タラ戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 02:40 UTC 版)
概要
タラ戦争はアイスランドが領海の拡大を宣言することから始まった。イギリス海軍は軍艦を出動させ、アイスランドの沿岸警備隊と互いに砲撃、体当たり攻撃といった激しい衝突を起こし、一時は国交断絶にまで至った。冷戦の英語名 Cold War をもじった Cod War という呼称が流布されたため、日本語でもその翻訳であるタラ戦争という呼び名が用いられる。
奇跡的に死者は出なかったものの、国際司法裁判所の仲介を経ても事態は解決しなかった。しかし最終的にイギリスはアイスランドに対して大幅な妥協案を結び、タラ戦争はアイスランドの勝利で終結した。アイスランドはワシントンD.C.とモスクワを結ぶ最短直線経路の真下に位置しており、イギリスを含む西側諸国のソビエト連邦に対する最重要拠点だったケフラヴィークのNATO基地閉鎖をアイスランド側がほのめかしたことや、200海里の排他的経済水域が世界的な慣習になりつつあったことが勝利の原因となった。
背景
アイスランドは資源に乏しい国であり、長期間にわたるデンマークの支配も重なってヨーロッパの最貧国の地位にあった。しかし、1901年にイギリスからトロール船を導入した結果、豊富なタラ等の水産資源で巨額の富を蓄えていった。第二次世界大戦中、ヨーロッパの漁船が軍隊に徴発されている間、アメリカ合衆国の保護の下でアイスランドは魚をヨーロッパ中に提供し続けた。1944年の独立後も近海のタラ漁業はアイスランドの一大産業であり生命線とも言えるものだった。しかし、戦争の終結により、大幅に改装されたヨーロッパの大型トロール漁船がアイスランド近海で操業を行ったため、水産資源は減少しはじめた。1945年、トルーマン米大統領が「大陸棚の資源は沿岸国が管理できる」と宣言(トルーマン宣言)した。当時は漁師にとって海は自由なものであるという「公海自由の原則」が一般的だったため、これは画期的なことだった。これを機にアイスランドは自国資源保護のための管理に乗り出した。
第一次タラ戦争
1958年、アイスランドは自国の領海を4海里から12海里へと拡大する新法を制定した。これに対しイギリスはアイスランドの主張を認めず軍艦を派遣して操業を継続。沿岸警備隊との間で小規模な小競り合いを起こした。
NATOの調整や、アイスランドで政権交代が起こったこともあり、1961年2月、イギリスは12海里を承認。両国間に領海紛争が生じた際は、いずれか一方の要請により国際司法裁判所へ問題を付託するという交換公文を締結した。
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