西欧でのイメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:53 UTC 版)
17世紀のロンドンには、すでに「ハンマーム」の名前を冠した浴場が建てられていた。18世紀末までにロンドンに30ほどの「トルコ」式浴場が建てられたが、その多くで売春のサービスが行われていたと考えられており、この種の「トルコ風呂」が「ハンマーム」に対する歪んだ偏見を植え付けた。19世紀の画家ドミニク・アングルはメアリー・ウォートレー・モンタギュー夫人が残した女性用のハンマームの見聞録に触発され、ヨーロッパ人の男性が抱くイメージと欲望が反映された『トルコ風呂』を描いた。 一方で、19世紀末のヨーロッパには健全なイスラーム風の浴場も登場する。1867年のパリ万国博覧会、1873年のウィーン万国博覧会では、オスマン帝国の会場にトルコ風の浴場が設置された。
※この「西欧でのイメージ」の解説は、「ハンマーム」の解説の一部です。
「西欧でのイメージ」を含む「ハンマーム」の記事については、「ハンマーム」の概要を参照ください。
- 西欧でのイメージのページへのリンク