バハマの歴史 バハマの奪回

バハマの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 23:00 UTC 版)

バハマの奪回

1713年、ウッズ・ロジャーズマダガスカルに遠征して海賊を鎮圧、イギリス植民地を創設することを着想した。ロジャーズの友人リチャード・スティール英語版ジョゼフ・アディソンは彼を説得して、代わりにバハマの海賊を攻撃することにした。ロジャーズらは軍資金を工面するために会社を創設、カロライナ植民地領主を説得して、土地の所有権を維持しながらバハマ政府の権利を国王に返還した。1717年、ジョージ1世はロジャーズをバハマ総督英語版に任命、1年内にイギリスからの総督に降伏した海賊を恩赦するとの宣言を出した[10]

新総督の任命と恩赦の報せはロジャーズの軍勢よりも早くナッソーに到着した。一部の海賊は恩赦の条件を受け入れて海賊稼業から引退、ヘンリー・ジェニングスやクリストファー・ウィンターは出航してイギリス当局に出頭、恩赦の受け入れを表明した。

しかし、諦めなかった者も多かった。その多くがステュアート家を支持するジャコバイトであり、ハノーヴァー家のジョージ1世を敵視した。また一部は自身を単なる反乱者として自認しており、ほかには海賊稼業のほうがお金が稼げると考えた。イギリス海軍の軍艦が正式にナッソーで恩赦の報せを発布すると、多くの海賊は受け入れようとしたが、やがて反抗的な海賊が主導権を握り、イギリス海軍の軍艦は追い返された[11]

黒髭、ボネット、ニコラス・ブラウンエドモンド・コンデントらはバハマを離れてほかの拠点を探した。チャールズ・ヴェインはこの時期に部下のジョン・ラカム(「キャリコ・ジャック」)、エドワード・イングランドらとともに頭角を現した。ヴェインは到着する予定の国王軍への抵抗軍を組織、ステュアート家の「老僭王」ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートに請願してバハマの維持とバミューダの占領への援助を求めた。ステュアート家からの援助が来ず、ロジャーズの到着が近づくにつれて、ヴェインらはナッソーを離れる準備をした[12]

ウッズ・ロジャーズは1718年7月末に自身の排水量460トンの軍艦、自身の会社が所有する船3隻、イギリス海軍の護衛船3隻を率いてナッソーに到着した。ヴェインの船はナッソー港に封鎖されたが、ヴェインの船員は船に火をつけてロジャーズ艦隊の元に送り、ロジャーズ艦隊が混乱に陥る中にほかの海賊から奪った小型船で逃走した。残りの住民は入植者約200人と恩赦を受け入れたい海賊(ホーニゴールドを含む)500から700人であり、ロジャーズを歓迎した[13]。海賊たちが降伏すると、植民地領主はバハマの領地を21年間ロジャーズの会社に賃貸した。

ここにロジャーズがナッソーを支配したが、チャールズ・ヴェインは逃げおおせており、ロジャーズとその軍勢を追い出すと脅かした。スペイン王フェリペ5世がイギリス人をバハマ諸島から追い出そうとしていると知ったロジャーズはナッソーの守備を強化した。彼は不明の病気により新しい軍勢を100人近く失った上、イギリス海軍の艦船はほかの任務のために去っていった。ロジャーズは船4隻をハバナに派遣、スペインの総督に自分は海賊を鎮圧しており、補給の貿易を求めた。しかし、元海賊だった者たちもロジャーズの軍勢も海賊稼業に戻り、ホーニゴールドはロジャーズによる鎮圧の一環としてグリーン・タートル・キー英語版で10人を捕まえ、うち8人は有罪とされて要塞の前で絞首刑に処された[14]

ヴェインはバハマの小さな集落をいくつか攻撃したが、より強いフランスのフリゲートへの攻撃を拒否すると、臆病とされて失脚し、ラカムが代わりの艦長になった。その後、ヴェインはバハマに戻らず、やがてジャマイカで捕まえられて起訴され、処刑された。ラカムはジャマイカの私掠船に捕らえられそうになり、さらに国王が恩赦の期限を延長したと聞くと、ナッソーに戻ってウッズ・ロジャーズに降伏した。

ラカムはナッソーでアン・ボニーに関わるようになり、彼は彼女の元海賊ジェームズ・ボニー(James Bonny)との結婚を無効にしようとした。しかしロジャーズがそれを拒否したため、ラカムとアン・ボニーは少数の仲間とメアリ・リードとともにナッソーを離れて海賊稼業に戻った。しかし、数か月でラカム、ボニー、リードの3人が捕まえられてジャマイカに連行された。3人は海賊行為で起訴され、ラカムは処刑されたがボニーとリードは妊娠で処刑を免れ、投獄された。リードは牢獄の中で死亡、ボニーのその後は知られていない[15]

イギリスとスペインが1719年に再び戦争状態に陥る(四国同盟戦争)と、多くの元海賊がイギリス政府に私掠船員として徴募された。スペインの侵攻艦隊はバハマに向かったが、ペンサコーラがフランスに奪取された(ペンサコーラ占領)ため代わりにそちらに向かった。ロジャーズは引き続きナッソーの守備を強化、自身の資産を使った上に多額な債務を抱えるほどだった。2度目の侵攻艦隊はこの防御工事(とイギリス海軍の艦船がちょうどナッソーに滞在していたため)で退けられた。ロジャーズは1722年に帰国して、ナッソーを建設するために使った資金の返還を求めたが、総督を更迭される結果にしかならなかった。彼は債務者監獄に収監されたが、債権者が後に債務を放棄した結果、彼は釈放された。

1724年に『最も悪名高い海賊たちの強盗と殺人の通史』(A General History of the Robberies and Murders of the Most Notorious Pirates)という、ロジャーズのバハマにおける海賊鎮圧の功労を称えた書物が出版されると、彼の財政状況は改善した。ジョージ1世は1721年まで遡って彼に年金を与えた。1728年、ロジャーズは2期目となるバハマ総督職に就任、バハマの議会がナッソーの防御工事を修復するために必要な税金を許可しなかったためそれを解散した。ロジャーズは1732年にナッソーで死去した[16]

1741年、ジョン・ティンカー英語版総督とピーター・ヘンリー・ブルース(Peter Henry Bruce)はモンタギュー砦(Fort Montague)を建設した。ティンカーはさらに北米の13植民地で私掠船稼業が盛んでいることを報告、また豪華な家屋2,300軒が建設されたことを報告した。


  1. ^ Craton, p. 17; Granberry and Vescelius, pp. 80-86; Keegan, pp. 48-62.
  2. ^ Keegan, pp. 25, 54-58, 86, 170-173.
  3. ^ Albury, pp. 21-33; Craton, pp. 28-37; Keegan, pp. 175-205.
  4. ^ Albury, pp. 34-37; Craton. pp. 37-39; Johnson, p. 3; Keegan, pp. 212, 220-223.
  5. ^ Albury, pp. 41-46; Johnson, pp. 3-4.
  6. ^ Albury, pp. 47-51; Johnson, p. 4.
  7. ^ Johnson, pp. 4-5.
  8. ^ Albury, pp. 51-55; Craton, pp. 70-87; Johnson, p. 6; Woodard, pp. 12-14, 23-24.
  9. ^ a b Albury, pp. 58-68; Craton, pp. 89-90; Woodard, pp. 89-90, 140, 160.
  10. ^ Albury, pp. 69-74; Craton, pp. 93-96; Johnson, pp. 7-8; Woodard, pp. 117-121, 163-168.
  11. ^ Woodard, pp. 226-229.
  12. ^ Woodard, pp. 236-240, 245-247, 259-261.
  13. ^ Woodard, pp. 247-248, 262-267.
  14. ^ Woodard, pp. 268-272, 286, 301-304.
  15. ^ Woodard, pp. 304-310, 315-320.
  16. ^ Woodard, pp. 311-314, 325-328.
  17. ^ a b "Bill Baggs Cape Florida State Park", Network to Freedom, National Park Service, 2010, accessed 10 April 2013.
  18. ^ Gerald Horne, Negro Comrades of the Crown: African Americans and the British Empire Fight the U.S. Before Emancipation, New York University (NYU) Press, 2012, pp. 107-108.
  19. ^ Smith, Andrew. 2009. "Thomas Bassett Macaulay and the Bahamas: Racism, Business and Canadian Sub-imperialism". The Journal of Imperial and Commonwealth History. 37, no. 1. pp. 29-50.
  20. ^ Stacey, C. P. (1955年). “Official History of the Canadian Army in the Second World War- Volume I -Six Years of War”. National Defence and the Canadian Forces. Government of Canada. 2016年7月31日閲覧。 p. 181.
  21. ^ The Origins of Bahamian Aviation - Bahama Pundit”. bahamapundit.com. 2014年12月7日閲覧。
  22. ^ Owen, J. (2008). A Serpent in Eden: 'The greatest murder mystery of all time'. Little, Brown Book Group. ISBN 9780748109739. https://books.google.com/books?id=PrA0BNGP_wsC 2014年12月7日閲覧。 
  23. ^ Higham, Charles (1988). The Dutchess of Windsor: The Secret Life. McGraw Hill. pp. 300–302 
  24. ^ Bloch, Michael (1982). The Duke of Windsor's War. London: Weidenfeld and Nicolson. ISBN 0-297-77947-8, p. 364.
  25. ^ a b Higham, Charles (1988). The Dutchess of Windsor: The Secret Life. McGraw Hill. pp. 307–309 
  26. ^ Bloch, Michael (1982). The Duke of Windsor's War. London: Weidenfeld and Nicolson. ISBN 0-297-77947-8, pp. 154–159, 230–233.
  27. ^ Ziegler, Philip英語版 (1991). King Edward VIII: The official biography. New York: Alfred A. Knopf. ISBN 0-394-57730-2.
  28. ^ Higham, Charles (1988). The Dutchess of Windsor: The Secret Life. McGraw Hill. pp. 331–332 
  29. ^ Ziegler, pp. 471–472.
  30. ^ Matthew, H. C. G.英語版 (September 2004; online edition January 2008) "Edward VIII, later Prince Edward, duke of Windsor (1894–1972)", Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, doi:10.1093/ref:odnb/31061, retrieved 1 May 2010 (Subscription required)
  31. ^ Highamは辞任日を3月15日とし、ウィンザー公爵が4月5日にバハマを離れたとした。Higham, Charles (1988). The Dutchess of Windsor: The Secret Life. McGraw Hill. p. 359 





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