグント王国の首都ヴォルムスから舟で12日のところにあり、これは大陸の宮廷社会の及ぶ領域の外に暮らしていることを意味している[56]。
ブリュンヒルトが物語に登場するのは、ある日、彼女の美しさがヴォルムスに届き、グンテル王が結婚を望むところである。ブリュンヒルトと知り合いであったジークフリートはこの結婚に反対するが、グンテルは妹クリームヒルトを嫁がせることを約束してジークフリートを説得し、求婚の手伝いをさせる。ブリュンヒルトは求婚者に対して3つの力試しを課していたために、グンテルはジークフリートの助けが必要だった。力試しに失敗した求婚者はブリュンヒルトに殺されてしまうのである。ジークフリートは、隠れ蓑タルンカッペを用いてグンテルが力試しに挑んでいる間助力することに同意した。グンテルは単に一人でやったふりをすればよいというわけである。ジークフリートとグンテルは、求婚の間はジークフリートを臣下ということにするということに取り決めた[58][59]。
ジークフリートとグンテルがイーゼンシュタイン城に到着すると、ブリュンヒルトははじめジークフリートを求婚者だと思ったが、単なるグンテルの臣下だと分かるとすぐに興味を失った[60]。ジークフリートの助けを受け、グンテルはすべての力試しに成功する。ブリュンヒルトは当初取り決めを反故にするかのように見えたが、ジークフリートはすばやくニーベルンゲンラントの自国から配下を招集し、アイゼンシュタインまで引き連れて来る。ブリュンヒルトはグンテルとの結婚を了承する。英雄たちはブリュンヒルトを伴ってヴォルムスに戻り、グンテルがブリュンヒルトと結婚すると同時にジークフリートとクリームヒルトは結婚する。しかし、王女クリームヒルトは単なる臣下と結婚するのだと思っていたブリュンヒルトは、この事実を見て叫ぶ。結婚初夜、グンテルがブリュンヒルトと寝ようとすると、ブリュンヒルトはすばやくグンテルを組み伏せ、手足を縛って朝まで天井に吊り下げてしまう。グンテルは再びジークフリートを頼り、タルンカッペでグンテルに変装したジークフリートは、タルンカッペの魔法の力で十二人力を得てブリュンヒルドを組み敷く。グンテルは密かにその場におり、ジークフリートが共寝までしてしまわないかを確認した[60]。ジークフリートがブリュンヒルトを腕尽くで抑え込むと、グンテルはジークフリートと入れ替わってブリュンヒルトの処女を奪った。結果としてブリュンヒルトの超人的力は失われる。戦利品としてジークフリートはブリュンヒルトの指輪と帯を手に入れ、後に妻クリームヒルトに贈る[60]。
ブリュンヒルトとグンテルにはジークフリートと名付けられた息子がいることが明かされる[61]。数年後、なおジークフリートの臣下らしからぬ振る舞いに腹を立てていたブリュンヒルトは、グンテルを説得してジークフリートとクリームヒルトをヴォルムスに招待させた[60]。客たちが到着すると、ブリュンヒルトは、グンテルがジークフリートより優れているということをしつこく言い立てる。2人の対立は、ヴォルムスの大聖堂の前で2人が鉢合わせたところで頂点に達し、どちらが先に入る権利があるかということで口論に発展する。ブリュンヒルトは、クリームヒルトを臣下の嫁だと言い立てると、クリームヒルトは、ブリュンヒルトの処女を奪ったのはジークフリートだと返し、証拠として帯と指輪を見せた。ブリュンヒルトは泣き出し、クリームヒルトが先に教会に入る。ブリュンヒルトがグンテルのところに向かうと、グンテルはブリュンヒルトの指摘が事実でないことをジークフリートになんとか説明させた。にもかかわらず、ブリュンヒルトはグンテルを説得して、ジークフリートを殺させてしまう。殺害は、ブリュンヒルトを悲しませたという大義名分をもって、ブルグントの臣ハゲネによってなされる[62][63]。
これ以降、物語上ブリュンヒルトは大きな役割をもたない[46]。クリームヒルトの嘆きを見て喜び[64]、以降もずっと彼女に対して意趣を抱え続けていることが示される[65]。『ニーベルンゲンの歌』の後半で彼女が登場しなくなってしまうのは、元になった物語でもそうだったのであろうが、もはや物語の筋立てに直接関わらなくなってしまった時点でブリュンヒルトというキャラクターに対する関心が失われてしまったとも考えられる[66]。
ニーベルンゲンの哀歌
『ニーベルンゲンの哀歌』(1200年頃)は、『ニーベルンゲンの歌』の続編のようなもので、物語の最後で描かれた大厄災を生き延びた人々を描く。死体を埋葬した後、ベルンのディートリヒは、ブルグント人への伝令として使者をヴォルムスに派遣する。使者はブリュンヒルトのもとに着くと、彼女はジークフリートの死への責任を認め、またグンテルの死にひどく悲しむ様子を見せた。ブリュンヒルトは王国中の貴族を招集し、国の進退を図らせた。喪に服した後、ブリュンヒルトと息子ジークフリートは、ブルグントの新王として戴冠する[67][68]。
ヴォルムスのバラ園
『ヴォルムスのバラ園』のD稿(1250年以後)では、ブリュンヒルドは、クリームヒルトのバラ園で開催された馬上槍試合を観戦する人々の中にいたと述べられる[1]。
シズレクのサガ
『シズレクのサガ』は古ノルド語で書かれたものだが、内容の大部分はドイツ語(特に低地ドイツ語)の口頭伝承と(『ニーベルンゲンの歌』のような)文書から翻訳されたものである[69]。したがって、こちらに記載する。ただし、このサガの著者は、気づいた点に関してはスカンディナヴィアの伝承に合わせて物語の枝葉を改変していると考えられている[70][71]。
『シズレクのサガ』によれば、ブリュンヒルドはヘイミル王の娘でスヴァヴァのゼーガルト城に住んでいる[4]。彼女はそこで牧場を営んでおり、駿馬を生産していた。シグルズはレギン竜を屠った後すぐブリュンヒルドと出会っている。シグルズは城に押し入り兵士を殺すが、ブリュンヒルドはシグルズを見て、シグルズの親の名前を伝え、去る間際にグラニという馬を与えた[72][4]。
後に、ニーヴルングズと呼ばれるブルグントの宮廷に出仕していたシグルズは、グンナル(グンテル)にブリュンヒルドと結婚するよう助言し、2人で彼女に会いに行く。ブリュンヒルドは、シグルズが自分と結婚するという約束(以前出会った場面にこの点についての言及はない)を反故にしたことに怒るが、シグルズはグンナルと結婚するように説得しようとする[73]。それでもなお初夜を拒むブリュンヒルドを、シグルズはグンテルに変装して代わりに処女を奪い、結果ブリュンヒルドの力は失われた[72][74]。
しばらく後、シグルズはブルグントで暮らしていたが、ブリュンヒルドはシグルズの妻グリームヒルドと自分たちの地位の上下について口論を始める。ある日、ブリュンヒルドが広間に入った際、グリームヒルドは立ち上がり損ねる。これが癇に障り、ブリュンヒルドはグリームヒルドを由無きものと結婚したといって貶す。するとグリームヒルドは、ブリュンヒルドが初夜の後に(グンナルだと思っていた)シグルズに贈った指輪を出して見せ、ブリュンヒルドの処女を奪ったのはグンナルでなくシグルズであるということを公にする。ブリュンヒルドは、グンナルとホグニに言ってシグルズを殺させようとする[75]。シグルズが死ぬと、ブリュンヒルドは大喜びする[76]。この後、アトリ(エッツェル)がブルグントのブリュンヒルドのもとを訪れるというエピソード以外では、ブリュンヒルドはサガに登場しなくなる[77]。
ビテロルフとディートライプ
『ビテロルフとディートライプ』(1250年頃)は、英雄譚のパロディとでも言うべき作品であり[78]、ブリュンヒルトは、ブルグント人と英雄ベルンのディートリヒらとの戦争の中で死を恐れる人物として描かれる。彼女は、ディートリヒ軍団への使者を務めるリュディガーに、仕事をうまくやった褒美として旗のついた槍を授ける。後に、リュディガーとブリュンヒルトは、交渉して戦争を馬上槍試合への変更を持ちかけるものの、結局また戦争になってしまう。ディートリヒ軍団がヴォルムスの門までたどり着くと、ブリュンヒルトとブルグントの女たちは戦闘開始に待ったをかける。接待の宴が開かれ、ブリュンヒルトは、リュディガーに槍を与えたのは、戦士を鼓舞するためのもので、誰も死なないようにというつもりであったと説明する[79]。
『ビテロルフ』におけるブリュンヒルトの役割は、だいたいパロディ的なものとなっている。グンテルの強さが怖いと言って、リュディガーに自分の暴力的な過去を思い出させられたりする[80]。エッツェル軍最大の英雄リュディガーに槍を与えたのは、ブルグント人と戦うためのものであるはずなのに、誰も殺さないというくだりは、読者に諧謔を感じさせたであろう。『ビテロルフ』では、ブリュンヒルトとクリームヒルトの確執に関する言及はない[80]。
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- 1 ブリュンヒルドとは
- 2 ブリュンヒルドの概要
- 3 大陸ゲルマンにおける伝承と典拠
- 4 ブリュンヒルドのイメージの発展
- 5 近代以降の受容
- 6 参考文献
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