ドリフト天国
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概要
創刊号は姉妹誌である『OPTION2』の臨時増刊号として発行された。以後隔月で18冊発行し、1999年10月号より月刊化した。2006年8月号をもって、通巻100号に達している。編集長は川崎隆介。
頭文字D等によって一般にドリフト行為が認知される以前より刊行されている雑誌であり、ドリフト走行を趣味とする者の間での知名度は高い。DIY情報中心の姉妹誌『OPTION2』からの派生ということもあり、ドリフトのためのセッティングやチューニングの手法の紹介や、各地のドリフトイベントの取材記事など、読み手であるドリフト走行の愛好者を中心にした誌面展開が特徴であり、チューニングショップや自動車メーカー主体の他の自動車雑誌と異なる点となっている。また、現在ではSUPER GTなどのレースで活躍する谷口信輝やTVCMなどでも活躍する野村謙等ドリフトで有名になったレーシングドライバーの多くがこの雑誌に掲載経験があり、前述のような高い知名度を誇る一因となっている。
公道でドリフト走行が行われているスポットの様子を紹介したり取材班が実際にその公道でドリフト走行を行うなど、違法・脱法行為(道路交通法違反、共同危険行為)を推奨・助長するかのような記事も散見される。
また、雑誌主催のイベントとして、日本唯一の学生限定のドリコンである全日本学生ドリフト王座決定戦を毎年開催している。かつては近年は3月1日に実施されるセフィーロミーティング、夏期に開催されるガソリンスタンド勤務者のためのドリコンであるオイラーズドリコン、2代目デモカーのチェイサーがATな故に作られた「2PDミーティング」[1]、デモカーの色がピンクであることから生まれた、「ピンクミーティング」も主催していた。
雑誌編集部の所有として「ドリ天セフィーロ」「ドリ天チェイサー」「ドリ天EP」「ドリ天シルビア」などのデモカーがあり、特集記事も組まれた。詳しくは「デモカー」の項目を参照のこと。
2015年12月号より表紙がつや消しになる。
ドリフト専門誌は他に平和出版より同様内容の「ハイパーカースタイルバトルマガジン (BM)」があったが平和出版倒産の為廃刊となった。アメリカでは「DRIFTING MAGAZINE」という専門誌がある。
2024年2月号をもって休刊した[2]。
- ^ ツーペダルドリフトの意。オートマ車によるドリフトの新しい呼び方。
- ^ 間瀬サーキットの中の人(@JzhFhKJffnEihsr)のX(旧Twitter)投稿 2023年11月19日
- ^ 2005年3月6日の富士スピードウェイ・ドリフトコースにて、川崎編集長が第一コーナーのタイヤバリアにリアから突っ込んでクラッシュ。折れたアームがガソリンタンクに穴を空けて炎上。後ろ半分を灰にしてしまった事件のこと。
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