ハンマーム
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西欧でのイメージ
17世紀のロンドンには、すでに「ハンマーム」の名前を冠した浴場が建てられていた[34]。18世紀末までにロンドンに30ほどの「トルコ」式浴場が建てられたが、その多くで売春のサービスが行われていたと考えられており、この種の「トルコ風呂」が「ハンマーム」に対する歪んだ偏見を植え付けた[35]。19世紀の画家ドミニク・アングルはメアリー・ウォートレー・モンタギュー夫人が残した女性用のハンマームの見聞録に触発され、ヨーロッパ人の男性が抱くイメージと欲望が反映された『トルコ風呂』を描いた[36]。
一方で、19世紀末のヨーロッパには健全なイスラーム風の浴場も登場する[37]。1867年のパリ万国博覧会、1873年のウィーン万国博覧会では、オスマン帝国の会場にトルコ風の浴場が設置された[38]。
日本における「トルコ風呂」
アメリカで「ターキッシュ・バス(Turkish Bath)」と呼ばれていた施設が、日本では「トルコ風呂」と訳されて紹介された[2]。
日本で初めてハンマームに触れたのは幕末から明治時代にかけてヨーロッパを訪問した使節団や留学生であり、彼らは道中でエジプトやイスタンブールのハンマームを利用した[39]。横浜鎖港談判使節団に随行した岩松太郎、海外視察中にイスタンブールに立ち寄った谷干城らが、ハンマームの体験記を書き残した。1908年に高輪の岩崎弥之助別宅(現在の開東閣)に脱衣所・冷浴室・温浴室・熱浴室を備えた本格的な「トルコ風呂」が建てられたが、ハンマームが日本に根付くには至らなかった[40]。
イスラム世界の宮廷に置かれていたハレムに対する誤解と、ハンマームで行われる洗体とマッサージのサービスが合わさって、「トルコ風呂」が個室付特殊浴場の通称として使用されるようになったと考えられている[41]。トルコ大使館および在日トルコ人の訴えかけによって、1984年に業界団体は「トルコ風呂」の呼称を自主的に廃止し、ソープランドと名称を変えた[42][43]。
ハンマームの一例
- ハセキ・ヒュッレム・スルタン・ハンマーム
- イスタンブールのハンマーム。1556年にミマール・スィナンによって建設され、皇帝スレイマン1世の寵妃ハセキ・ヒュッレム・スルタンの名前を冠する。
- ガラタサライ・ハンマーム
- イスタンブールに存在するハマームの中で、有名なものとして紹介される[44]。
- ヌールッディーン浴場
- ダマスカスに現存する最古のハンマーム[45]。1154年から1171年の間にザンギー朝の君主ヌールッディーンによって建造され、数度の改築を経て現在に至る。
- バーシャー浴場
- 1780年にアッコにて建設される。1947年に廃業し、1954年以降は市立博物館として運営されている。
- 岩崎弥之助別宅のトルコ風呂
- ジョサイア・コンドルによって設計され、1908年に完成した。
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- ^ “代々木「パン屋塩見」の薪窯活用術。地域住民に余熱のおすそ分け”. The Cuisine Press. 2023年3月7日閲覧。
- 1 ハンマームとは
- 2 ハンマームの概要
- 3 イランのギャルマーベ
- 4 西欧でのイメージ
- 5 文化
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