ダリオ・フランキッティ ダリオ・フランキッティの概要

ダリオ・フランキッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 08:01 UTC 版)

ダリオ・フランキッティ
2015年のインディ500で
基本情報
国籍 スコットランド
生年月日 (1973-05-19) 1973年5月19日(50歳)
出身地 ウェスト・ロージアンバスゲート
親族 ポール・ディ・レスタ(いとこ)
マリーノ・フランキッティ(弟)
アシュレイ・ジャッド(妻)
ナオミ・ジャッド(義母)
ワイノナ・ジャッド(義姉)
過去参加シリーズ
1991
1992-1993
1994
1995
1995-1996
1997-2002
2002-2007
2007-2009
2008-2009
2007-2008
2007
2007-2008
2008
2009-2013
フォーミュラ・ヴォクソール・ジュニア
フォーミュラ・ヴォクソール・ロータス
イギリスF3
DTM
ITC
CART
インディカー
ALMS
ロレックス・スポーツカーシリーズ
ARCA
NASCARトラック・シリーズ
ネイションワイド・シリーズ
NASCARスプリントカップ
インディカー
選手権タイトル
2007,
2009,
2010,
2011

インディカー・シリーズ

シリーズチャンピオン
受賞
1992
2001
2009
マクラーレン・オートスポーツ・アウォード
グレッグ・ムーア・レガシー・アウォード
BRDCゴールドスター
基本情報
国籍 イギリス
インディカー・シリーズでの経歴
活動時期 1997 - 2007, 2009 - 2013
所属 ホーガン・レーシング (1997),
チーム KOOL グリーン (1998-2002),
アンドレッティ・グリーン・レーシング (2003-2007)
チップ・ガナッシ・レーシング (2009-2013)
出走回数 203
優勝回数 30
ポールポジション 25

インディカー・シリーズでは3年連続を含む4度のシリーズチャンピオン、インディ500では3度の優勝を獲得している。

経歴

  • 1991年にデビューし、フォーミュラ・ヴォクゾール・ジュニア選手権を制覇。
  • 1994年にはイギリス・フォーミュラ3選手権でシーズン1勝、シリーズ4位。
  • 1995年はFIA国際ツーリングカー選手権(ITC)で3位、ドイツツーリングカー選手権(DTM) では5位の成績を収める。
  • 1996年、ITCの最後のレースとなった鈴鹿サーキットの第1レースで優勝。
  • 1997年からはCART(現・チャンプカー)に参戦し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。
  • チーム・グリーンに在籍した1998年は3位、1999年は2位、2000年は13位、2001年は7位、2002年は4位と、安定した成績を残すも、今1歩タイトルには届かなかった。
  • 2003年からアンドレッティ・グリーン・レーシングに改名したチームごとインディカー・シリーズ(IRL)に転向するも、怪我により後半戦を欠場。
  • 2004年は開幕戦からレースに復帰、第9戦・第12戦では優勝を果たし、ランキング6位。
  • 2005年は第9戦(ナッシュビル)と第17戦(フォンタナ)で優勝、第7戦(リッチモンド)と第10戦(ミルウォーキー)では2位に入り、ランキング4位を獲得する。
  • 2006年も第2戦(セントピーターズバーグ)でポールポジション獲得、第13戦(インフィニオン・レースウェイ)で2位を獲得、6度のトップ10フィニッシュを果たし、ランキング8位。
  • 2007年には、インディ500で優勝するなどの活躍を見せ、最終戦(シカゴランド・スピードウェイ)ではラスト一周でトップとなりシリーズチャンピオンに輝いた。
  • 2008年にはチップ・ガナッシ・レーシングよりNASCARスプリントカップシリーズに参戦したが、全くいいところがなく、シーズン途中に下位カテゴリーのネイションワイドシリーズに降格。それでも成績が上向かなかった。
  • 2009年シーズンはNASCARから撤退しIRLへ復帰、自身がチャンピオンを獲得した2007年のライバルチームのチップ・ガナッシから復帰し同じく2007年にチャンピオンを争ったスコット・ディクソンがチームメイトとなった。開幕戦でチームメイトのディクソンがクラッシュする中4位フィニッシュ、第2戦のロングビーチで早くも復帰後初優勝を飾る。その後第3戦ではクラッシュに終わるが、第7戦アイオワ、第10戦トロントで勝利しチーム・ペンスキーエリオ・カストロネベス等がライバルとなったが、徐々にカストロネベスが脱落し、チームメイトのディクソン、ペンスキーの新鋭ライアン・ブリスコーとチャンピオン争いを繰り広げる。第15戦インフィネオンでポールポジションから1度もトップを譲らない走りでブリスコーを抑えきり、シーズン4勝目を挙げこのレースで13位に終ったディクソンを逆転しブリスコーに4ポイント差の2位に浮上した。しかし第15戦シカゴでブリスコーがチームメイトのディクソンとの争いを制してポール・トゥ・ウィンを達成、自身は4位に終わりブリスコーに25点差を付けられることとなった。しかし、残り2戦となったツインリンクもてぎでブリスコーが18位、チームメイトのディクソンはポール・トゥ・ウィンで自身は2位、この結果ディクソンがランキングトップに立ち、フランキッティは変わらずランキング2位ではあるもののポイントリーダーに5点差、3位のブリスコーに3点差で最終戦ホームステッドを迎え、最終戦での勝利によって逆転で2度目のタイトルを獲得した。
  • 2010年のインディ500で2度目の優勝、最終戦でウィル・パワーを逆転して3度目のタイトルを獲得した。
  • フランキッティはCART・IRLキャリアのほとんどをホンダエンジンで走行し、勝利とタイトルを獲得している。
  • 2010年度ドイツツーリングカー選手権チャンピオンで、2011年のF1世界選手権に参戦したポール・ディ・レスタとは従兄弟。
  • 2013年10月6日、インディ・カーシリーズ第18戦(ヒューストン)最終周で、デブリを拾ってコントロールを乱した佐藤琢磨のマシンに乗り上げ、宙を舞いフェンスに激突するクラッシュ。脳しんとうを起こし、脊柱と右足首を骨折する大けがを負った[3]
  • 2013年11月15日、インディ・カーシリーズ第18戦(ヒューストン)における怪我を理由に、レース引退を発表した[4]

私生活

現在はテネシー州在住。 2001年にアメリカの女優アシュレイ・ジャッドと結婚したが、2013年1月に離婚。




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