ナショナリズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 10:15 UTC 版)
ナショナリズムの多義性
「ネイション」という概念は、本来的には国家と結びつくものではなく、むしろローマ帝国期には「市民」と対立的に「よそ者」というニュアンスで用いられた。中世ヨーロッパにおいても、この語によって想起されるのは宗教会議などに集まる同郷集団であり、やはり国家との結びつきがあったわけではない。ネイションと国家が結びつけられるのは、ヨーロッパにおいて主権国家体制が確立する17世紀頃だと考えられる。17世紀のイギリス革命においては、「ネイション」の概念は聖職者やある特定の集団のみを指し示すのではなく、幅広い人民を包含するようになった。ただし、フランスの絶対王政のもとでは、主権者である国王に対する臣民としてネイションが理解されていた。この場合、ネイション(国民)と政府は結びついているが、あくまでも身分制社会の枠組みの中でのものであり、ネイションや政府を構成する一人一人が人権を有する対等な存在にはなっていない。1789年に勃発するフランス革命は、フランスにおける近代国家形成の契機となった。すなわち、身分制度が否定され、近代市民社会の諸権利が保障される中で、基本的人権という普遍的な権利を持つ一人ひとりが対等な形でネイション、そして政府を構成する時代へと突入した。その国家(国民とその政府)という共同体(ネイション ステイト)が、ある普遍的な理念に基づいて形成されるものなのか、それとも歴史・伝統に根ざした民族に基づくものなのか、それとも他の新たな観点から説明できるものなのか、これらが錯綜してナショナリズムの定義を難しくさせている。
「ナショナリズム」という語が多義化する理由は、前述の通り「ネイション」 (nation) という語を、各時代・地域においてさまざまに解釈したことが一因となっている。再述するがフランス革命以降のフランスでは「ネイション」とは近代市民社会の普遍的諸理念を共有する人民によって構成される共同体として解される[10]。一方でナポレオンの侵攻によって「ナショナリズム」に覚醒するドイツでは、「ネイション」とは固有の言語や歴史を共有する民族の共同体として解された[11]。さらに、ナショナリズムが高揚した19世紀においては、国家(ネイション ステイト)は自由意志を持つ市民が構成員であることを前提としていたが、20世紀前半に大衆社会へと突入すると、権威に盲従する大衆や権威に敵対する労働者も出現する中で、共産主義・ファシズムの勃興が彼らを妄信的に国家主義 (Statism) へと駆り立てさせもした。そして、それらの政府では、ナショナリズムを名目に国家の構成員である国民一人ひとりの権利を剥奪・抑圧することすらもなされ、同化の強制などを受容させられていった。こうした類の国家主義がナショナリズムを自称することによっても多義性をもたらしている。
注釈
- ^ アンダーソンは出版資本主義を近代に特徴的な要素として挙げ、ゲルナーは国家による教育制度を指摘する。
出典
- ^ a b ブリタニカ国際大百科事典、他
- ^ Harper, Douglas. “Nation”. Online Etymology Dictionary. 2011年6月5日閲覧。.
- ^ ゲルナー、2000年、p.1
- ^ 姜、2001年、p.5あるいはホブズボーム、2001年、p.10など
- ^ nationalism - Stanford Encyclopedia of Philosophy
- ^ 丸山眞男著 『現代政治の思想と行動』未來社、2006年新装版、279ページ
- ^ E.H.カー『ナショナリズムの発展(新版)』(みすず書房、2006年)あるいはB.アンダーソン『増補 想像の共同体』(NTT出版、1997年)の「訳者あとがき」など
- ^ 橋川、1968年、p.16
- ^ スミス、1999年およびアンダーソン、1997年参照。
- ^ 「民族とネイション」p43 塩川伸明 岩波新書 2008年11月20日第1刷
- ^ 「民族とネイション」p45 塩川伸明 岩波新書 2008年11月20日第1刷
- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p55-58 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p66-69 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p100-105 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p94 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p97-98 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p100 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p454
- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p129 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p111-112 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
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- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p146 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
- ^ 「国際機構 第四版」p103 家正治・小畑郁・桐山孝信編 世界思想社 2009年10月30日第1刷
- ^ 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)p494-498
- ^ 「現代政治学 第3版」p52 加茂利男・大西仁・石田徹・伊東恭彦著 有斐閣 2007年9月30日第3版第1刷
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- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p153 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ 「コラム:新型コロナに乗じる中ロ、揺らぐグローバリズム」『Reuters』、2020年3月24日。2020年4月5日閲覧。
- ^ 遠隔地ナショナリズムについてはアンダーソンの"New World Disorder"および『比較の亡霊』参照。なお『比較の亡霊』では「遠距離ナショナリズム」の訳語が用いられているが、ここでは1992年の"New World Disorder"以来使われてきた「遠隔地ナショナリズム」を訳語として使う。
- ^ スミス、1999年、p.199
- ^ “Summon 2.0”. aucegypt.summon.serialssolutions.com. 2023年9月11日閲覧。
- ^ 「ナショナリズム 1890-1940」 p162 オリヴァー・ジマー 福井憲彦訳 岩波書店 2009年8月27日第1刷
- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p121 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ 『民主主義がアフリカ経済を殺す: 最底辺の10億人の国で起きている真実』p92-93、甘糟智子訳、日経BP社、2010年1月18日
- ^ 塩川伸明 『民族とネイション - ナショナリズムという難問』p123 岩波新書、2008年 ISBN 9784004311560
- ^ a b Bhikhu Parekh, Ethnocentric Political Theory: The Pursuit of Flawed Universals, pp.242-243
- ^ 知恵蔵「ナショナリズム」
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「ナショナリズム」
- ^ 『現代社会教育用語辞典』p.361
- 1 ナショナリズムとは
- 2 ナショナリズムの概要
- 3 用語
- 4 ナショナリズムの多義性
- 5 起源
- 6 類型
- 7 脚注
- 8 外部リンク
ナショナリズムと同じ種類の言葉
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