テンプル騎士団 出典・脚注

テンプル騎士団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 09:41 UTC 版)

出典・脚注

参考文献

  • 森島恒雄 『魔女狩り』 岩波書店 〈岩波新書〉1970年
  • レジーヌ・ペルヌー 『テンプル騎士団』  橋口倫介訳、白水社文庫クセジュ〉、1977年
  • レジーヌ・ペルヌー 『テンプル騎士団の謎』 池上俊一監修、南条郁子訳、創元社「知の再発見」双書〉、2002年
  • 橋口倫介 『十字軍騎士団』 講談社講談社学術文庫〉1994年
  • M・ベイジェント、R・リー 『テンプル騎士団とフリーメーソン』 林和彦訳、三交社、2006年
  • Gilles C. H. Nullens 『正統と異端 第二巻:テンプル騎士団とヨハネ騎士団』 高橋健訳、無頼出版、2007年
  • 佐藤賢一 『テンプル騎士団』 集英社集英社新書〉2018年
  • 三光寺由実子『中世フランス会計史 - 13‐14世紀会計帳簿の実証的研究』同文舘出版、2011年。 
  • ダン・ジョーンズ 『テンプル騎士団全史』 ダコスタ吉村花子訳、河出書房新社、2021年

関連項目


注釈

  1. ^ 聖ヨハネ騎士団は、ロードス島を根拠地としてのイスラム国家の船舶に対する海賊行為。ドイツ騎士団は、ポーランド王の依頼に基づくプロイセンのキリスト教化。
  2. ^ この日が金曜日だったため、以後「13日の金曜日は不吉である」というジンクスが生まれたともいわれる。
  3. ^ 資産を聖ヨハネ騎士団に移すという決定はあくまでも表向きのもので、フランス国内のほとんどの資産は王の手に渡った。
  4. ^ 公会議そのものでも、フランス寄りの枢機卿以外はみなこの決定に激しく抗議したが、教皇の権威をたてに押し切った。
  5. ^ テンプル騎士団の口座の管理は人名勘定記録に類似しているが、目的は顧客に口座状況を伝えるためである点が異なる。抜粋を顧客に送るというシステムは、当時のイタリアには存在しない[7]

出典

  1. ^ 三光寺 2011, p. 27.
  2. ^ 三光寺 2011, p. 27-28.
  3. ^ Majogari. Morishima, Tsuneo, 1903-, 森島, 恒雄, 1903-. 岩波書店. (1970). ISBN 4004130204. OCLC 672488508. https://www.worldcat.org/oclc/672488508 
  4. ^ ジョーンズ 2021, pp. 406.
  5. ^ 三光寺 2011, pp. 30–33.
  6. ^ 三光寺 2011, pp. 142–143.
  7. ^ 三光寺 2011, p. 149-150.
  8. ^ 三光寺 2011, pp. 33–43.





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