テンプル騎士団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 09:41 UTC 版)
テンプル騎士団の伝説
テンプル騎士団にまつわる伝説は多い。伝説の多くはテンプル騎士団の最初の本部が置かれたエルサレム神殿とのつながりから生まれたものである。代表的なのが、彼らはエルサレム神殿の跡地から聖杯を、あるいは聖櫃を、あるいはイエスが架けられた十字架を発見したなどというものである。
また、多くの団体が自らの出自をテンプル騎士団と結びつけることで、その神秘性を高めようとしてきた歴史もある。著名なものはフリーメイソンで、彼らは19世紀に入ってから神殿の図が入った紋章を使い始め、自らのルーツをテンプル騎士団と結び付けようとした。代表的な伝説は、騎士団がロバート・ブルース支配下のスコットランドで存続したというもので、ここからスコットランド儀礼のフリーメーソン団やフランスを中心とするジャコバイト系フリーメーソン団、諸々のオカルト系フリーメーソン団が生まれた。現在も『ダ・ヴィンチ・コード』など多くのフィクション作品において、テンプル騎士団の神秘的なイメージは利用されつづけている。
テンプル騎士団歴代総長(1118年 - 1314年)
代数順 |
名前 |
綴り(fr) |
在任期間 |
---|---|---|---|
1 | ユーグ・ド・パイヤン | Hughes de Payens | 1118 - 1136 |
2 | ロベール・ド・クラオン | Robert de Craon | 1136 - 1146 |
3 | エバラール・デ・バレス | Everard des Barres | 1146 - 1149 |
4 | ベルナール・ド・トレムレ | Bernard de Tremelay | 1149 - 1153 |
5 | アンドレ・ド・モンバール | André de Montbard | 1153 - 1156 |
6 | ベルトラン・ド・ブランシュフォール | Bertrand de Blanchefort | 1156 - 1169 |
7 | フィリップ・ド・ミリー | Philippe de Milly | 1169 - 1171 |
8 | オドー・ド・サンタマン | Odo de St Amand | 1171 - 1179 |
9 | アルノー・ド・トロージュ | Arnaud de Toroge | 1179 - 1184 |
10 | ジェラール・ド・リドフォール | Gérard de Ridefort | 1185 - 1189 |
11 | ロベール・ド・サブレ | Robert de Sablé | 1191 - 1193 |
12 | ジルベール・オラル | Gilbert Horal | 1193 - 1200 |
13 | フィリップ・ド・プレシス | Phillipe de Plessis | 1201 - 1208 |
14 | ギヨーム・ド・シャルトル | Guillaume de Chartres | 1209 - 1219 |
15 | ペドロ・デ・モンタギュー | Pedro de Montaigu | 1219 - 1230 |
16 | アルマン・ド・ペリゴール | Armand de Périgord | 1232 - 1244 |
17 | リシャール・ド・ビュレ | Richard de Bures | 1245 - 1247 |
18 | ギヨーム・ド・ソナク | Guillaume de Sonnac | 1247 - 1250 |
19 | ルノー・ド・ヴィシエ | Renaud de Vichiers | 1250 - 1256 |
20 | トマ・ベラール | Thomas Bérard | 1256 - 1273 |
21 | ギヨーム・ド・ボージュー | Guillaume de Beaujeu | 1273 - 1291 |
22 | ティボー・ゴーダン | Thibaud Gaudin | 1291 - 1292 |
23 | ジャック・ド・モレー | Jacques de Molay | 1292 - 1314 |
騎士団ゆかりの地
- 中東
- イングランド
- フランス
- スペイン
- アラゴンの灌漑設備
- モンソン城(Castillo de Monzón)
- ポンフェラーダ城(Castillo de Ponferrada)
- フレヘナル・デ・シエラ城(Castillo de Fregenal de la Sierra)
- ポルトガル
- トマールのキリスト教修道院、トマール城(Castelo de Tomar)、サンタ・マリア・ド・オリヴァル教会(トマール)
- スール城(Castelo de Soure)
- その他
- キプロス島のコロッシ城
- ベルリンのテンペルホフ城(ドイツ)
注釈
- ^ 聖ヨハネ騎士団は、ロードス島を根拠地としてのイスラム国家の船舶に対する海賊行為。ドイツ騎士団は、ポーランド王の依頼に基づくプロイセンのキリスト教化。
- ^ この日が金曜日だったため、以後「13日の金曜日は不吉である」というジンクスが生まれたともいわれる。
- ^ 資産を聖ヨハネ騎士団に移すという決定はあくまでも表向きのもので、フランス国内のほとんどの資産は王の手に渡った。
- ^ 公会議そのものでも、フランス寄りの枢機卿以外はみなこの決定に激しく抗議したが、教皇の権威をたてに押し切った。
- ^ テンプル騎士団の口座の管理は人名勘定記録に類似しているが、目的は顧客に口座状況を伝えるためである点が異なる。抜粋を顧客に送るというシステムは、当時のイタリアには存在しない[7]。
出典
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